第1回指揮者交流プロジェクト
   -20度、厳冬のリーガで、松原千振氏が
      大聖堂少女合唱団に日本の合唱曲指導


国際交流基金の助成を得る

 松原千振指揮者(協会常務理事)を派遣してリーガ大聖堂コーラス学校少女合唱団に日本の合唱曲を指導するイベントに、加藤晴生専務理事及び頴原信二郎監事が事務局として随行した。このプロジェクトは国際交流基金の助成を得た。
15日(日) 9時30分成田空港で加藤、頴原合流。松原指揮者は別途の便。子供たちへのおみやげ(コンペイ糖などの砂糖菓子60個)等購入。アイラ・ビルジィーニャ女史(今回の現地パートナー指揮者、ジンタルスの正指揮者)、通訳のカッタイ氏ほかには事前に置時計等用意済み。スカンジナビア航空機に搭乗。12時50分離陸。23時32分コペンハーゲン着。現地時間15日15時32分。(以下現地時間)5時間ほどの待機。20時40分リーガへ出発。22時50分リーガ着。24時頃リーガ市・新市街のホテルへ到着。泊。
16日(月) 14時00分アイラさん、カッタイ先生が打合せのために来宿。
 今回の行事内容について。主催はリーガ大聖堂コーラス学校、松原先生の指導する団は『リーガ大聖堂コーラス学校少女合唱団』、サポートはリーガ市役所のエージェンシー「アベ・ソール・コンサートエージェンシー」で、マスタークラスの合唱講習会という形で開催される。講師は、松原さんを中心に発声の先生、声帯のお医者さん(ラトビア大学の教授)、ラトビアにおける音楽家・作曲家の系譜の講演者が参加。松原さんは日本の音楽、合唱曲の特性なのレクチャーも交えての講演となる。
 今年11月の日本でのアイラさんの指導する合唱団のことについて話し合う。15分から20分ほどのステージ用に指導する曲目案と楽譜の提供を求めた。
 ラトビアの女声合唱曲集の出版について。曲数、ページ割り、判型、コスト。種々のクリアすべき問題多いが、早く実現することで合意。
 日本ラトビア音楽協会主催のラトビア訪問旅行の内容について。ラトビア行事を含めた同国をよりよく知る、ということをコンセプトとする。ラトビア側から案が出れば日本の旅行社に組ませてみる。2008年のラトビア音楽祭には日本から合唱団を作って参加したい。15時50分頃終了。
 16時25分 在ラトビア日本国大使館に田中亨(すすむ)臨時代理大使を訪問。4月の在日本ラトビア共和国大使館開設についての話。11月のアイラさんの日本招聘。ヨーロッパにおけるラトビアの立場、情勢、音楽文化などのレクチャーあり。17時40分辞去。
 18時50分 運営委員兼リーガ連絡員のオレグ・オルロフさん来宿。居酒屋リドで食事兼滞在中の打合せ。
17日(火) 14時ごろ松原さんホテル入り。学校訪問準備。15時00分 アイラさんの車で松原、加藤、頴原学校入り。60名ほどの団員に紹介され、おみやげを渡す。16時10分から松原さんの日本の歌指導開始。「ほたるこい」「こきりこの歌」「田の草取り歌」「しゃしゃぶ」「アテネチ(イヌイットの歌)」「志都歌」「会津磐梯山」(練習順)。練習終了後、松原、加藤、頴原で大使館へ。
 18時30分田中臨時代理大使の招待夕食会。大使のヨーロッパ文化についての豊富な知識を拝聴。経済関係については加藤さん、音楽文化については松原さんの独壇場で大使も感心。22時30分頃お開き。
 18日(水) 9時30分 アイラさんの車で学校へ。10時00分?松原さんにより50人ほどのマスターコースの参加者(ラトビア国内の音楽関係の教師)に日本の歌のレクチャー。11時45分終了。ティーと軽い休憩。13時30分?別の部屋で、生徒の発声指導を見学。16時00分?この日の少女合唱団の練習場アベ・ソル(AVE SOL)へ。アベ・ソルは公共の演奏会場。講習会参加者ともども同合唱団の公開練習見学会。歌のほか、団員によるサキソフォンの演奏などレパートリーのご披露も。18時30分この日の予定終了。
 19日(木) 10時00分アベ・ソルにて日本の歌練習。12時00分?ラトビア国営ラジオ局の松原さんへの取材インタビュー。12時20分?松原さんによる参加者へのレクチャー(合唱団員もともに)。「鯨の子守唄」「うし」等二部合唱が直ちに出来上がる。「うさぎ」「何がある」練習。柴田南雄の「盆踊り」?4つほどのグループに分かれて違う歌を同時に歌う。不思議な歌空間の見事な現出に感心。14時終了。
 この日リーガ市民でもめったに経験しないという大寒波が襲来。リーガ市郊外では、朝は摂氏マイナス30度。昼間でもマイナス23度。30分と外にいられないほど。
 14時30分 加藤、頴原、リーガホテルでオレグさんと待ち合わせて翌日以降の打合せ。いったんホテルへ。
 18時30分 松原さんも合流してアイラさんの車で一大バイキング・レストランのリド本店へ。カッタイ先生、アイラさんのご招待夕食会。食事のあと地下のバーにて「バルザム」で乾杯。アイラさんの車で帰宿。
 20日(金) 9時00分?松原さんアベ・ソルにて合唱団の練習開始。11時00分?アイラさんの合唱団練習。14時00まで。
 13時30分 加藤、頴原はオレグさんと待ち合わせてラトビア・インスティチュート(ラトビアを海外に紹介する国の機関)へ。次長(ディレクター補佐)のレイモンド・セリュージス氏と会見。お互いのホームページのリンクを了解。ラトビア紹介の各種資料を受け取る。2月5日の日本ラトビア音楽協会第2回総会などで展示予定。LIのホームページの内容を日本語に訳して日本ラトビア音楽協会のホームページに載せるには別途の契約が必要とのこと。14時50分辞去。オレグさんと別れ、激しい寒さの中再びアベ・ソルへ。
 16時30分 ジンタルスのデルカビチャ女史を交えての夕食会へ。デルカビチャ女史、カッタイ先生、アイラさん、アイラさんのお友達のカルンツィエマさん(女性)、松原さん、加藤さん、頴原の7人での会。LAMBETUOKSKAFEJNICAレストラン。カルンツィエマさんはラトビアのオルガン演奏家連盟の会長さん。21時まで。デルカビチャ女史はこの夜健啖で、引退したけれどもジンタルスがあれこれ声をかけてくれて外に出る機会が多いと大変お元気の様子だった。お開き後カッタイ先生がこの大寒波の中、歩いて宿まで送ってくれたが、タクシー、市電などの公共輸送機関が大混乱を起こしており、先生が家に帰り着くのが随分遅くなったとのこと。
 21日(土) 厳寒のため当局のアドバイスによって午前中の練習は中止、夕方の演奏会場も「ラトビア人協会」のGUILDEDホールへと急遽変更となる。16時15分 演奏会。18時20分終演。田中大使「演奏中4回ほど涙が溢れてきて困りました…」。
 19時頃から移動して打上げ。団員は厳寒のためか早々に帰宅。カッタイ先生、アイラさん、アギラさん(アベ・ソル責任者)に日本から持参した置時計などの記念品(ネーム入り)を贈呈。お開き後、松原さんと頴原は田中大使の公邸へ。大使と松原さんの話が弾む。25時00分頃辞去。
 22日(日) 11時00分 松原さんの見送りの中、加藤、頴原はオレグさんの付き添いでリーガ空港へ。同氏の見送りをうけて13時15分離陸。14時30分コペンハーゲン着。17時57分コペン離陸。約11時間のフライト。23日12時43分成田着。(頴原記)






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keisuke Suzuki(C) 2005