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2013/06/12 水曜日 22:11:20 JST |
2006年4月に初代駐日大使として赴任し、7年余の長い任務を終えて8月に帰国するP・ヴァイヴァルス大使の送別会を6月12日午後、三井グループの迎賓館と言われる綱町三井倶楽部で開催(主催:日本ラトビア音楽協会)、ウィークディの午後ながら、日頃から大使と昵懇にしている会員30名余が出席して心暖まる宴となった。 庭先で出席者全員が大使を囲み記念撮影
冒頭、藤井会長が主催者を代表して挨拶。「大使が日本とラトビアの友好促進に果たされた業績は計り知れない。とりわけ日本ラトビア音楽協会の活動には終始強力なご支援を頂いた。このご恩を私達は永遠に忘れない。帰国後は更に重要な任務に就かれると聞いているが、今後も変わりないご支援をお願いしたい。私たちも両国の友好を深めるために一層頑張ることをお約束したい。今日はささやかな送別の宴だが、どうか記憶に残るひと時を過してください」と感謝と惜別の意を表した。 挨拶するヴァイヴァルス大使 左後方の女性は臨時代理大使を勤めるルナ・ルダカ書記
続いてヴァイヴァルス大使は次のように話した。「今日お集まりいただいた全ての友人の一人一人に心からお礼申し上げます。今こうしてここに立っているのが不思議な気持ちです。皆さんの協力でなし得た7年間の成果を思うと大変幸せだし、間もなくこの日本を去ると思うと寂しくもある。振り返ると内容の濃い7年でした。とりわけ両陛下のラトビア訪問(2007年)は、今後100年間ないかも知れない大きな出来事でした。協会と一緒に開催したラトビア語教室とラトビア語コンクールは大変意義深いものあった。この席に、優勝者や、最年少で入賞した4歳の北川青ちゃんも来てくれてとても嬉しい。ガイスマが誕生してラトビアの文化芸術を日本に拡げてくれたこと、大使館に様々な方をお迎えしたサロンコンサートなど一つ一つが思い出深い。皆さんのお陰で全国各地に係わり合いができ、多くの方と7年間一緒に仕事が出来たことは幸せだった。お会いしたお一人お一人が、ラトビアの為に本当に良い仕事をしてくださった。ラトビアに帰っても、日本との友好を一層深める様々なプロジェクトを実行するつもりだが、皆さんからの提案などコンタクトをよろしくお願いしたい。私のメールアドレスも変わらないし、フェスブックにも随時発信して交流を深めたい。今日は本当にありがとうございました」。 通訳は堀口大樹理事が見事に務めたが、話の途中、「ダイキの貢献は実に素晴らしく、称えたい、感謝したい」と時間を割いて堀口氏に深い謝意を表した。「ダイキが翻訳に協力してくれたラトビア映画『ドリームチーム1935』は、スポーツと愛の素晴らしい内容で機会があったら見てください(EUフィルムデーズ2013で上映中、次回は6月15日17時・イタリア文化会館)」。 最年少の北川青ちゃんがお母さんと一緒に大使に記念品を渡す 大使の送別会ということもあり語録の大半を収録した。この日の参加者はほぼ全員がスピーチに立ち、大使もその一人一人と親しく握手し言葉を交わした。大使と参集者一人一人の心が通じ合った心暖まる宴だった。進行は田中亨理事(元駐ラトビア大使)が務めた。 終宴後は庭先で集合写真を撮り、6000坪の庭園を思い思いに散策し最後まで談笑を続けていた。午前中から振り続いた梅雨期独特の霧雨はいつの間にか上っていた。大使が得意のカメラで被写風景を探っている姿が印象的だった。昨年グランプリを獲得した在日大使館員写真コンテストの、今年出品作品が出来たかも知れない。【Latvija編集長 徳田浩】 庭園を散策する会長、大使ら
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最終更新日 ( 2013/06/12 水曜日 22:52:54 JST )
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