この夏最高の贈りものでした! エストニアが誇るエレルヘイン少女合唱団の東京公演を聴いてきました(7月30日・杉並公会堂大ホール)。エレルヘインは、エストニアの野に咲く花の名前(サクラソウ科)ですが、文字通り北の大地に咲く美しく可憐な花の歌声でした。今回の来日したのは15歳から20歳の可愛い少女たち41名。ffからppのレンジ幅が信じられないほど広く、ハイピッチで複雑な不協和音も、全くビブラートがない透明で淡彩な響きが会場いっぱいにこだましましたが、北欧の自然の中で育った人たちだけが醸し出せる音だという気がして、雑踏な中に生きる日本人であることが何か侘しくなりました。 名指揮者ティーア・エステル・ロイトメ女史の存在感も格別でした。一人ひとりを存分に歌わせなら一曲一曲を芸術性豊かに創り上げ、時には茶目っ気を垣間見せて、客席の全員を楽しく幸せな気分にしてくれました。“素晴らしい”とか“凄い”とかという表現を遥かに超えた素敵な演奏会でした。合唱がこんなに楽しく、素晴らしく、奥が深く、中身の濃いものだということ、そして歌う側も聴く側もこんなに幸せになれることを少女たちとロイトメ女史に教えられ、私にとってはこの夏最高の贈りものでした。 この夜、美智子妃殿下もお聴きになり、盛んに拍手を贈っておられました。天皇皇后両陛下がバルト三国を歴訪された時(2007年)、彼女たちがエストニアの「歌の広場」で、コーラスで出迎えたことへの返礼の意味もあったのでしょう。この日は、その時に披露した武満徹編曲の「さくら」をプログラムに加えましたが、演奏を終えて全員が深々と頭を下げて皇后に挨拶した瞬間は、本当に心が通じ合ったことが客席でもしっかり伺えてとても嬉しい気持ちになりました。ピーター・ミラー駐日エストニア共和国大使がお迎え役を務めました。 日本の作曲家・指揮者の松下耕氏は、ロイトメ女史と10年以上の長い親交がありますが、この日のプログラムに同氏の作品を3曲加え、客席にいる松下氏に振らせるというハプニングがありました。かなりの難曲をメンバーたちは一糸乱れぬ演奏を披露、ロイトメ女史はハグして松下氏を称えました。 絶品の演奏だったトルミス作品 プログラムはルーマニア作曲家のミサ(グロ-リア)に始まり、エストニアの作品はもちろん、イギリス、フランス、アメリカ、日本など世界各国の作品を加えていました。「虹のかなたに」などアメリカの歌になると発声までアメリカ的になってアメリカの合唱団のムードを醸し出したのには驚きました。本当に多彩な合唱団です。 この日の真髄ははやり後半のV・トルミス作品群(子どもの頃の思い出、合唱組曲「四季の図」(全11曲)でした。メンバーも最も緊張して歌いましたが、文字通り“絶品”でした。 演奏会の最後は、23年の交流がある新座少年少女合唱団と合同演奏で更なる友好を確かめ合っていました。新座少年少女合唱団が単独で美智子妃殿下作詞の「ねむの木の子守唄」を歌う場面もありました。 会場はほぼ満員でしたが、この演奏会を主催した日本エストニア友好協会東京支部の方々が大変な努力をされ、しっかり裏方を支えていました。価値ある催しでした。佐々木武彦氏、渡辺まり氏ら東京混声合唱のメンバーも数名来ていました。「2度エストニアへ行ってロイトメさんともどもバスで一緒に移動したりもしましたが、可愛い子ばかりですっかりファンになりましたよ」(佐々木氏)。私の斜め前に、堀口大樹ラトビア語教室講師も…、私の愚問に「ラトビア語とエストニア語は全く違います」。 ロイトメ女史(1933年生まれ、タリン国立音楽大卒)は大変な親日家で、豆腐、刺身で日本酒を飲むのが大好きだとか。暖かくで優しく、時には茶目っ気も発揮します。姉妹をチェリノブイリ原発事故で亡くされたことあって特別に平和志向が強く、同女史の強い希望で8月6日に、広島で演奏会を開催します。1989年、同合唱団の指揮者に就任し、素晴らしいハーモニーと芸術表現の豊かさで、世界中の人々を魅了する今日のエレルヘインを創り上げました。現在団員数は120名で、6歳~11歳と12歳~高校生の2組に分かれ、週2回、楽譜読解、和声、発声練習を含む、厳しく暖かい指導を続けています。 今回の日本ツアーは7月16に成田に到着してすぐ北海道へ飛び、釧路、札幌、盛岡、仙台、福島、秋田湯沢、東京、和歌山(8月3日・和歌山市民会館)、広島(8月6日・安佐南区民文化センター)、大阪(8月7日・フェニックスホール)と西下、8月8日に関空から帰国の途につきます。 ロイトメ女史余話 ロイトメ女史が2006年に来日された時、私の長唄三味線師匠である杵屋巳太郎氏(人間国宝)と素敵な出会いがありました。松下耕氏が同伴して巳太郎氏の稽古場に来られ、三味線の手ほどきを受けたり、当日集った耕友会、桜楓合唱団、巳太郎門弟らの有志で、三味線伴奏の「さくら」を斉唱したり…。その時の写真を公開します。昨日、ロイトメ女史に、これらの写真と掲載紙「Latvija6号」コピーを差し上げました。【Latvija編集長 徳田浩】 写真は東京月島にある杵屋巳太郎氏の稽古場で撮影、上は左から杵屋巳太郎氏、ロイトメ女史、松下耕氏 写真下は巳太郎氏から三味線の手ほどきを受けるロイトメさん
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