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【8月29日】黒沢歩レポート「ラトビアにおける柔道」 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2009/08/28 金曜日 23:44:42 JST
   

 昨年、東京で黒沢歩さんと食事をした時、「日本柔道はラトビア柔道界と正式な交流がなく、私(柔道新聞編集長)も全く事情が分からない。機会があったら取材してくれませんか」と話したことがありましたが、それを覚えてくれていた黒沢さんが、ラトビア柔道連盟などを取材して素晴らしいレポートと写真を送ってくれました。ラトビアに於ける柔道の歴史、現状はもとより、柔道が発祥した日本を彼等が深く尊敬し、交流を望んできることがはじめて分かりました。写真の1枚に私は大きな感動を覚えました。道場の壁の中央に、柔道の創始者・嘉納治五郎の写真、その左右に日本国旗とラトビア国旗が常時掲示されているのです。

 ラトビアに日本流の礼儀正しい柔道が定着していること、旧ソ連時代もラトビアの選手がソ連代表選手として世界で活躍していたこと、ラトビア柔道界はいま宗家日本の援助を必要としていることなどなど、日本柔道界にとってはスクープ的内容です。

 私の個人的都合で目下「柔道新聞」は休刊中の為、柔道専門誌の最大手「近代柔道」に掲載する手配をしました(9月号・822日発売)。以下は同誌からの転載です。

このレポートが契機になって、日本とラトビアの間に柔道でも新しい友好関係が生まれるかも知れません。是非そうなるよう願っています。【Latvija編集長 徳田浩】

 

 切望される日本との交流 

1991年にソ連から独立を回復したラトビアは、バルト海に面する北東ヨーロッパの共和国である。旧ソ連時代から、ラトビア出身の柔道選手たちはオリンピックなどでメダルを獲得してきた。日本との柔道交流を熱望するラトビアの柔道事情を報告する。(黒沢歩) 

  

 

国内で盛んな柔道 

 ラトビアで広く人気のスポーツといえば、アイスホッケー、フットボール、バスケットボールです。他方で、剣道、空手、合気道、カンフー、太極拳も静かに盛んです。なかでも柔道は、ボブスレーやリュージュ、重量挙げと共にオリンピックでラトビア出身の選手がメダルを獲得してきた分野のひとつです。 ラトビア柔道連盟に取材申し込みのラトビア語のメールを入れると、さっそくに丁寧な返事を受け取りました。土曜日にもかかわらずリガ市内の近代的な連盟事務所に訪ねると、柔道連盟のアレクサンドル・ヤツケヴィッチ指導者代表(モスクワオリンピック銅メダリスト)が「スポーツ選手に土日はありません」と、広報担当者の女性と二人で快く出迎えてくれました。 

サンポとともに継承 

 旧ソ連邦圏において、柔道はサンボと共に継承されてきました。そもそも、ロシア圏における柔道の歴史は、1902年に極東生まれの孤児であったオシプコフ少年が京都へ送られたのち、東京のニコライ堂そばにあった講道館にて嘉納治五郎師範に師事したことに始まります。柔道一段を取得してオシプコフ氏は、1911年にモスクワに柔道の道場を開設し、自らスケッチ付きの指導書を書いて柔道の普及に努めました。ところが、スターリン時代になると、柔道は「外国の有害なものだ」と見なされ、それに従事する者は粛正されました。そのため、柔道をロシア語で「武器を持たない自己防衛」(略称サンボ)と改名することによって、継承されてきたのです。12歳のときにこのスポーツを始めたヤツケヴィッチ氏(現51歳)は、「サンボが柔道から派生したことは、我々は長いこと知らなかった」と言います。 ラトビアにおける柔道の歴史は、1950年前後にリガに軍隊のスポーツ組織である「クラブ・ジナモ」が設立されたことに始まります。ラトビア出身の選手はオリンピックで、1964年の東京、1980年のモスクワ(ここまではソ連代表として)、2000年のシドニーにて、いずれも銅メダルを獲得しています。ヨーロッパ選手権で三度の優勝歴を有するヤツケヴィッチ氏は、1984年に現役を引退した後はベルギーにて柔道の指導にあたってきました。2005年に、リド柔道クラブの設立と同時にリガに戻ってきました。

 経済危機も青少年育成に尽力

  

 現在、柔道を教える機関はラトビア国内に24あり、それらの国立体育大学、国と各地方自治体が運営する青少年向けスポーツ育成学校、民間の道場などで、合計およそ3千人が柔道に励んでいます。運営は一部は地方自治体の助成を受け、民間は完全に個人スポンサーと参加者の受講料で賄われています。柔道連盟理事長を務めるグナールス・キルソンス氏は、国内最大手のレストランチェーン「リド」の社長として大口のスポンサーです。国が深刻な経済危機に陥っている現在、青少年の芸術とスポーツ振興のための予算が今年秋以降にも帳消しにされる見通しですが、「経済停滞が大人に与える影響とは違って、子どもにはそれほど打撃ではない。親はいつでも子どもにスポーツ活動に参加させようとするものだから」と、2016年のオリンピックを目指して指導にあたっているヤツケヴィッチ氏は、ラトヴィアにおける柔道の将来性に自信を持っています。(写真 初心者〈子ども向け〉柔道教室は正座から始まる) 

日本との交流を熱望 

 ヤツケヴィッチ氏は、日本の柔道関係者と個人的な密接な交流はありますが、「ラトヴィアの連盟として日本との柔道交流を持とうと働きかけてきたが、いまのところ実現していない」そうです。毎年、9月(今年は9月26日)に柔道の国内大会「ゴールデンスコア」を実施していますが、これに「日本国大使への見学の招待もなしのつぶてだった」と述べています。国内大会が本格的な選手権というより「広告的な意味合いが強い」のは、大人の選手数が少ないためのようです。また、「両隣のエストニアとリトアニアにはある国のスポーツ発展計画を、ラトビア政府が持たないことが各スポーツ分野の発展を妨げる要因となっている」と言います。他方で、1016歳までの青少年の柔道は活発で、毎週末のように欧州内、バルト内、国内各地での競技会が開催されています。 近年建設されたばかりのオリンピックスタジアムの広々とした体育館での練習風景を見学に行くと、たまたまその日は、国内最大の夏至祭の前日でした。「明日の練習は夜7時からだ」と言われた若い受講者から「明日はお祭り…」と声があがると、ヤツケヴィッチ氏は「スポーツ選手にとっての祭りとは、競技大会あるのみ」とにこやかに諭す様子に、伸び伸びとした練習の姿勢を見ました。練習そのものが、ゴムボールを使った簡易サッカーによるウォーミングアップで始まっていました。隣のクラスでは、5歳くらいの男の子が成人女性や少年に混じって正座して先生の指導を受けていました。 リド柔道クラブは、毎年4~5回、Sport+JUDOというカラーの小冊子を発行して、ラトビアの柔道の普及に貢献しています。参照:ラトビア柔道連盟ホームページhttp://www.judo.org.lv/index.php?tema=&subtema=&ref_url=(筆責:黒沢歩、2009623日) 

  

毎年4~5回発行されている柔道専門小冊子 

 黒沢 歩(くろさわ・あゆみ) 

  大学卒業後、ソビエト崩壊後のモスクワで語学留学。1992年、来日した当時の文化大臣ライモンズ・パウエル氏(著名な作曲家)と出会いラトビアに関心を持つ。1993年、ラトビアの首都リガの日本語学校へ日本語教師として赴任、平行してラトビア大学でラトビア文学を学び、1997年、ラトビア文学修士号取得。その後、ラトビア大学日本語講師となり、通訳、翻訳で活躍。2000年に開設されたラトビア日本大使館勤務を経て、2006年、ラトビア大学現代言語学部日本語講師となり、現在に至る。2007年、天皇・皇后両陛下がラトビアを訪問された時、通訳を務めた。著書「木漏れ日のラトヴィア」「ラトヴィアの蒼い風」(共に新評論刊)は、日本にとって未知で遠い国・ラトビアの全てを足で取材し、ラトビアを知るためのバイブル的名著。信頼が厚い大統領自ら、巻頭に称賛のメッセージを寄稿した。ラトビアを愛し、あらゆる分野で日本・ラトビアの親善を深める努力を続けている。

  
最終更新日 ( 2009/08/28 金曜日 23:55:07 JST )
 
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