【11月18日】第95回ラトビア建国記念日レセプション |
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2013/11/19 火曜日 21:00:50 JST | |
世界中のラトビア人が、最も大切にする記念日(今年95回目) N.ペンケ新大使夫妻が丁重に日本の友人を迎える
ラトビア共和国はソ連が崩壊した1991年に真の独立を果したことはよく知られているが、国として成立したのは1918年、ロシアで革命が起きた直後だった。それ以来、世界中のラトビア人は毎年11月18日を建国記念日として最も大切にして、独立国家としての尊厳を確立した歓びを分かち合う。 ノルマンス・ペンケ新大使初の大仕事とも言うべき今年の建国記念日(今年が95回目)の祝賀レセプションが11月18日にラトビア大使館で行われ、大使は夫人と共に入口に立って、建国を祝う来訪者一人ひとりと握手を交わして感謝と歓迎の意を表した。 例年通り、政・経済界関係者や親しい大使の顔も数多く見られた。在旭川の井下佳和名誉領事、在大阪の東郷武名誉領事らも駆けつけた。日本ラトビア音楽協会からは藤井威会長、岡村喬生副会長、加藤晴生専務理事以下の役員陣が顔を揃え、ラトビア語教室や合唱団ガイスマのメンバーも多数出席した。ピアニストの久本裕子さん、歌手の小田陽子さん、ケイコ・ボルジェソンさん、渡辺ゆきさんら音楽家の会員も出席し、美酒を交わしながらいつまでも談笑の輪を広げた。ラトビアの民族衣装で姿を見せた可愛い大使令嬢(11歳)が多数のカメラ撮影を浴びていた。 宴半ばで大使がスピーチをしたのは異例で、この日参集した日本の友人たちに深い謝意を表し、音楽を通じた日ラ親善を一層深めたいと強調した。 今年も館内は立錐の余地ない盛会で、参会者は揃ってラトビア国家の弥栄を祈念した。当日のスナップを数枚、順不同に掲載する。
ラトビアが歴史に登場したのは10世紀初頭。悲惨ともいうべき歴史の中で1度も国を作ったことがないラトビア人は、やっと手にした1918年の建国後も、さらに不運が続いた。1939年、再びロシアの圧政下に入った。そして、1991年、遂に真の独立をかち取る。この時、歌を歌い、手と手を繋ぎ、600キロに及ぶ「人間の鎖」を作って世界中に呼びかけたことは余りにも有名。「歌と踊りの祭典」はまだ国として成立しない1873年に始まった。ラトビア人は文字通り歌の力で建国をなし得た民族である。【Latvija編集長 徳田浩】
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最終更新日 ( 2013/11/19 火曜日 21:06:11 JST ) |