Home   トピックス   ラトビア語教室  
2024/04/25 木曜日 08:03:41 JST
Home arrow トピックス arrow 2010年8月のニュース arrow 【8月16日】森川はるかレポート2 東ラトビア
メインメニュー
Home
トピックス
協会案内
ラトビア音楽情報
協会ニュース「latvija」
検索
お問合せ
ラトビア語教室
協会合唱団「ガイスマ」
管理用エリア
【8月16日】森川はるかレポート2 東ラトビア PDF プリント メール
作者 webmaster   
2010/08/16 月曜日 11:05:22 JST

 森川はるかさんのレポート第2弾は東ラトビア訪問記です。ローカルな列車の旅、第二の都市・ラウガウビルスや緑と水の町で知られるレーゼクネの様子と、そこに住む人々の生活ぶりなどが興味深く描かれています。東ラトビアはガイドブックにも殆んど掲載されていません。それだけに若い日本女性一人旅の感性豊かなレポーとは、ラトビアに関心がある方々にとって必読と言える内容です。なお最後に森川さん撮影の写真アルバムを掲載していますので併せてお楽しみください。【latvija編集室】

Esiet sveicināti Latgolā! 東ラトヴィアを訪ねて

 

リトアニアのヴィリニュスからシベリア鉄道のような列車の中のほとんどはロシア人でした。「チケット見せて」と言う車掌さん、隣に来る乗客・・・そんなサンクトペテルブルグ行きの列車に一人スーツケースを抱えて乗り込み、ガタゴトと夕方の東ラトヴィアへと向かいました。

ラトヴィア第二の都市ダウガウピルス。ここは58%の住民がロシア人で、ラトヴィア人は17%しかいません。ここではきっとロシア語の方が有用なのだろうと考えていましたが、ロシア語もラトヴィア語も1年弱しか勉強していない私にとっては少し不安でした。東ラトヴィアはガイドブックにも掲載されておらず、周囲で行ったことのある人がいないため、情報がない中で果たして大丈夫なのだろうかと車窓の夕暮れをただ一人眺めていました。

2時間後ダウガウピルスに降りると、その駅自体に特に何もない上、ここでの乗降客がほとんどいないことに気付きました。駅を「くぐる」と車も人もいない街の通り。第二の都市なのにあまりにも静かなので、反対に緊張がほぐれてしまいそうな気がしました。隣にいたタクシー運転手のおじさんに近づくと「どこのホテルだい?」と次々にホテルの名前を言い連ねるので、「いやいや、こっちの」と慌ててゲストハウスの地図を見せました。

それからタクシーに乗り込むとロシア語で「日本から来たのかい?」と聞くので、「その通り(大概中国人と間違えられるので正直驚きました)」とそっとロシア語で答えると、急にぱっと表情が明るくして「ロシア語が分かるのかい!俺なんて英語は全然できないんだよね」と叫びました。「いや、ちょっとだけですよ」と首をすくめる私を無視して、まさにハイテンションと言わんばかりに両手を離しながら運転をし始め蛇行運転に。「見て、ほら、あれが駅だね」「この店、あそこで酒とか食べ物とか買えるからね」「それからホテルで休んで」と大声で両手離し運転で街の解説をするため、何度もガコンガコンと車の壁にぶつかりそうになりました。

ゲストハウスでも優しそうなロシア人のおばさんが出迎えてくれました。英語が予想以上に通じないということを咄嗟に気付いたので、ロシア語と「外国語としての」ラトヴィア語を交互に交えながら会話をすることとなってしまいました!「ここが食堂ね、8時でいいかしら?」と親切に話してくれるおばさんに緊張がほぐれる間もなく、タクシーのおじさんに「是非また俺を呼んでくれ!」とメモを残し手に何度も接吻されました。私が階段を上ると、「いやぁ、あんなにちっちゃなお嬢ちゃんが一人でこんなところに来るなんて大したもんだよね」とおばさんと大声で話しているのが聞こえてきて、「ちっちゃなお嬢ちゃん」という言葉に苦笑してしまいました。

 

宿泊客も皆ロシア人で、街の人々も皆ほとんどロシア人でした。お店の表示などは全てラトヴィア語ですが(国語庁の政策上公の場は全てラトヴィア語になっています)、会話は全てロシア語。張り紙などもロシア語で、相手が誰であろうとロシア語で話しかけてきます。ラトヴィア語の新聞を手に入れることさえ難しく、お店に置いてあるものはほとんどロシア語新聞。若い人で時々英語が分かる人がいるかどうか危ういほどで、ラトヴィア語さえ聞こえてこないという、不思議な街でした。

中心地は都会的な建物があったり、ダウガウピルス大学はリーガにある建物よりもずっときれいで驚きましたが、一方中心地から離れるとまるで廃墟のような団地も見られます。第二の都市とはいえ、大きさの割に閑静です。また当然ながらロシア正教会が割合多いのですが、すぐ近くに大きなカトリック教会が建っているという、混在して並ぶ様はこの街の性質を表しているのかもしれません。

バルト三国唯一ほぼ手がつけられずに現存するダウガウピルス要塞が何よりも有名ですが、実は半分が一般人立ち入り禁止(軍事的領域かもしれません)で、半分はなんと住宅地になっています。教会やお店があるばかりではなくバスも運行されているほどで、ここに住む人は旧ソ連の軍事関係者の家族だと言われています。ただ中には独特のこの空間を気に入って住みつく芸術家もいるそうですが。

またこの都市はポーランドやリトアニア、モスクワと近いことから重要な運輸地点・有名な貨物駅でもあります。実際私が滞在していたゲストハウスは大きな貨物駅の目の前で、終日ロシア語で貨物の業務アナウンスが響いていました。だからこそラトヴィアにとって第二の都市として重要な位置になっているのかもしれません。

ダウガウピルスは正直に言いますと、あまり観光向きではありません。ダウガウピルス要塞は半分生活環境ですし、他でも特に見どころがあるわけでもありません。また私が行った7月初旬はカラカラの猛暑だったこともあってあまり外出せず、ゲストハウスの一人部屋でテレビを専ら見る生活。普段全くテレビを見ない私ですが、ここでは延々と夢中になってテレビを見ていました。何故ならこれほどダウガウピルスでの生活の一面を見る材料として、興味深いものはなかったからです!

チャンネル数はなんと57チャンネル。その9割はロシアからの放送でロシア語、ラトヴィアのテレビ局は7つしかありませんが大方それにはロシア語の字幕が付いていました。時々他国の放送も入りますが、ロシア語吹き替えだったりとまさに「ロシア人向け」で、果たしてこの街に住むロシア人はどれくらいラトヴィア語を分かっているのだろうかと考えました。ゲストハウスのオーナーの人もラトヴィア語を「外国語」として知っているようなくらいでしたので、ラトヴィアが持つ一面性としてこれほど深く感じるものはありませんでした。民族とは何か、そして国とは何でしょうか?国境とは、EUとは、地域とは一体何なのでしょうか?

私がこの街を歩いていた時、人々は必ず振り返り、猫はじっと見つめ、犬は絶えず吠えました。アジア人がいるということももちろん驚くべきことですが、まず「自分たち」以外の人がこの街にいることが珍しいことなのでしょう。英語もほとんど通じず、人々もお構いなしにロシア語で話しかけてきますが、そんな人々に接していると彼らの感情表現の豊かさと穏やかさを何よりも感じました。民族が混在していないほど治安も穏やかになる傾向はありますので、ラトヴィアにとっては皮肉かもしれませんが、まさにダウガウピルスはそうなのかもしれません。リーガでは正直なところ、人々の警戒心をよく感じますが、ここダウガウピルスではそういった空気もなく、どこか開放的で人々の温かさを覚えます。そして驚いたことに、洗濯物が外干ししてある!洗濯物を外に干すことは盗まれる可能性もありますので欧米では全く見たことがない光景だったのですが、ひょっとするとそんな所からも、この街の性質を物語っているかもしれません。

スーパーに入ってみると、さすがポーランドなどに近いこともあってポーランドからの輸入物や、ロシア音楽のCDも多く売られていました。また暑い街中ではどの都市でも専らアイスクリームが売られているものですが、ここではビール。さすがロシアですね(笑)。また、これがロシアの一面になるのか分かりませんが、自販機でコーヒーを注いだところ、どさっという音と共に大量の砂糖が落ちてきました!機械の調子が悪かったのか、それともロシア式コーヒーの飲み方なのか――

このダウガウピルスにいることで多くのラトヴィアの一面性に触れることが出来たと感じています。民族とは、そしてラトヴィアという国においてどうなっていくのか、祭典のことも考えながら私はレーゼクネへと向かいました。

   ラトガレ(東ラトヴィア地方)の心、レーゼクネ

 

そう呼ばれる都市に降り立った時、ダウガウピルスと対照的にも思えてくる雰囲気に驚きました。「緑と水にあふれた街」と形容されますが、まさにその通り。夏の光が柔らかく感じられるほどの穏やかな緑でいっぱいでした。実際に私が滞在したホテルの目の前には湖があり、昼間は人々の水浴び場になるのですが、早朝に散歩した時、靄と光を湛えたこの美しい水辺にため息がこぼれました。自然の豊かさを身近に感じられる、素敵な都市です。

 ダウガウピルスとは異なり、観光に力を入れているからか、通りや見どころを示す看板が多くありました。「ラトヴィアの統一のために」と掲げられた聖母マリアを思わせる女性の像が街の中心にあり、レーゼクネやラトガレの歴史などが書かれた看板やガイドブックも置かれ、ラトガレの陶器文化を示す事柄が多くありました。

 この都市ではラトヴィア人とロシア人が半々くらいなので、時々ラトヴィア語も聞こえてきて少し安心しました。ただ半々くらいとなると、余計に戸惑うもの。ロシア語で話した方がいいのか、ラトヴィア語で話した方がいいのか・・・この都市では観光化の流れからか、英語も少し通用するようになっていましたが、極力現地語で話したい私としてはなかなか悩みの種でした。スーパーで買い物をしようとしてもどちらの方がよいだろうか、違う方で話したら失礼だろうかと躊躇したものの、周囲の会話を聞きながら慎重に話しかけることを選びました。

 ラトガレ文化歴史博物館へ行ったのですが、若い女性にラトヴィア語で話しかけたところ、にっこり笑ってくれました。「日本でラトヴィア語を勉強しています」ということと博物館の感想を、置いてあったゲストブックにラトヴィア語で書いておきました。また本屋へ行った際にラトヴィア語テキストを購入したのですが、それを見て店員さんの表情が柔らかくなり、いつまでも私を見送ってくれたこともありました。観光客は多くなったものの、やはりこの街でもまだまだ「外国人」は珍しいようですが、ロシア語よりラトヴィア語が分かる人となると嬉しいようです。この点でも同じ東ラトヴィアでも違いがあることに気付かされました。

 

 ラトガレにはラトガレ語という一種の方言があり、またその話者はラトガレ人としての意識があるといいます。ラトガレ人はラトヴィア人の一員である意識から、ひょっとするとロシア人と対するものがあるかもしれません。しかしながらおそらく、私が躊躇するほど言語の問題をレーゼクネに住む人々はあまり露わにしていないように感じます。ただ彼らが日常接する時どのように感じているのかは定かではありませんが・・・・・・。

ダウガウピルスと異なった雰囲気を持つのは地理的環境ばかりではなく、民族構成も大きく影響していると思います。内陸で国境に近いからこそ容易にはいかない民族問題ですが、例えば言語の面でどううまく彼らがつきあっているのか、日本人である我々からすると少し想像しにくいかもしれません。ではアイデンティティは?このことについては様々な意見があるかと思いますが、再独立してから20年近く経つ今、もうこのことを際立てる必要性は以前より薄れてきたのかもしれません。

  

ダウガウピルスとレーゼクネ。どちらも同じ東ラトヴィアですが、似ているように見えて実は対照的な都市であるように思います。レーゼクネではラトヴィアとしての意識が高く、文化や都市のアピールをしているように見えましたが、ダウガウピルスでは穏やかな生活環境といった要素が強いように感じられました。

タイトルに挙げた“Esiet sveicināti Latgolā!”(ラトガレへようこそ)、これはレーゼクネでもらったパンフレットに書いてあったフレーズでしたが、果たしてこう言う人はこの東ラトヴィアにどれくらいいるのでしょうか。まずこの言葉を言うことにあたってラトヴィア語か、ラトガレ語か、ロシア語か。本当に「ようこそ」と言えるほど、人々が他の人々を受け入れるための心の準備が出来ているのでしょうか。私には、この言葉にラトガレとラトヴィアという国自体の多面性が見え隠れしているのではと、非常に興味深く感じられます。

 きっとこれから何度もこの地に私は足を運ぶことになるでしょう、ラトヴィア語で「こんにちは」である“Labdien!”と言いながらロシア語で「こんにちは」にあたる“добрый день!”を笑って加える、そんな日常に我々は生きることにおいて何か大切な部分を見いだせるのではないかと考えながら。

 

   

写真①正教会

 

  

写真②貨物駅 

 

 

   

写真③レーゼネク公園

 

 

 

 

 

写真④レーゼネク湖

 

 

 

 

  

写真⑤レーゼネクの古城

 

   

 

 

写真⑥レーゼネクの像

 

 

 

 

   

 

 

写真⑦ダウガビルス要塞1

 

 

 

 

 

   

 

 

写真⑧ダウガビルス要塞2

 

 

 

 

   

 

 

写真⑨ダウガビルスの通り1

 

 

 

   

写真⑩ダウガビルスの通り2  

最終更新日 ( 2010/08/16 月曜日 11:20:42 JST )
 
< 前へ   次へ >
ラトビア関連写真(写真随時追加)
image0083.jpg
サイト内記事検索
人気記事