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【1月24日】祝建国100周年! ラトビア独立記念日の由来   PDF プリント メール
作者 webmaster   
2018/01/24 水曜日 12:55:59 JST


祝・建国100周年、ラトビア独立記念日の由来と日本との関係

 

ラトビア共和国は建国100周年に大きな盛り上がりを見せているようです。公式ゴロが発表され、先日安倍首相がラトビアを訪問した時も、記者会見の演壇に「Latvija100」と記されていました。「歌の力」で独立を成し遂げたと言われるだけに、5年に一度開催される今年の国家的行事「ラトビア歌と踊りの祭典」では、全ラトビア人が喜びを爆発させることでしょう。

 

当協会も祝意を表する企画を積極的に進めていますが、現地を訪問して研究を続けておられた外務省の白石仁章氏が、Latvija6号に寄稿いただいたに原稿を再録します(一部編集室で補稿)。ラトビアの歴史と建国100周年を知って頂く格好の内容です。是非ご一読ください。(編集室 徳田浩)

 

 

 

ラトビア独立記念日の由来

 

白石仁章

 

「何て“まっ平ら”なのだろう!」

 ラトビアの首都リーガ近郊の空港に降り立ち、初めてバルト三国の土地を踏んだ瞬間の感想がそれだった。ともかく山らしい山が見えず、思わず360度ぐるりと見渡してしまった程だ。ラトビアは現在「花と歌の国」と呼ばれ、首都リーガは中世の面影を残す美しい街で「バルトのパリ」とも呼ばれる。しかし、平坦な国土、現在の美しい街並みとは裏腹に、スウェーデン、ポーランド、ロシアなど様々な国の支配を受け、ロシアの支配下で巻き込まれた第一次世界大戦では、ドイツ軍の侵攻を受けた。ラトビアの人々は雄雄しく抵抗したが、遂にドイツに占領されてしまった。そんな中で、ラトビアの人々は独立を強く願い、ドイツに革命が起き連合国と講和した19181111日直後の1118日、ついに独立を宣言した。1118日はラトビア人が「INDEPENDENCE DAY」として極めて大切に祝う日、今年は100年目という大きな節目を迎えた。

 

 

 ところが、その後もラトビアに残っていたドイツ勢力、ロシア革命により成立したソ連政権を認めないロシア人たち、そしてソ連といった諸勢力がラトビアを舞台に争い続け、ラトビアの独立が安定したのは、1920年4月にソビエトと平和条約を結んでからであった。しかも、それからちょうど20年後の1940年、第二次世界大戦の最中、ラトビアはエストニア、リトアニア同様ソ連により併合された。ラトビアの独立は再び奪われ、再独立は約半世紀後の1991年8月まで待たねばならなかった。2度の独立記念日を持つ所以である。

 

 

戦前から日本と親しい関係にあった

 

 

 実は、ほとんど知られていないが、この苦難の道を歩んだラトビアと日本は、戦前期に親しい関係にあった。イギリスに次いでラトビアの独立を承認したのは、当時国際連盟の常任理事国の一つであった日本だった(1921年1月26日)。日本はバルト三国の真中に位置するラトビアを日本にとって脅威であったソ連の情報を得るために重視し、バルト三国では唯一公使館(当時、大使館を置くことは希で、多くの国には公使館をおいていた)を設置し(初代公使の任命は1928年、公使館開設は翌年)、当初駐ラトビア公使は駐ドイツ大使が兼任していたが、1936年には専任の公使を置き、翌年には駐ラトビア公使が駐エストニアおよびリトアニア公使を兼任することとなった。また、ラトビアにはソ連関係の情報収集のため、ソ連通の優秀な外交官達が派遣されたのであった。

 

 2007年、そのラトビアを含むバルト三国に天皇皇后両陛下が訪問され、多くの日本人にとってなじみの薄かったラトビアが身近な存在となった。戦前のように両国の関係が緊密化してゆく日も近いであろう。今年も安倍首相が初めてラトビアを訪問した。皆さんもラトビアの空港に降りた時には是非360度見渡して下さい。

 

 

最終更新日 ( 2018/01/24 水曜日 13:11:13 JST )
 
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