第1回合唱指揮者交流プロジェクトに参加して

松原千振(常務理事)
=東京混声合唱団常任指揮者=

 ラトヴィアの首都Rigaは連日マイナス20度の寒さだった。時としてこうした厳冬は、北欧に長く滞在した私にはかえって心地良さを覚える。そしてこの気候が招来する文化活動への何らかの影響は、長く私の心にポジティヴなものを与えてきていた。
 ラトヴィアに生を受けた音楽家は、ギドン・クレーメル、ミシャ・マイスキ、マリス・ヤンソンス等が現在では著名だが、かつてはワーグナーが滞在し、ブルーノ・ワルターが指揮し、バッハの一番弟子だったヨハン・フリードリッヒ・ミューテルがオルガニストだったこと等を考えると、この国の存在に掛け替えのなさを感じる。
 そしてあの大合唱祭。1872年に始まり、5年毎とは言え、合唱活動に関わる者として、あのハーモニー、徹底した選曲と指導者のリーダーシップは、ただごとではなかった。そしてこの町に存在するプロ合唱団の数も尋常ではない。ラトヴィア放送合唱団、ラトヴィア国立合唱団、室内合唱団Ave Sol、オペラ合唱団…。
 今回の交流プロジェクトはこうした町にあるカセドラル少女合唱団を主体に行われた。方法もユニークで、これを単なる練習とコンサートに留めるのではなく、「合唱マスタークラス」という設定をして、参加者をラトヴィア全国から集め、日本・ラトヴィアの事に絞らず、集まった音楽教師、合唱指揮者のために技術的なセミナーを設け、文化プログラムでコンサートに趣きを与え、最後にマスタークラスとしての証書を発行している。かなり綿密であり、意義のあるイヴェントとしての試みに独自性があった。
 さてリーガ・カデドラル少女合唱団に今回演奏する楽譜を送付したのは確か昨年の10月だった。しばらくして指揮者のアイラ・ビルジィニァから、楽しく練習しているというメールが届き、11月に出会った時は、1月に入った時に再び練習するとのことだった。決して楽な曲ばかりではないと思うのだが、恐らく行届いた指導が行われていたものと想像する。
 1月17日、プロジェクト初日の練習で、まず、小倉朗「ほたる」を試みた。実に均質な音と自発的な歌い方は、有能な合唱団であることを感じさせる。こうした合唱団の一人一人は、時として集中力を失ったり、余談に熱中したりすることがある。それはそのとおりだったが、何か自らにミスを感じたりすると、愉快とも思える程の修正能力を示すのだった。練習が日々進むと、余裕(含む慣れ)が出てきて、楽しそうに歌う様子が何よりであった。
 このマスタークラスで、日本の童唄についてのレクチャーも行った。島国日本の童唄は、その有効性、歴史、調性、地理に特質があり、話しながら、聴きながら、見ながら、そして共に歌いながらのレクチャーは、参加者と合唱団員の積極性が助けとなった。
 最終日は終了のコンサートが行われたが、折からの厳寒により3人程が風邪で欠席という止むなきに至った。会場も寒い教会から、ラトヴィア・ソサエティ・ホールに変更された。しかし設定された座席はほぼ一杯となり、田中亨日本大使、Ave Sol指揮者のProfイマンツ・コカーシュ等の臨席を仰ぎ、さらに放送局関係者にも聴いて頂けた。
 「こきりこ」(小林秀雄編)は優れた作品であり、ソロが重要な役割を果たす。ソロを務めたLiigaは12歳、ピアノ、サックス、ギター、リコーダーを奏する年少のリーダーだった。そのLiigaが歌詞を間違えたが、その収拾能力には舌を巻いた。この稿には書き切れない。コンサート後、彼女たちはマイナス20度の中を帰宅していった。

写真説明:ラトビア国営放送からインタビューを受ける松原氏

秋にアイラ・ビルニージャ女史招聘
 指揮者交流プロジェクト第2弾は、秋にジンタルス、大聖堂少女合唱団の正指揮者、アイラ・ビルニージャ女史を招聘します。NHK児童合唱団にラトビアの歌を指導する予定です。詳細はHP及び次号でお知らせします。






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keisuke Suzuki(C) 2005