【12月30日】訃報 アウスマ・デルカヴィーチャ女史
作者 webmaster   
2011/12/30 金曜日 15:38:16 JST

 ラトビアを代表する合唱指揮者82歳(当協会会員)

26日脳梗塞で死去、30日葬儀

 今年最後のトピックスは悲しい知らせを掲載することになった。ラトビアを代表する合唱指揮者で当協会会員のアウスマ・デルケーヴィチャ女史が1226日、脳梗塞のため死去した。享年82歳。現地インターネットは「偉大な合唱指揮者の死」として同氏の死を悼み、国営テレビはトップニュースで彼女の功績を4分間にわたって報じた。30日11時からにリガ大聖堂で礼拝とお別れ、13時から自由の碑前で関係合唱団による演奏が行われる。当協会からは現地滞在中の堀口大樹理事が献花する。日本からも謹んで哀悼の意を表する。【Latvija編集室】

  自由の碑前に飾られた大きな遺影

  

 同女史は夫のツェピータ氏と名コンビで長年「国立アカデミー合唱団」を指導し、世界最高峰の合唱団に育て上げた。1959年から夫妻で女声合唱団「ジンタルス」の指導に当たったが、途中からアウスマさんがジンタルスを、ツェピータ氏が国立を指導するようになった。68年ハンガリーで開催されたバルトーク・コンペティションで、ラトビアの合唱団としてはじめて海外國際コンクールのグランプリを獲得、彼女自身も最優秀指揮者に選ばれた。当時旧ソ連の管理下にあり埋もれていたラトビア合唱界の力を世界に示しラトビア人を元気づけた。また、十数回のグランプリ獲得などでジンタルスの全盛期を築いた。世界各地でも演奏し、その都度絶賛を博した。96年には稲門グリークラブの協力で日本公演を行い聴衆に多くの感動を与えた。

 同女史は5年に1度開催される「歌と踊りの祭典」で、女性初のチーフ指揮者として中心的役割を果した。最後に歌われる「風よそよげ」は名誉指揮者が順番に指揮するが、03年、08年も同女史が務めた。アウスマは“夜明け”を意味し、デルケーヴィチャ女史は文字通り新生ラトビアの黎明期から今日まで合唱界の主役を務め続けた。女史の活躍ぶりを英国のサッチャー元首相をなぞらえて「アイアン・レディ」と親しみをもって呼ばれた時期もあった。国家の最高栄誉である「三ツ星勲章」を与えられている。

 ジンタルスと早稲田・稲門グリークラブとの交流は、1993年リガの大ギルドホールでの共演に始まり、以降6回の演奏会を通じて親交が続いている。この交流がきっかけとなり04年に日本ラトビア音楽協会が設立された。筆者は98年にリガを訪問した時、稲グリ新聞掲載のために女史と1時間余インタビューしたが、終始優しい眼差しで日本への熱い思いを語られたことが忘れられない。合掌。(徳田記)

最終更新日 ( 2011/12/31 土曜日 12:45:48 JST )