当協会に大きな期待を寄せられていることを実感しました

専務理事 加藤 晴生


 
当協会は去る9月に創立一周年を迎えました。
私は現地側への挨拶を兼ねて早稲田大学グリークラブのバルト演奏旅行に同行、学生より一日早く10月9日にリーガ入りしました。空港には深夜にも拘わらず、カッタイ先生、ジンタルスの指揮者アイラさん、6月まで日本で活躍していたオレグさんが出迎えてくれました。空港ビルは2年前より更に拡充され、飛行機を降りてからイミグレーションまで結構歩かされました。
先ず感じたのは、ラトビアは急速に姿を変えていることでした。銀行の大きなネオンサイン、自動車の増加と渋滞(日本ほどではありませんが)…、かつてはなかったことです。旧市街の修復も進んでいます。
日本との交流もどんどん密になっているようです。私の到着した前日にはサッカーの親善試合があり、9月末には沖縄の太鼓のグループが来訪、そして10月30日には国立劇場で能の公演があるとのことです。初めてラトビアを訪れた92年頃は、日本人の来訪者は年間精々50人と聞いていました。
私は92年から昨年を除いて毎年訪問していますが、今回も多くの方々とお会いし、この国の文化・音楽関係者たちが当協会の動きに関心を持ち、大きな期待を寄せていることを実感しました。また、私たちの活動の実態を知り、これなら自分たちもスタートできるとの思いをもった様で、ラトビア・日本音楽協会の実現も遠い話ではないとの感触を得ました。
学生たちの演奏会はいずれも満員の盛況、特にラトビア人協会での演奏会には音楽界の錚々たる方々がお見えになりました。その中には自らも合唱経験を持つベルジンシュ前首相もおられました。グリークラブは期待をはるかに超える演奏をしてくれて客席からブラボーの連呼、現地の人々は日本の歌を堪能してくれたと思います。天候にも恵まれ充実した旅行が出来たと思っています。
来日経験2回の同国を代表するアマチュア女声合唱団ジンタルスは元気いっぱい健在です。今回もグリークラブの受け入れに協力してくれました。2007年には創立60周年を迎えますが、海外の友好団体を招く計画を立てています。同年には世界合唱フェスティバル開催の計画もあります。2008年の歌の祭典の具体的なプランは11月には決る見込みです。また、同国が生んだプリマドンナ、イネサ・ガランテ来日の話もあります。両国の音楽の紹介、指揮者、演奏家をはじめ両国民の文化的交流等など、夢は実現に向けて動き始めたようです。

リーガ大聖堂合唱学校を訪問
翌10日朝、カッタイ先生と共に、先ず来年1月に松原千振氏が日本の歌を指導するリーガ大聖堂合唱学校を訪ね、ヤーニス・エレンシュレイト校長先生や、音楽監督兼指揮者のアイラ・ビルジーニャ女史などと面談しました。教室に行くとマスタークラス25?6人の少女たちが待っていてくれました。花束を貰い、素晴らしい合唱を聴きました。アルトがよく響き、ジンタルスが初来日した時、日本の合唱ファンに衝撃を与えたことを思い出しました。
この学校は1年生から12年生までの小中高一貫教育校で、生徒数は約180人。音楽の他、一般教科も怠りなく指導しています。もちろん音楽文化に重点を置いていますが、どこの大学にでも進めるよう一般の学校と同じような教育を行っています。実際、数学、物理学の優秀な生徒もいました。
合唱学校は歌うだけではなく、ピアノ、バイオリンなどの楽器も必修です。最近はサクスフォンが人気とか。私の前で、コンクールに入賞した7年生と8年生の2人がサクスフォンを演奏してくれました。声楽部門で入賞したというソプラノの少女はとても立派な声でした。子供たちはコーラスを学ぶだけではなく、オペラに出演したり、国賓の前で歌ったり、海外演奏旅行にも出かけます。
今年からジャズのコースも誕生し、世界ジャズ学校連盟にも加盟しました。ラトビアでは初めてのことだそうですが、トップ級のジャズマンを招待して指導を受け、子供たちに大変人気があるようです。
松原千振氏が指導する日本の曲の練習も始まっていましたが、子供たちは“日本語の発音に違和感がなくなった”と話していました。
その後も話が弾み、日本と交流を深めたいという大きな期待を強く感じました。
文化大臣らと面談
女性文化大臣のエレーナ・デマコヴァ氏とは11日に会いました。いまラトビアで最も人気のある大臣です。予算会議で超多忙の中、時間を割いてくれました。二国間の文化協力は民族間の理解を深め経済協力の基礎になる大切なことと当協会を評価しました。今はまだ日本にラトビアを代表する機関がないが、大使館が出来たらいろいろな活動が始まると話していました。
※文化大臣との面談は、当地のニュースエージェンシー「LETA」にも紹介されました。(別掲) 熊谷会長のメッセージに丁重な返事も頂きました。

作曲家連盟のウギス・プラウニス会長は、ご自身の作品が日本で演奏されたこともあり、日本と欧州との文化交流の歴史を説きながら、当連盟の今後のあり方、展開について話してくれました。日本の作曲家たちがどんどん立ち寄って、連盟内の小さなホールで演奏して欲しい。外国の専門家にラトビアの若者を接触させたいとのことです。古典から現代音楽、アニメ、舞踏、更に陶器にまで話が及びましたが、中でも音楽学関係の人材交流を強く期待していました。作曲家連盟の会員数は104名、作曲家と音楽学者が各々半々です。
※帰国後、作曲家連盟会長から次のメールを頂きました。
「加藤様 ラトビア音楽連盟で貴方とお目にかかれた喜びの気持ちをもう一度お伝えしたいと思います。私たちは建設的な話い合いをしたと思います。そして、その後の(早稲田の)演奏会は私たち両国と音楽家たちの本当の友情を示した素晴らしいものでした。音楽協会の将来の展開について素晴らしいお考えを話して頂きありがとうございます。将来共同で仕事が出来ることを楽しみにしています。ウギス・プラウリニシュ」

滞在中、アイナ・カルンツイエマ:ラトビア音楽アカデミー教授(バッハ協会会長)、ヤニーナ・ティシュキナ文化省国際関係部長、ヤングリダ・レイマンドヴァ外務省アジア・アフリカ・大洋州部上級デスクオフィサー、田中亨在ラトビア臨時代理大使、グナル・リュングダール・リーガ経済大学副学長、アルマンズ・ラピンシュ・ラトビア音楽アカデミー副院長ら多くの方々、アンドリス・ベルジンシュ前首相にお目にかかりました。バルトを知るための旅行とか、楽譜の発行とか様々な提案に対処するため、旅行会社や出版社にひと通り挨拶に伺いました。落ち着きましたら一つ一つ検討します。

【写真説明】
迎えてくれた合唱団の少女たち



右からエレンシュレイト校長、筆者、アイラ・ビルジーニャ女史


デマコヴァ文化大臣と面談



右端・プラウリニシュ作曲家連盟会長、2人目・カッタイ先生




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keisuke Suzuki(C) 2005