Home   トピックス   ラトビア語教室  
2024/05/02 木曜日 06:30:51 JST
Home arrow トピックス arrow 2011年6月のニュース arrow 【6月18日】藤井会長がラトビア讃歌連載開始1
メインメニュー
Home
トピックス
協会案内
ラトビア音楽情報
協会ニュース「latvija」
検索
お問合せ
ラトビア語教室
協会合唱団「ガイスマ」
管理用エリア
【6月18日】藤井会長がラトビア讃歌連載開始1 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/06/17 金曜日 13:05:03 JST

 

 

 

 音楽立国ラトビア讃歌(1) 

                   日本ラトビア音楽協会会長  藤井 威 

 

  皆様こんにちは。日本ラトビア音楽協会会長、元ラトビア大使の藤井威より、ご挨拶申し上げます。これから数回にわたり、バルト海東岸の小国ラトビアの音楽について、讃歌を捧げたいと思います。まず第1回としてこの国の国歌をご覧になってください。   

神よ ラトビアに 讃えあれ  

神よ ラトビアに 讃えあれ  

我らの愛しい祖国を  

ラトビアを 讃えあれ  ああ、讃えたまえ   

花咲く娘たちがいるラトビアを  

歌う若者たちがいるラトビアを  

そこで我らを幸せに踊らせたまえ  

我らのラトビアの地で    

               (黒沢歩:訳)  

いかがですか。ラトビアを讃えたまえと神に呼びかける冒頭はいかにも国歌らいしですね。でも、本体の部分はどちらでしょう。これは、歌う若者たち、踊る若者たちへの明るい讃歌であり、国歌としては、少し違和感を感じませんか。そうなのです。この歌の背景には、周囲をドイツ、ロシア、スウェーデン、ポーランドなどの強国に囲まれた小国ラトビアのたどってきた苦闘の歴史が隠されているのです。まだキリスト教も知らず、原始的な自然崇拝的宗教の下で、多くの部族国歌に分裂したまま静かに眠っていたラトビア民族の土地に、AD1200年頃、ドイツ宣教師と騎士団と冒険商人たちの一団が上陸し、この民族を欧州大陸の厳しい抗争の中に投げ入れます。それから何と、20世紀に至るまで、周辺強国は次々にこの民族を支配下におき、ラトビア人の苦闘の歴史が続くのです。同じラトビア民族が、複数の強国に分裂して支配されているというような時期が長く続きます。  

  そして19世紀も半ばを過ぎる頃、ラトビア民族は、大国ロシアのツァーリの支配下にありました。ラトビアの人々は、各地区に分散して存在する民族特有の民謡-ダイナ-が一つの独立した言語-ラトビア語-で歌われていることに気付きます。そして、この事実の上に立って、我々は「同一民族なのだ」という自覚が芽生えるのです。そして、ついに機は熟し、1873年、民族の中心都市リガの郊外で、ラトビア各地域が誇る郷土色豊かな合唱団が集い、「第1回ラトビア歌と踊りの祭典」の開催にこぎつけます。長期にわたる他民族による支配に苦しんできたラトビア人にとって、これはまさに「歌によるナショナリズムの顕示」とも言える祭典でした。冒頭の歌は、この祭典の為に作られたのです。もう一度、歌詞をよく味わって下さい。これは若者たちの歌と踊りへの讃歌であり、歌による民族意識の高揚そのものでした。 

 この歌は、支配者ロシア帝国にとってはまことに不都合極まるものでした。ラトビアを讃えよとは何事か。ロシア帝国を、あるいはツァーリを讃えよ、であるべきだという訳です。当局は、この歌の合唱を強権をもって禁止する挙に出ます。次回は、これに対するラトビアの人々の対応に触れてみましょう。

  

花咲く娘たちがいるラトビア 歌う若者たちがいるラトビア 我らの愛しい祖国

 

  

※掲載写真も藤井会長がラトビア大使として在任中に撮影されたものです。 

 幸運を運ぶ鳥「こうのとり」       ラトビアは、1991年ソ連邦の崩壊という歴史的大変動の中で民族の悲願「独立」を達成した新興国バルト三国のまん中の国。面積は6万5千平方キロメートル足らず、人口も240万に過ぎないが、氷河時代に形成された平坦な国土は、多くの湖と湿地帯や森林地帯を有し、豊かな植生と多様な野生動物に恵まれている。こうのとりはこの国のカントトリーサイドに広く見られる。毎年4~5月に飛来し、ひなを孵化すると、8月末には再び南へ旅立ってゆく。ラトビアの人々は幸運のシンボルと考え、庭先の電柱などに作られた巣を大事にする。

最終更新日 ( 2011/06/20 月曜日 11:01:09 JST )
 
< 前へ   次へ >
ラトビア関連写真(写真随時追加)
fujii0786.jpg
サイト内記事検索
人気記事