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【5月31日】被災地復興支援合唱コンサートなど PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/06/01 水曜日 01:00:07 JST

片(2011年8号)

 

 

                                          Latvija編集長  徳田 浩 

 

 災害下の日本で音楽が持つ無限の力をこれまでも記してきたが、当協会関係の若者たちが次々に被災地を訪問して復興支援合唱コンサートを行い、厳しい生活を続ける人々にひと時の安らぎを与えて、温かい拍手を受けた。若い人たちの積極的な行動に心を打たれた。 

♪…第1回ラトビア音楽祭で美しいテノール・ソロを披露し、ガイスマの一員としても出演した佐藤拓君が、早稲田大学グリークラブ同期OBを中心に20数名の有志を募り、52122日の土日を利用して一関市から気仙沼市、陸前高田市の避難所7箇所を訪問した。推進した佐藤君は岩手県出身で、故郷の人たちの長引く避難所生活の中、合唱を通じて少しでも心休まる時間を持ってもらいたいという純粋な思いを現実にした(今回の大地震・津波で被災したグリークラブの現役やOBも多い)。併せてこのプロジェクトの為にOBに呼びかけて賛同を得た義援金と、今回の参加者各自の知人から集めた総額40万円超を手渡した。この日の為に「上を向いて歩こう」「北国の春」なども編曲して演奏し大喝采を浴びた。被災した現役の須藤君の両親、祖父母も来場し、息子・孫が入部したワセダグリーの演奏を初めて生で聴いて大感動、OB会からの支援に深く感謝の意を表された。参加メンバーの交通費・宿泊費はもちろん自弁。陸前高田のコンサートは地元に岩手日日にも紹介された。佐藤君は2002年度の学生指揮者で、87日に大阪ザ・シンフォニーホールで開催される第18回東西四大学OB合唱演奏会の稲門グリークラブ指揮者に抜擢され、毎週土曜日に精力的な練習が続いている(稲門グリーの演奏は「四つの仕事唄(作曲編曲:小山清重)」。本番の櫓太鼓を現役の2年生が務めるのも大きな話題。

 ※早稲田大学グリークラブOB会が募集した義援金は174名から1247290円が集り526日の幹事会で被災した現役部員に手渡された。 

♪…当サイトの構築者、鈴木敬介君の同期有志(早稲田グリー2007年卒)が、計画的避難地域に指定された福島県川俣町の山木屋地区で演奏活動を行った。大学時代に世話になった花農家「夢農園」にちなんで「夢農園グリークラブ」と命名し、震災後、この地域の方々と交流を深めた。この地区に住む人たちは早々に避難外地域へ避難しなければならないが、町民の早稲田グリーへの愛着が強く、“夏には現役を連れてきて演奏して欲しい”とリクエストされた。一日も早く自宅での生活を取り戻されるよう祈りたい。 

♪…当協会合唱団「ガイスマ」のソプラノで練習ピアニストも務める米塚美奈子さんが、母校の純心女子大学合唱部や出身高校の仲間たち10数人と23日のスケジュールで陸前高田、大船渡、釜石の避難所を訪問し、清純な女声合唱で被災者の心を癒した。併せて若い女性特有の細やかな心で被災者たちと対話を深めた。「すっかり東北弁になって東京に帰ってきました」と米塚さん(彼女は岩手出身ですから本来の言葉に戻ったというべきかな!)。一行はバスで現地を往復し、宿泊も高校時代の先生や友人のお世話になったという。米塚さんは第1回ラトビア音楽祭で佐藤拓君のテノール・ソロの伴奏を務めた。現在は中学で音楽を教えている。期せずしてあの時の二人が同時期に避難所で演奏活動をしていたことは何とも嬉しいニュースだった。 

♪…音楽を通じた人の出会い 早稲田にはグリークラブの他に、コール・フリューゲルという男声合唱団が積極的な活動を続けている。昨年の東京都合唱コンクールでも銅賞を獲得するなど常にハイレベルをキープしているが、東京の他大学男声合唱団が部員不足に悩む中、早稲田に二つの優秀な男声合唱団が共存していることを早稲田の音楽OBとして常々誇りに思っていた。ただ、フリューゲルのOBとはこれまで個人的に交流がなかった。ところが最近、3人の人たちと親しくなった。 

  コール・フリューゲルの現役・OBで組織する合唱団・甍(いらか)会が今年の8月に50会記念演奏会を行うが、当日のプログラムにこれまでの50回を振り返る冊子を作るという。そもそもコール・フリューゲルは1948年~1950年にグリークラブに在籍した故・関屋晋氏が、同好の仲間を募ってグリーから独立して作った合唱団。だから創立は1950年(昭和25年)ということになる。これは早稲田グリー史における最大の危機でもあった。しかし私は自分が編集した早稲田グリー100年史の中で、“如何にも早稲田らしい前向きの分裂騒動”と、関屋氏がよりよい合唱を目指した姿勢と行動を評価した。同時にこの事が当時のグリークラブメンバーを発奮させ、より充実したクラブに発展させた。 

  今回の冊子編集を担当している宮本明、井内誠、山口敦の3氏(いずれもプロの編集者)が、グリー史編集を担当した私を訪ね当てた。私より遥かに若いが、同じ早稲田で男声合唱に青春を燃焼し、今も熱烈に合唱を愛し続ける彼等に、仕事も含めて意気投合した。お互いの思いを熱く話し合った。宮本氏は学生指揮者出身の美声の持ち主、井内氏は関屋氏の秘蔵っ子と言われた本格テノールで、当然ながら3人とも晋友会合唱団の中核メンバーでもあった。そもそも、災害地支援「祈り」プロジェクトで出会った山口氏と親しくなったのがきっかけだったが、こうした音楽を通じた出会いは本当に嬉しい。宮本氏は石川了君(当協会会員)と1年違いで音楽の友社に入社、時の直接の上司が黒沢幸男元同社常務(当協会常務理事)だったというから世間は狭い。井内氏はグリーの武内正幹事長と同時というから、あの年は早稲田に凄いテノールが入ったことになる。山口氏は現在、音楽の友社のフリーライターで素晴らしい記事を書いている。こんな有能で情熱の持ち主が協会に加わってくれればと、ふと思った。余談ながらグリークラブ史に十分書ききれなかった分裂にまつわる1949年~1950年の詳細を、彼等の助けも得ながら何かの機会に書きおきたいと念じている。 

最終更新日 ( 2011/06/02 木曜日 09:09:51 JST )
 
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