遠くて近い国―日本 Japan―faraway and near

ジンタルス・スプリングス
(ラトビアTVカメラマン)


 私にとって日本の印象はなんといっても人々です。東京の街では夕方になると人々が大きな流れのように動き、私は人々の海の中のたった一滴のしずくになったような気がしました。早朝、港を出航する小さな漁船に乗った人々は海で朝日を見ることになります。真っ赤に燃える太陽が水平線からすばやく姿を現し、勤勉でよく働く国?日出る国?を目覚めさせます。これらの言葉を書くのは容易いことです。しかしこれらの言葉は何と正確に日本?その国土と人々の特徴を語っていることでしょう。
私は幸せかつ光栄なことに何度も日本を訪問しています。私はラトビア・テレビの視聴者のためにビデオ・レポートを製作する目的で日本の外務省に招聘され、この美しい国を知るようになりました。私は女声合唱団ジンタルスの日本コンサート・ツアーにも随行しました。稲門グリークラブと、とりわけ加藤晴生氏のご協力により、ラトビアの女性達は何度も日本を訪ね、その伝統文化、高度に発達した合唱文化、人々の心の暖かさを経験しました。
 日本では人間の生活が最も高度なテクノロジーにより支えられています。日本では人々は自然に耳を傾け、人々は彼らの生活を一年の季節に調和させています。何世紀もかけて培われた伝統と近代科学の成果が共存しています。ガラスやコンクリートの高層建築がどこにでもある一方、その中庭には、日本庭園の静けさ、流水、美と調和があります。人間と自然の双方が一体となって調和しているのです。
 私にはこの日本の世界と自然とのプロセスの調和のとれた見方こそが、ラトビア人の生きる知恵と共通していると思われます。それが両国の人々に親近感、共通の特徴、類似性をもたらしているのです。ラトビアのフォークソングと日本の歌はよく似ています。古典音楽から現代作曲家の作品に至る幅広いレパートリーを持つ、高度に発達した合唱文化では常により高度な演奏が要求され、それが合唱全体の発達を促進しているのです。日本でもラトビアでも同じです。それは親近感と連帯感をもたらします。日本外務省のある人が冗談に、ラトビアと日本はたった一つの国を間に挟んだだけの隣国であると言っていました。
 私は日本、その国と人々について、わが国のウルマニス前大統領が日本の天皇陛下に拝謁した際のプログラムの準備をした関係で、ビジネス、科学の分野でのトップクラスの人々を、また日常生活では一般の働く人々を、知る機会を得ました。私は常に気持ちの良い尊敬に値する人々に会いました。彼らのお陰で私の心の一部はこの遠くて近い国?日本のものになりました。
(翻訳:斉藤潤子)







ホームに戻る▲

keisuke Suzuki(C) 2005