Home   トピックス   ラトビア語教室  
2024/04/26 金曜日 22:42:38 JST
Home arrow トピックス arrow 2012年10月のニュース arrow 【10月11日】ラトビア「歌の祭典」とアーリア人伝説
メインメニュー
Home
トピックス
協会案内
ラトビア音楽情報
協会ニュース「latvija」
検索
お問合せ
ラトビア語教室
協会合唱団「ガイスマ」
管理用エリア
【10月11日】ラトビア「歌の祭典」とアーリア人伝説 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2012/10/10 水曜日 18:42:37 JST

 ラトビア臨時代理大使も務めた当協会の田中亨理事が、ユニークなラトビア論を寄せられました。ラトビアには古代アーリア人の風習が色濃く残り(ラトビア人はアーリア人の子孫)、自然崇拝(信仰)が精神文化の支柱になっている…、このような国はヨーロッパでラトビア以外はないと強調されています。是非ご一読ください。(Latvia編集室)

ラトビア「歌の祭典」とアーリア人伝説 

                                                                                                             田中 享 

来年ラトビアの歌の祭典に行かれるということですので、ラトビアとはなにかというテーマを中心として、ヨーロッパとのかかわりや民俗学の立場からのいくつかの説を多少大胆にご参考として申し上げてみたいと存じます。

   当協会8周年レセプションで話す田中亨理事 

1.ラトビアとはなにか 

「ラトビアとはなにか」ということについてこんなことがありました。現ヴァイヴァルス大使が日本に着任したばかりのとき、日本を知るため京都を訪問した折のことです。三十三間堂を訪れたそうですが、帰京すると大使は私を呼んで「三十三間堂に風神の像が飾ってあり、それにサンスクリット語で「風の神」と書いてあったのですが、それが現代ラトビア語ではっきりと風の神と読めるので本当に驚きました」と言うのです。私も古代のサンスクリット語がそれほど現代ラトビア語と近いとは想像もしていなかったので驚きました。しかし私はラトビアにいたとき「ラトビア人は古代アーリア人の子孫であるという説」を聞いていたものですから、心中やはりラトビア人はやっぱりアーリア人の子孫と言う説は正しいのかもしれない思った次第です。現在のラトビア語が学問的にどんな言語かということにはご専門の方にお任せしたいと存じます。しかしながらラトビア語が大体古代サンスクリット語の流れを強く汲む言語であるということは間違いないようです(リトアニア語も同様です)。

 

 2.金枝篇(J・ヘレーザーの説) 

  アーリア人は、ヨーロッパの言葉が北部インド語、ペルシャ語と古典サンスクリットなどと親戚関係にあることが発見されたことを契機として大いに着目されるようになったことから始まります。そこから大昔に「アーリア語」あるいは「インド・ヨーロッパ語」という基礎言語が存在したにちがいないと考えられました。であればその言葉をつかったアーリア人という原始種族がいたに違いないと推定されました。ところがこのアーリア人というものがどういう人種であるのかについては、歴史の霧の向こうに隠れていて本当にいたのかということさえ疑問ある「幻の民族」なのです。そこに英国の民俗学の学者で「金枝篇」を書いたジェームス・フレイザーという人が「バルト三国地方や一部のドイツなどには古代アーリア人の風習が色濃く残っている」ということを指摘しました。アーリア人の発生した時期と場所については数千年前にコーカサス、ウクライナであるとか西暦紀元前17世紀にはインドに侵入したなど諸説あります。しかし考古学上の確たる証拠が発見されていないため学説も一致していません。この金枝篇は、キリスト教以前の古代ヨーロッパにおいて、人々が冬に森の中で葉を落とした樫の大木にヤドリギが金色に輝くのをみて、その「金の枝」に神の臨在を感得し信仰の対象としていたということをテーマにした本です。

 3.ラトビアの民俗学  

私がラトビアにいたとき、ラトビア大学の民俗学の権威、クルシニエーテ教授からこの話について教えを乞うたことがあります。すると教授は「私の宗教はカトリックです。しかしラトビアの古代民俗学を長年研究した結果、やはりフレイザーの言うとおり、ラトビア人はアーリア人の子孫ではないかと考えるようになりました」というのです。同教授は「戦前にはアーリア人は推定数千年前にコーカシア山脈のふもとに発生したという説が信じられました。アーリアとは高貴という意味です。ここからヨーロッパ人種をコーカシア人種と呼ぶようになりました。その後発生地についてはウクライナ説やインド説が唱えられたようですが確たることは不明です。この民族はサンスクリット語を話し、自然を信仰し、戦車を駆使した戦闘的な民族だったため、瞬く間にヨーロッパ全土を征服しました。さらにイラン、インドに侵入し征服しました。この征服の残滓が現在のインド・ヨーロッパ語族の起源ではないかと考えられているわけです。しかしながら前述したように考古学上の証拠がほとんどないため、真相は謎のままとなっています。

いずれにせよ、その後アーリア人は戦争や同化によって次第に弱体化し、結局現在のリトアニアとラトビアの地域やドイツの一部にその影響が一番残ったものと考えられています。この民族の古代信仰は汎神論的な自然信仰だったと考えられています。ラトビアにはいまでも森や川、大木、家、かまど、井戸などいたるところに850にのぼるさまざまな自然神や女性神がいたとされています。アーリア人は卍字を吉祥の印としてつかっていました。

ラトビアではマーラ女神が一番最高位の神とされてきました。マーラはキリスト教が入ってくるとマリア信仰と習合し一層大切な神とされました」との説明でした。ラトビア人がすぐ小高い丘に登って歌を歌う性癖については、「それはラトビアでは自然信仰と太陽信仰、豊穣祈願がキリスト教以前の原始宗教の残滓として強く残っていることが原因です。とくにラトビアの古代信仰では「山が宇宙の中心」という強い信念があります。ラトビアは氷河時代に数キロの厚さの氷床に押しつぶされて国土がまっ平らになってしまいました。このため高い山は一切ないのですが、かわりに丘がたいへん尊敬されてきました。それは山や丘は豊穣をつかさどる太陽に一番近い頂点であり、天に近い頂であるという信仰にもとづくものです。ラトビアの古代信仰が山を宇宙の中心とみるのは失われた故郷コーカシア山脈を懐かしむ記憶の残りかもしれません。また神は天にいるとの信仰があったためではないかと考えられます」とのことでした。

 

 4.自然信仰

  ラトビアの歌は、より原始的で農民的で口承文学的な自然崇拝の要素を色濃く残しているようです。ラトビアには「聖なる森」あるいは「聖なる林」という信仰もあったそうで、そこでは樫の木は男性と勇気を意味し、ライムの木が女性を象徴しました。歌の祭典で樫の若葉の冠をかぶるのは樫の聖性と生命力を身につける行為なのでしょう。日本の神の依代を連想してしまいます。ヴァイヴァルス大使によればラトビアには昔の日本の「歌垣」に似た習慣があり、歌やリゴの祭りのときに若い男女が手を携えて森にはいる習慣があったそうです。古代の豊饒信仰を髣髴とさせます。このようにラトビアの歌の歴史には、明らかにキリスト教とは異なるヨーロッパの古い自然信仰がひそんでいるように思われます。

 5.自然信仰が残った理由 

  ではなぜこのような自然崇拝がバルト三国一帯に残ったのでしょうか。多分それは第一にバルト三国は中世ヨーロッパにおいて「隠れ里」のような辺鄙な地であったこと、第二にドイツ人植民者がカトリック教を持ち込んだのは、リガを征服した13世紀(1201)ですから、ヨーロッパで伝えられたキリスト教としては最も遅かったこと、第三に植民者ドイツ人は基本的に城塞と荘園の館に住み、ラトビア人は荘園の内外の農地に囲い込まれ「絶縁」されていて、その古い言語と習慣を守ることができたということなどが一因だったと考えられます。

なお余談ですが最後に歌の祭典に参加するに際しては、ラトビアの自然信仰と信念では、列を作るときには偶数は死の象徴としてタブーとなっていますので、生命を象徴する奇数の人数で並んでください。このことは大切な儀礼となっていますので、ご注意ください(花の数も同じです)。

 

 6.結び

  私はラトビアの真の意味は、ラトビアが単にラトビアというだけでなく、第一にアーリア人の遺風が残っているといわれることと、第二にその精神文化としての自然信仰が残されているといわれることの2点だと思います。アーリア人は全ヨーロッパをつくった基礎民族だったのですから、どのような民族であったのかということが知ることは西欧理解にきわめて大切です。またそのような古代民族が自然崇拝を行っていたことが実に面白いと考えています。このような国はいまヨーロッパにラトビア以外ないとおもいます。日本人にとってもお釈迦様をつうじてなんらかのご縁がある可能性があるのですから興味津々です。ウチの旦那も三昧も舎利も盂蘭盆もみなサンスクリット語です。梵字はサンスクリット語そのものですし、日常語にたくさんはいっています。 未知のことが多いのですが、ラトビアは世界的な水準でも民族学の宝庫であるように思えます。日本人がラトビア人と一緒にいるなんとなく心の安らぎを感ずるのは、この「自然への尊崇の念」が一致しているからでしょう。ラトビアを知ることによって、ヨーロッパについて社会の深層を覗き知的地平線を広げることが出来るのは、本当に得難い楽しみです。 ラトビアについて民俗学の立場からクルシニエーテ教授の説をご紹介しましたが、されに新しい発見をされることを切望しております。(了)

 
最終更新日 ( 2012/10/11 木曜日 21:18:16 JST )
 
< 前へ   次へ >
ラトビア関連写真(写真随時追加)
mitubisi01.jpg
サイト内記事検索
人気記事