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【6月19日】藤井会長 写真で見るラトビアの歴史15 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2013/06/19 水曜日 20:03:02 JST

ちょっと脱線ですが…(ほら吹き男爵のこと)

                                         日本ラトビア音楽協会 会長 藤 井 威 

   ここでちょっと脱線ですが、ラトビアにおける実質的支配者であるドイツ系の仕官や入植荘園領主の優雅な生活を伝える、ドイツの土地貴族(ユンカー)出身の放浪者の逸話をお話することをお許し下さい。

  時は、後述する北方大戦役でロシア帝国がスウェーデン・バルト帝国を破り、バルト地域がロシアの支配下に入っていた1740年のリガ市に、ドイツの地主貴族(ユンカー)として生まれたミュンヒハウゼンという名の20歳男爵がふらりと現われます。この人、押しも押されもしないドイツの生粋の貴族であり、文句なくロシア帝国甲騎兵連隊の高級仕官に採用され、大勢の部下にかしずかれて約10年間、このポストで上流階級の生活を快適に過します。1744年には近在のドイツ系地主貴族の娘、ヤコビーネ・ファン・ドウンレンと結婚しました。

  リガから北へ、バルト海東岸をエストニアの首都タリンへ続く幹線道路を約50キロも行くと、ドウンテンという小さな町があります。ヤコビーネは、この土地に荘園を持つ地主貴族の娘であり、男爵はこの荘園に婿入りすることに成功したのでした。そこで引き続き優雅で快適な貴族生活をおくり、欧州各地をゆっくりと旅行なども楽しみます。やがて故郷ドイツ、ボーデンヴェルデンへの思いの募るまま、帰郷の途についたと言われます。 帰郷したこの男爵、近在の人々を集めては奇想天外の冒険談を、あることないこと、口から出まかせに語り聞かせます。その話の面白さにすっかり引き込まれた人々は、ほら吹き男爵のあだ名を奉り、話の内容を伝えたのです。かくして無二の奇書「ほら吹き男爵の冒険」が誕生します。ドウンテンには古い小さな旅籠を改造したミュンヒハンゼン博物館があります。写真をどうぞ。 

ドウンテン・ミュンヒハウゼン博物館 古い旅籠を改造したほらふき男爵の博物館と、内部の様子を説明する館長さん(200010月撮影)

 

 

最終更新日 ( 2013/06/19 水曜日 20:14:19 JST )
 
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