【11月18日】第93回ラトビア共和国建国記念日
作者 webmaster   
2011/11/18 金曜日 14:39:47 JST

 世界中のラトビア人が、独立国家としての尊厳を確立した歓びを分かち合う 

 ラトビア人が最も大切にする建国記念日(1118日)は今年が93回目。本国はもちろん、世界中のラトビア人が独立国家としての尊厳を確立した歓びを分かち合う。この日、東京渋谷区のラトビア共和国大使館でも恒例の祝賀レセプションが行われ、各界から250名を超える方々がお祝いに駆けつけて、大使館内は立錐の余地ない盛会で歓びに満ち溢れた。

  今年もヴァイヴァルス大使が入口に立って次々に訪れる招待客を一人一人丁重にお迎えして祝意を受け、スピーチなどは一切なしという趣向。大使は「今まで協力してくださった日本の友人に深い感謝の気持ちを込めてお迎えしますが、こんなに多くの方々にラトビアの独立を祝って頂いて喜びいっぱいです」と満面の笑みで談笑を続け、記念撮影に応じていた。今年初めて出席した人も多く、着任以来、精力的に日本とラトビアの友好関係増進のための活動を続けられた成果が見事に結実した証明でもあった。 

例年通り、政・経済界関係者や親しい大使の顔も数多く見られた。在旭川の井下佳和名誉領事、在大阪の東郷武名誉領事らも駆けつけた。日本ラトビア音楽協会からはガイスマのメンバーも含む30名以上が招かれ、生花を贈って祝意を表した。関西日本ラトビア協会会員、北海道東川ラトビア交流協会会員、ボーイスカウト関係者、ピアニストの矢田ちひろさん一家、歌手の小田陽子さん、ケイコ・ボルジェソンさん、ラトビア語スピーチコンクール優勝の中井遼さんや、全国各地から参集した多くの方々とも、美酒を交わしながらいつまでも談笑を続けていた。素晴らしい一夜だった。当日のスナップを数枚、順不同に掲載する。

 

 

 

 

 

 

  

  ラトビア共和国はソ連が崩壊した1991年に真の独立を果したことはよく知られているが、国として成立したのは1918年、ロシアで革命が起きた直後だった。それ以来、ラトビア人は毎年1118日を建国記念日として最も大切にし、今年は93日目ということになる。ラトビアが歴史に登場したのは10世紀初頭。悲惨ともいうべき歴史の中で1度も国を作ったことがないラトビア人は、やっと手にした1918年の建国後も、さらに不運が続いた。1939年、再びロシアの圧政下に入った。そして、1991年、遂に真の独立をかち取る。この時、歌を歌い、手と手を繋ぎ、600キロに及ぶ「人間の鎖」を作って世界中に呼びかけたことは余りにも有名。「歌と踊りの祭典」はまだ国として成立しない1873年に始まった。ラトビア人は文字通り歌の力で建国をなし得た民族である。【Latvija編集長 徳田浩】   
最終更新日 ( 2011/11/18 金曜日 14:47:12 JST )