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2021/02/02 火曜日 15:58:59 JST |
岡村喬生 元副会長 日本を代表するオペラ歌手 当協会で卓越した牽引力発揮
岡村喬生さんは2021年1月6日腎不全のため89歳にて逝去されました 《略歴》 岡村喬生さんは、北海道出身、旧制札幌市立中学在学中に学制改革に会い、新制高校2年生の時に上京して開成高校に転入、応援団に入部。 早稲田大学第一政経学部卒業 早稲田大学グリークラブ・バリトンパートリーダー、在学中東京放送合唱団準団員として斉藤秀雄の指導を得る。 当初はジャーナリストを目指したが声楽家への思いが強くなり、東京放送合唱団正団員として就職。 NHK招聘第2次イタリア公演にて唯一の日本人ソリストとしてマリオ•デル•モナコやティト•ゴッビと競演。 1959年政府留学生としてイタリアに渡り、ロ—マ•サンタ•チェチェリ—ニア音楽院声楽科を経てウィ—ン国立音楽アカデミー•オラトリオ科終了。 1960年イタリアのヴィオッティ国際コンクール金賞、フランスのトゥ—ル—ル—ズ国際声楽コンクール優秀賞。 1966年オ—ストリアのリンツ市立歌劇場、西ドイツのキ—ル、ケルン両歌劇場の専属第一バスとして活躍。 また、ロ—マ、パリ、ベルリン、ブリュッセル、ザグレブなどを経てヨ—ロッパ各地で第一バスとして活躍した。 1979年日本に帰国。歌手としての大活躍はもちろん、オペラ、執筆、講演会、テレビ司会、ドラマ・映画出演など広く活躍。 岡村さんの特筆すべきことは、イタリアオペラの定番として世界に親しまれてきたジャコモ•プッチ—ニの『蝶々夫人』(マダム•バタフライ)を巡って、その中に描かれている日本人や日本の文化に対する誤解を正そうと奮闘されたことでしょう。 様々の困難を乗り越え、2011年8月、現地イタリアのプッチーニフェスティイバルでご自身の演出による新国際版「マダム・バタフライ」上演を成功させました。世界中の劇場を仰天させるほど画期的な出来事で、岡村さんはプッチーニ賞を受賞されました。この模様はNHKが放送し映画にもなって、日本のオペラ愛好家を驚喜させました。 言うまでもなく、『蝶々夫人』は1903 年(明治36年)に書かれて以来、プッチ—ニの代表作として100年以上に亘って世界で上演されてきたイタリア•オペラを代表する演目です。 この話は岡村さんから何回も聞かされましたが、翌2012年に予定された現地での再公演が財政上の都合で中止になったことを残念がっておられました。 一方日本ラトビア音楽協会副会長としては、協会発足初期より多大なご尽力を下さいました。 2013年渋谷さくらホ—ルに、ラトビアの誇る女性合唱団『ジンタルス』常任指揮者アエラさんを迎えて開催されたラトビア音楽祭では、岡村さんが単独ステ—ジで歌って下さり、音楽祭に花を添え重みが出たのはご承知の通りです。 打ち上げでは、肩を組んでビ—ルを飲みながらの写真を撮って下さり、思い出深い記念写真となりました。 また、毎年岡村さん主催リゾートホテルでの一泊二日泊《岡村さんの歌を聴く夕べ》にお招き頂き、2度ほど参加させて頂きました。 素敵なヨ—ロピアンスタイルの小さなホテルで、美味しいお食事と美味しいワインで岡村さんの朗々と響く歌を少人数で聴くと言う贅沢なひと時は今も鮮明に残っています。 数年前よりお加減が芳しくないとお聞きしていましたが、年明け早々に訃報を受け悲嘆にくれました。安らかにおやすみ下さい。(石渡迪康記)。
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最終更新日 ( 2021/02/16 火曜日 14:31:36 JST )
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