協会設立の経緯と果てしなく広がる夢



加 藤 晴 生(専務理事


 
永年の夢でもありました日本・ラトビア音楽協会が、発起人の方々や新しく会員になられた皆様のご理解とご協力により、9月17日無事にスタートいたしました。みなさまのお力添えに心より感謝いたします。

 今後ともこのプロジェクトを成功させるよう尽力する所存ですので、あらためて当協会発展のためによろしくご支援をお願いいたします。

 私がはじめてラトビアを訪れたのは92年です。そして93年4月にリーガで演奏会を開きました。以後私の属している稲門グリークラブや早稲田グリーの同国との交流を通じ、このバルトの小国がすばらしい合唱大国であり、またクラシックの分野でも興味ある歴史をもち世界的に著名な音楽家を数多く輩出していることも知りました。ポップスについても然りです。

 一方、我が日本の音楽界も隆盛を極め、国内のみならず海外でも多くのアーチストが大活躍中です。クラッシック関連の演奏会は年に一万回におよびます。合唱音楽も戦後著しい発展を遂げ、新しい優れた作品が次々と発表され、今や日本を代表する一つの文化を形成するにいたっています。

 こうした背景のもとに、96年に来日したアマチュア女声合唱団‘ジンタルス’の衝撃的な演奏がきっかけになって、合唱交流協会をつくろうとの話がもちあがりました。あれからほぼ10年、話はあっても実現までの道はほど遠いものでした。
今回設立を決意したのは、このプロジェクトの実現を望んでおられた辻正行氏や後藤田純生氏が相次いで亡くなられたこともひとつの理由です。いつまでも先延ばししているとこれまでの努力が無に帰してしまう。とにかく形だけでも作ろうとの声にもおされました。約60名の方に発起人引受けの依頼状を出しました。断わった方は数人でした。協会を発足できると判断しました。この結論が出たのが8月になってからでしたので今も何かとドタバタしています。

 協会の名称を日本・ラトビア音楽協会としました。合唱交流協会などの案もありましたが、国際交流を目的としていますから活動にフレキシビリティをもたせるには特定分野の音楽に限る必要はない。さらにこの協会が将来、日本とラトヴィア間の音楽情報の起点にしたいとの考えが主な理由です。

 当協会では会員相互の絆を強めつつ音楽を通じて日・ラ間の相互理解を深めることに関することを出来るだけ多く取り上げたいと思います。ただし、その運営は一方的な片側通行にならないよう配慮しなければならないでしょう。

 出来立ての協会ですのでまだ手探りですが、ラトヴィアの演奏家・合唱団の招聘、指揮者の派遣、会員による講演会の開催などを検討しています。

 いま当協会にとっての重要なテーマは広報です。当協会の発展は会員の増加にかかっていますが、とりあえず来年3月までに100名にしたいと強く願っています。皆様のお知り合いなどで当協会にご関心をお持ちの方がおられましたら是非入会を勧めてください。

 未だ来日したことのない世界のプリマドンナ、イネセ・ガランテさんなど有力演奏家もお呼び出来るような協会になればすばらしいと思います。夢は果てしなく広がります。

 熊谷会長とご相談の上、2月5日に第1回総会を開催することにいたしました。今後の事業展開について、会員の皆様から建設的な意見をいただき、楽しい懇親の時を持ちたいと願っています。多数ご参集いただきますようお願い申し上げます。


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keisuke Suzuki(C) 2005