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【8月22日】森川はるかレポート3 夏至祭 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2010/08/21 土曜日 22:13:32 JST

 森川さんのラトビアレポート最後は夏至祭です。ラトビアの人たちにとって夏至祭は、一年を通じて最も待ち侘びる最大のお祭りで、祖国を離れて世界各国にいるラトビア人たちも盛大に祝います。今年がリガで2度目の体験だという森川さんの目に、どんな風に映ったのでしょうか。なお、3回にわたる森川さんのレポートの感想を編集室にメールでお送りください( このメールアドレスはスパムボットから保護されています。観覧するにはJavaScriptを有効にして下さい )。Latvija編集室】

――Līgosim

 夏の太陽と戯れるために、そう毎年ラトヴィアから呼びかけられる気がしてなりません。 

太陽が最も長く留まる日に、ラトヴィアのみならず周辺の北欧諸国でも行われる夏至祭。太陽をたたえる祭りであり、彼らにとって短い夏を楽しむための一つの大イベントでもあります。バルト三国もそれぞれあるものの、最も大きなものがラトヴィアだと言われています。短い夏や太陽を祭るお祭りであるのは確かですが、もともとJāņis(ヤーニ)は聖ヨハネのことであり(英語で言うJohnに当たります)、火を焚くことも実はキリスト教の聖ヨハネを祀る行事に由来していると考えられています。おそらくドイツ人のもたらしたキリスト教と土着の太陽崇拝が融合して「夏至祭」の文化が生まれたのでしょう。

ラトヴィアの民俗文化の最たるものと言えばこの夏至祭、実は私の大のお気に入りイベントでもあります。今年で2回目の夏至祭参加でしたが、友人のヤーニスの家での夏至祭の様子と、リーガの様子をお伝えしようと思います。

 

夏至祭の前日である622日。この日リーガの旧市街では草の市が立ちます。草の市とはこの夏至祭のための市場であり、大聖堂前の広場に民芸品、抱えるのに一苦労するくらい大きな黒パンやチーズなどの食べ物、民族衣装などが売られ、また人々の音楽ステージも行われます。

因みにこの夏至祭が近くなると、人々は別れ際に、「良いヤーニを(過ごせるように体に気をつけてね)」と声を掛け合います。我々日本人が年末になると「良いお年を」と言い合いますが、それと同じようにラトヴィアではそう言います。ただ彼らの場合は買い物の時やちょっとした会話をし合っただけの時でもします。こんな温かい人々の光景が見られること、これも夏至祭が大好きな理由の一つでもあります。

 

 そして今年、これほどの大きな試みは初めてのことだったようですが、「Līgosim Rīgā!」というイベントがリーガで行われました。これはリーガでの夏至祭イベントということで音楽ステージやダンスなどが終夜行われ、「終わりは日が昇るまで」と看板に書かれていました。今まで夏至祭は家族や親戚、友人や隣人同士という小コミュニティでのものや、野外博物館でするものが主に感じられましたが、最近ではこのようなリーガ市内で行うイベントとして不特定多数のコミュニティで共有される形にも変わってきているようです。コミュニティややり方が変化しているとはいえ、ラトヴィアにとって非常に大きな伝統的行事であることは変わりなく、また国民的行事としてとても重要なものであることは変わりません。

 

この夏至祭は623日夕方から24日の明け方まで行われます。そのため23日は大方のお店は早々と閉店しますし、24日はほとんどのお店は休みで、スーパーが昼頃から開くかといったところです。また23日と24日の公共交通機関は混雑するため増便したり、一部では料金を値下げしたりするようです。国民休日である24日ほどラトヴィアが静かな日はありません・・・・・・旧市街も誰一人としておらず、店も博物館も真っ暗。時々団体ツアー客が怪訝な顔をしつつ通り過ぎていくのを見かける程度です。

今年見つけたちょっと面白いものを紹介します。この夏至祭前まで、大通りの分岐点に大型のベッドのオブジェが飾られていました。その意味は「よく寝てから運転しよう(夏至祭で酒を飲んでそれから運転するのではなく、よく寝て酔いを醒ましてから運転しましょう)」ということだそうで、やはりこの夏至祭の大きさを感じさせられます。

 またこの夏至祭が近づくにつれ、新聞での挿絵で必ず男の人一人は樫の葉で編んだ冠をかぶっています。これが夏至祭の主役Jānisの象徴なのですが、「もしかするとこの人の名前はヤーニスかな」とこの時期特有の遊び心が窺えます。また夏至祭当日の新聞では「全国のJānisさんとLīgaさん、おめでとう!」となんと新聞びっしりの全国のJānisさんとLīgaさんの名前一覧が出ます。何ページにもわたって細かく書かれているのですが、夏至祭におけるラトヴィアの国民性が感じられて、思わずくすぐったい気持ちになりました。

   Līgo,līgo!」リーゴ、リーゴ! 人々はこの日、夏至祭を祝う挨拶としてお互いに掛け合います。 

 623日の夕方頃、人々はそれぞれJānis(ヤーニス、男性名)という名の人の家に集まります。23日は名前の日で言うとLīga(リーガ、女性名)の日で、24日がJānisの日に当たります。

 私は友人と一緒に、スィグルダ近くのクリムルダという所に住む彼のはとこのヤーニスを訪ねました。皆は民族衣装に着替えますが、私は荷物を置くとそのまま花冠編みへ。樫の葉やマーガレットなどを合わせながら女性は自分用の花冠を編んでかぶります。男性は「ヤーニス」のみ樫の葉で編んだ冠をかぶりますが、他の人はかぶりません。今年は私も「ラトヴィア娘」風に髪を三つ編みにして花冠。すっかりラトヴィア人気分でした。

 

 ヤーニスの家族、友人、親戚などが次々と集まってきました。この日ヤーニスのもとへ集まる人々は皆「Jāņu Bērni(ヤーニスの子供達)」と呼ばれ、歓迎されます。「あ、お客さんだ!」そんな声に振り向くと「Līgo, Jāni~♪」と人々が向かい合って「お出迎え」の歌を歌っていました。

 こうして友人の友人、隣人など大勢集まるため、実は初対面同士ということが多いです。昨年初めて行った時「日本から来たの?今年の夏至祭はインターナショナルだね」と言われたほどでしたが、今年も日本(私)とアイルランドから来た人がいたので「毎年いろんな国から来るね」と笑っていました。アイルランドから来た青年は留学生で、その彼女がラトヴィア人なのでこの夏至祭に連れられてきたとのこと。「全くラトヴィア語は分からないんだよね・・・」と英語で苦笑していました。夜中に焚火をして皆で飲んだりしながら歌を歌うのですが、皆がラトヴィア語で歌っているのに自分は全くわからないと肩身の狭そうな顔を私に向けていました。しかし実際には私もラトヴィア語で皆と一緒に歌っていたので、「ほら、この子はラトヴィア語がちゃんとできるのに、お前は全然だめじゃないか」と彼のラトヴィア人の友人に突っ込まれていた時は、さすがに私も苦笑してしまいました。

 

ごちそうを飲食し、遊び、焚火をしながら歌い合うこのお祭り。 

 

ごちそうではキャラウェイ入りのチーズ(ヤーニのチーズと呼ばれます)とビールが必ずふるまわれます。このヤーニスの家では農家なので自家製のイチゴやキャベツといった果物や野菜(生で食べます)も並べていましたが、他にもピクルス、肉入りのパンやデニッシュ、ケーキ、サラダや焼いた肉などもありました。

他にも皆で伝統的な遊びをしたりします。例えば全員が輪になって二人組になって「アダムには7人の子がいた~♪」と歌い、歌が終わったら中央の二人組がすることを真似るというゲーム。全員が二列に分かれて「一人一回まで」しか叩けない条件でどちらのチームが早く釘を木に全部打ちこめるかというゲーム。他にもいろんなゲームがありますが、こうすることで初対面同士でも仲良く楽しむことができるので、まさに「お祭り」の大きな意味を担っていると言えるでしょう。もちろん「私もやりたい!」と言って笑いながら一緒にゲームを楽しみました。

段々と陽が落ちるものの、それでも日没は夜の10時半頃です。夕方になってくると人々はメインである焚火を行います。一面畑の所にあるこのヤーニスの家では遠くまで見渡すことができるので、時々遠くに焚火の火が見えることがあります。「あ、あの家でも夏至祭をやっているね」とそんな温かな気持ちになります。枝を積んだところに火をつけ、皆で飲みつつ歌います。誰かがこれを歌いたいと言って始めるのもあれば、歌っていた曲から単語や言葉を連想してそれを含んだ歌を探して歌うこともありますし、思い思いに歌います。もちろんこの夏至祭にちなんだ「リーゴ」の歌も歌ったりしますが、民謡や歌謡曲的なものも歌ったりします。合唱としてハーモニーをそれぞれ歌ったり、手を叩いたり口笛を吹いたり、歌集を手にしながら楽しく歌い合います。こうして皆でたとえ初対面でも同じ時間を過ごす楽しさというものは、古くから大切にされてきたに違いありません。

さて歌も何曲も歌い終えた後はいろいろとありますが、今年は真っ暗の中皆でサッカーをしていました。ちょうどワールドカップの時期もあったからだと思いますが、「真っ暗だからボールが見えないね」と冗談めかして遊んでいました。この夏至祭の日は終夜起きていなくてはいけないのですが、これは「夏至祭に眠った者は怠け者になる」という言い伝えからです。とはいえ寒暖差の激しいこの時期に終夜起きているのはなかなか私にとっては大変なのですが・・・・・・。因みに女性はこの時にかぶっていた花冠を一年間保存しておき、焚火が下火になったころにこの花冠を火の中に投げ入れる風習があります。

大体午前3時半くらいになると薄明るく空の色が変わり始め、4時半くらいには日の出になります。干し草を丸く針金などでまとめたものを持って、皆で近くのガウヤ川へ行きます。ガウヤ川の川辺とはいえ山の中にある川といった具合なので森の斜面を利用して、火をつけた干し草を転がすということをしました。それから枝を組んで小さな筏のようなものに同じく干し草に火をつけて川へ流す。実はこの干し草は太陽の象徴であり、それに火をつけて流すことは太陽の復活を祝うことと言われています。そしてその火のついた干し草が流れていくのを見やりながら、歌を歌います。去年は皆で民謡を歌いましたが、今年は一人がギターを弾いて歌っていました(この方はミュージシャンだそうです)。静かな夜明けに火を眺めながら歌う光景は何とも趣深く感じられます。

こうして人々は家々に戻っていき、24日の日中は街全体、国全体が寝静まるのです。ラトヴィア語の新聞でもロシア語の新聞でも「リーガでリーゴの大イベント」と大見出しで書かれたり、このリーゴに対する評価をロシア語紙で取り上げられていたりと、ラトヴィアに住む人々にとってこの夏至祭はとても大きな生活の一部になっているようです。

 

焚火をして太陽を長く引き留め、北国の短い夏を祝う。太陽をたたえ、その復活を祝い祈る。夏至を祝うことがこれほどに大きなものとしてこの現代にも残っていることは、素晴らしいことではないでしょうか。この時歌われる歌は大概小さいころから聞いていたから自然に覚えたということが多く、それだけ歌と伝統的な行事に身近に接してきたということが、人々の根底にあることが窺われます。

私は「ラトヴィアの人々は何故このような歌の文化を作り上げてきたのか、また現代も保ち続けているのか」ということを軸に研究をしています。その事例として歌と踊りの祭典は大きなものとして挙げていますが、私はこういった伝統的民俗行事や文化も大きく依拠していることは紛れもない事実だと認識しています。夏至祭がただキリスト教と土着の信仰の融合体なだけではなく、人々の楽しみであったり、民族同士が互いを知る「出会い」のためのものでもあったり、歌による言語と文化の共有でもあったことでしょう。そして現代にも残ることはそれだけ、現代においても必要とされる価値あるものと人々が共通して認識しているものであり、私にはこれが人間の営みを見つめなおすものとして大きな切り口になりうるのではないかと、学問的好奇心が湧くところでもあります。

「日本において伝統を守るということはどう考えられているかい?」

夏至祭の夜にそうラトヴィア人の初老の男性から聞かれた時、胸が痛む感覚を覚え、はっとさせられました。「日本では伝統文化を大切にすることはあまりない」そう答えることがいかに残念か、これが必ずしも資本主義の功罪とは言い難いものの、我々の今世界に立たされている意味を見つめなおさねばならないように感じられました。「でも日本人は礼儀を大切にするでしょう?ここではそういうものがないから大変なものだよ」と彼は言いましたが、「いや、それは時にはストレスになるよ」と苦笑せざるをえませんでした。伝統文化を大切にすることは様々な意味をもつとは思いますが、ラトヴィアにおける夏至祭が人々のアイデンティティや生活、人と人とのつながりを生み出すものとしてずっと大切にされてきた・これからも大切にしたいものでもあるのです。

Līgotとは「夏至祭を祝う」という動詞であり、この他にも接頭辞がつけば夏至祭を祝うことに関する、様々な動詞になります。もともとは「揺れる」という意味をもったそうで、まさに皆で共有することを端的に表したものですし、この動詞の豊かさはそれほどこの夏至祭文化に重きを置いてきた彼らの歴史を感じさせます。

Līgosim1人称複数の形で勧誘の「一緒に夏至祭で祝いましょう!」という意味ですが、一人ではない、大勢で祝うことを前提にしており、また夏至祭の大切な役割が読み取れます。日本にはない、共同体を大切にする小集団による全国的対規模な行事が、ラトヴィア人という民族やラトヴィアの国を作り上げていると思います。

ロシア人や他の民族の人々はどうなのか、私はきちんと見たことはありませんが、祝う形は様々です。新聞の取り上げられ方を見ますと、歌の祭典より身近に感じていることは窺えます。ラトヴィア人達よりは小規模であるものの、ロシア人であればシャシリク(肉の串焼き)を饗したりすると聞いたことがあります。もちろん彼らにとっても休日でありますし、このことでの民族的差異を大きく唱えることではないようですが、この点に関してはまだ曖昧な部分が多いため、今後さらに調べていこうと思います。

 

   

写真① 焚き火と人々

  

写真② 全員集合

  

写真③ 花冠をつけて(右がレポーターの森川さん)

  

写真④ リーガイベントの看板

  

写真⑤ さすがに半分の半分を下さいとお客さんが言っていました

  

写真⑥ この時期の空港には夏至祭の飾りがついています

  

写真⑦ ご馳走

  

写真⑧ ガウヤ川にて

  

 写真⑨ 22日の草の市 

最終更新日 ( 2010/08/21 土曜日 22:22:12 JST )
 
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