【5月1日】各国大使館員日本語スピーチコンテスト(4月11日)
作者 webmaster   
2009/05/01 金曜日 23:49:38 JST

 ラトビア大使館のオレグスさんが審査員特別賞受賞 

 第12回各国大使館日本語スピーチコンテスト2009411日に千代田区内幸町ホールで行われ、お馴染みのラトビア共和国大使館O.オレグス三等書記官が審査員特別賞を受賞した。

 

このコンテストは、外務省、文化庁、千代田区、NHK,ジャパンタイムスなどが後援し、同コンテスト実行委員会が主催するもので今年が12回目。この日は19カ国21名が出場した。スピーチの制限時間は5分、オレグスさんは“ボーイスカウト活動を通じた日本とラトビアの長い友情”をテーマで感動的に話した。当日の原稿を全録する。

 この日の優勝者はカザフスタン共和国大使館員(外務大臣賞)、2位中国(文部科学大臣賞)、3位チェコ(文化庁賞)だった。【Latvija編集室】 

「心に残る日本とラトビアの友情物語」

 みなさま、こんにちは。ただいま紹介していただいた、ラトビア大使館のオレグス・オルロフスと申します。どうぞよろしくお願いいたします。

本日、皆さまにお届けする話は、私の心を動かした話で、ラトビアと日本の友情の話でもあります。心に残る日本とラトビアの友情物語です。

 

ご存知の通り、2ヶ国の関係というのは、政府の関係だけではなく、まずは国民同士の交流が基本となっております。今回私のスピーチは日本人とラトビア人の人間同士の交流、友情につながった実際にあった話をしたいと思います。

 

その話の始まりは1933年のラトビアのボーイスカウト総会にさかのぼります。その年、ラトビアのスカウト運動に大変貢献した「ベリザード・ラジンシュ」というラトビア人スカウターがスカウトの最高勲章「シルバー・ウルフ」を受賞されました。スカウト運動は1917年にラトビアで広がり、1918年ラトビア独立後、盛んになりました。

 

しかし、第二次世界大戦が始まった頃、1940年にソ連軍はラトビアを侵略し、ラトビアのスカウト運動とスカウト組織を破壊しました。ラジンシュさんはソ連の侵略に抵抗しましたが、結果として海外に亡命せざるをえない状態になり、1949年アメリカのシアトルにたどり着き、定住しました。ラトビアから持参できたのは何よりも大切にしてきたシルバー・ウルフとほんの僅かの私物(しぶつ)だけでした。

 

1968年、日本からアメリカへ留学を希望する川島泰彦という日本人の若者がシアトルにやって来ました。そして、彼が大学入学のための保証人探しに苦労していた時、協力してくれたのが、ラジンシュさんでした。スカウターであったラジンシュさんと8歳からスカウトをしていた川島さんとの出会いをきっかけに新しい友情が生まれました。一期一会(いちごいちえ)と言える出会い、ラトビア人と日本人の心を永遠に結び、大きな2カ国の民族友情関係につながったのです。

 

ラジンシュさんは、スカウティングをはじめ、様々な分野について川島さんと語り合い、ラトビアで受賞されたシルバー・ウルフ章を見せて、スカウティングは人生で最も大事なことだと川島さんに教えたのです。日本人の若者は、大きく成長し、留学後、日本へ戻りました。1972年ラジンシュさんは日本を訪問しましたが、翌年69歳で他界しました。

 

その悲しいできごとを知った川島さんはすぐにシアトルのラジンシュさんの家(いえ)を訪問しました。そして、その時、ラジンシュさんの家族はラジンシュさんと川島さんのスカウティングを通した友情のあかしとして、また亡きラジンシュさんのスカウティングへの思いが込められたシルバー・ウルフを川島さんに手渡しました。

 

ラジンシュさんはラトビアが再び独立することを経験できませんでしたが、川島さんが彼のラトビアに対する気持ちを知り、ラトビアのスカウターにとって特別な意味を持つシルバー・ウルフを大切に保管してきました。「我が祖国ラトビアはどんなにひどい目に合っても、必ず蘇る」というラジンシュさんの言葉は実現しました。1991年にラトビアは再び独立し、スカウト運動が再建されたので、川島さんはシルバー・ウルフ章を持つべき人への返還を決意しました。スカウト運動が100周年を祝う2007年、川島さんはラトビアのスカウト組織にラジンシュさんのシルバー・ウルフ章を返還しました。この返還は川島さんとラジンシュさんの間に培(つちか)われた友好の灯火を次の日本とラトビアの世代に手渡したいという考えにもとづいて行われたことでした。

 

川島さんは世界スカウティングの永遠友情のあかしとして章を返還すると共に友好プロジェクトを始めました。日本とラトビアのスカウト交流はもう2年目に入っています。こういった立派な人物が日本とラトビアをつなげていくことに私が心からの敬意を払い、これからもサポートしていきたいと思います。

 ご清聴(ごせいちょう)、誠にありがとうございました。 

写真

1、スピーチコンテストで熱演するオレグスさん

  

2、出場者全員の前のふるさと自慢スピーチするオレグスさん

3、見事に審査員特別賞受賞

4、左からカザフスタン(優勝)、チェコ(3位)、オレグスさん、応援にかけつけたオレグス夫人

 
最終更新日 ( 2009/05/01 金曜日 23:50:34 JST )