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【7月6日】第58回東西四大学合唱演奏会(7月5日) PDF プリント メール
作者 webmaster   
2009/07/06 月曜日 23:29:57 JST

 

圧巻だった早稲田グリーの「縄文ラプソディー」

 伝統に輝く東西四連の第58回演奏会が75日、昭和女子大学人見記念講堂で行われました。伝統・実力とも、大学の男声合唱をリードしてきた東の慶應義塾ワクゲル・ソサィエティー男声合唱団、早稲田大学クリークラブ、西の関西学院グリークラブ、同志社グリークラブのいわゆる《ビック4》が、昭和27年から年1回、一度も欠かすことなく、それぞれの最高の演奏を披露し、友情を確かめ合い続けた演奏会です。いつもながら緞帳が揚って、舞台後方に掲示された各団旗を目にし、全メンバーが各大学別に並んでエールの交歓が行われるひと時は、各OBにとってたまらない興奮を味わいます。今年は慶應が30名、同志社が22名、関西学院が43名、早稲田が約70名とオンステ数に差がありましたが、それぞれが伝統の力を充分発揮した演奏でした。

 とりわけ今年は、作曲者・荻久保和明氏が自ら指揮した早稲田の「縄文ラプソディー」が贔屓味を抜きにしても圧巻でした。

 

 ①慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団(30名)

 男声合唱組曲「柳川風俗詩」(詞:北原白秋・曲:多田武彦)を、音楽界の重鎮・畑中良輔氏の指揮で演奏。四連演奏会が始まった昭和20年代後半の作品だが、冒頭に、平野忠彦氏が柳川の情緒を豊かに語る朗読で雰囲気を盛り上げ、全ての点で素晴らしい好演だった。畑中氏の卓越した音楽作りはさすがで、古い作品とは感じられない新鮮さに満ちていた。

 

 ②同志社グリークラブ(22名)

 「北欧の風景」と題した、フィンランド、ノルウェー、スエーデンの作曲家作品集を演奏した。指揮は「なにわコラリアーズ」などの指揮で注目を集める伊東恵司氏(同クラブOB)。人数は少ないが、ステージ一杯に広がって一人ひとりが自信に満ちた表情で醸し出す透明なハーモニーが秀逸だった。一見地味なステージを終曲で一気に盛り上げた。

 

 ③関西学院グリークラブ(43名)

  6曲からなる無伴奏男声合唱曲「いつからか野に立って」(詩:高見順・曲:木下牧子=2003年)を、やはり関西を中心に活躍する実力派若手・本山秀毅氏(京都市立芸大出身)の指揮で演奏。戦前から賞を独占していた関学も一頃は人数が少ない時期があったが、いわゆる伝統の関学トーンは今日の数がベストと思われる素晴らしい響きだった。技術的にそれほど難しくない作品を極めて中身濃く演奏、ベースがとてもよく鳴っていた。“ブラボー!”の声が飛んだ。

 

 ④早稲田大学グリークラブ(約70名)

  1987年に同クラブが委嘱初演した「縄文ラプソディー」を作曲者・荻久保和明氏自らの指揮で演奏(ピアノ:前田勝則)。「噴煙」「賛歌・悲歌」と題されたヴォカリーズに、宗左近の詩集「縄文」からの「滝壺舞踊」に作曲したものを挟んだ3楽章からなる。極めて意欲的作品で、難解なリズム・ハーモニーと強烈なフォルテシモと極端なピアニッシモを要求される多彩なこの作品を、早稲田70名が一糸乱れぬ見事な演奏で、やはりこの日の圧巻だった。演奏が終って、しばし静寂の時…、それから嵐のような拍手が起きた。聴衆はこの作品の素晴らしさと好演奏に、完全に魅了され包み込まれていた。六連ではやや辛口に書いたが、この日の早稲田は贔屓目なしに“ブラボー!!”の熱演。目に感涙が滲んだ。ピアノの前田勝則氏も見事だった。

 

 ⑤合同演奏 

「合唱のためのコンポジションⅢ」(曲:間宮芳正)を、新進の指揮者・佐藤正浩氏(東京芸大声楽家出身)の捧で演奏。男声合唱の定番とも言える日本ムードたっぷりの作品を、早稲田の演奏で興奮したあと、楽しく聞いた。初めてこの作品を歌うメンバーも多かったと思うが、よく練習していて、全員が本当に豊かな表情で歌った。四連演奏会に出演したメンバーにとって、最も嬉しいステージでもある。今年はOB四連の合同も佐藤氏が「枯れ木と太陽の歌」を振る(726日・すみだトリフォニー大ホール・13時開演)

              

 

 

四連の伝統(第1回演奏余話) 

 

 東西四連演奏会は1952年(昭和27年)に始まりました。第1回は関西で行われ、東西の4強が一同に集るというので、京都、大阪での計3回の公演はいずれも超満員でした。各大学ともこの演奏会には特に力を入れ、以降、それぞれが歴史的名演を残しています。当初は各校2ステージと合同演奏という形でした。後に、この演奏会の為の委嘱作品も数多く生まれています。

 

 早稲田大学グリークラブ100年史に、第1回演奏会の為に西下した時のことを次のように記述しています(58年も前の話です!)。

学指揮からの指示 汽車の中は出来るだけ寝ること。ノドの乾燥を防ぐため“マスク”を用意すること。相手の関学、同志社はミッションであり、紳士的に行動すること。関西ではブランクが2日あるが、この日も練習するので自分の家や知人の家へ泊まりに行かないこと。服装は上下学生服。

919日の夜行で2・3・4年のセレクトメンバー40名が勇躍関西へ旅立つ。セレクトの基準は30名が出席順、5名が技術、5名が補欠。全員連れて行きたかったが、費用の点でやむを得ず残念。40名は遊びに行くのではないから演奏に集中すること。旅の恥はかきすて、なんでことは絶対にないように。

◎夜行列車は早慶合同で、翌朝、京都駅に出迎えてくれた関学、同志社の幹部を前に「都の西北」と「丘の上」をホームでハモりました。宿舎もやはり早慶合同で、同志社近くの相国寺大広間にずらりと煎餅ふとんを並べて泊まりました。

相国寺の変 早稲田の幹部部員が門限時刻に遅れて宿舎に戻り、若手メンバーのつるし上げに平身低頭して謝った事件。出演メンバーだった早稲田の岡村喬生(3年生)の珍芸(?)や、慶應の後のダークダックスのメンバーによるとっさのカルテット演奏で雰囲気を和らげるなど数々の話題を残しました。

※筆者(徳田)はこの時1年生でメンバーに選ばれず、郷里の奈良へ帰郷して京都での演奏を聴きました。第2回から第4回まで出演しました。

                    【Latvija編集長 徳田浩】

   
最終更新日 ( 2009/07/08 水曜日 16:54:26 JST )
 
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