【7月12日】藤井会長の講演会と好評連載第3回 |
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2011/07/12 火曜日 13:08:10 JST | |
このページの最後に、当協会第1回カルチャーサロンの案内がありますのでご覧ください。「講演と歌と懇親の夕べ」で、内容は藤井威会長の講演と、渡辺ゆきさん(協会合唱団ガイスマのボイストレーナー・東京混声合唱団)のラトビアの歌がメインです。 音楽立国ラトビア讃歌(3) 日本ラトビア音楽協会会長 藤井 威 「風よそよげ、私の舟をクルゼメまで運んでおくれ」というダイナの歌詞は、自由を求めるラトビア人々の心情をせつせつと歌ったものであることを説明してきました。酔っ払いの不良青年の歌としか思えない歌詞を持つこのダイナのメロディを、是非一度皆様の耳で聞いてみてください。信じられないほど静かで落ち着いた美しい旋律を持っていることにきっと驚かれると思います。メロディ自体は誰でも歌えるやさしい曲です。でも酔っ払いの歌だというので放歌高吟することだけは避けて下さいね。ラトビアの人々の心情を思いつつ、静かに美しく歌って下さい。 ラトビアの人々の自由を求める動きは、19世紀末から次第に強まりますが、ロシア帝国の厳しい弾圧の下でとうてい実現可能とは思えない状況が続きます。でも歴史には転機というものがあります。1914年の第一次世界大戦の勃発、1917年のロシア2月革命、続いて10月革命による帝政ロシアの崩壊、1918年のドイツ第二帝政の崩壊…、激動する欧州情勢の下でラトビア民族悲願の独立達成の条件は急速に整ってゆきます。ロシア国内におけるボルシェヴィキ革命の大混乱のさなかで、1918年11月、ラトビアは独立宣言を発します。思えば、4000年も昔、印欧語系の一派バルト語族の人々が、ここバルト海沿岸に浸透し定着して以来、そして、1200年頃、欧州諸強国のバルト地域への侵攻が始まって以来、ついに達成できなかったバルト語系のラトビア語を母語としる民族の統一国家が初めて姿を現したのです。自由の天地、クルゼメへ向けての風は、ついに“そよいだ”のです。 新興の小国ラトビアは、世界に向けて自立と自由の意思を強く訴えます。リガの旧市内を東へ向う幹線道路は、ロシア皇帝の名をとった「アレクサンドル大通り」から「自由大通り」と改名され、1935年にはこの大通りがリガ市の旧市街から東に一歩出た地点に、「自由の記念碑」を除幕します。塔の上には「ミルダ」と呼ばれる女人像が立ち、その手にはこの像の立つゼムガレ州とラトビアの中の3州クルゼメ、ヴィゼメ、ラトガレとの連帯を示す三つの金の星を高々と掲げていました。碑の基部には「祖国」「自由」という文字が刻まれ、そして、ミルダは東の方ロシアの方向に尻を向け、まっすぐ西方に向って立ったのです。 でも、この小国の前途に対して世界情勢は過酷としか言いようのない試練を課します。次回以降、ラトビア悲劇の現代史に、民族のよりどころ、音楽をてこに徹底して耐えしのぶラトビア民族の姿をお話いたしましょう。 ラトビア人の祖国愛と自由を求める表現のシンボル 自由の記念碑
当協会カルチャーサロン(第一回) 講演と歌と懇親の夕べ 講演会 「音楽立國~ラトビア~」 ~~東西文化・商業のクロスロード~~ 講師 藤井威 元スウェーデン王国及びラトビア共和国特命全権大使 仏教大學教授 ラトビアの歌 うた ソプラノ 渡辺ゆき ピアノ 渡辺純子 ZVAIGZNES (星) ルーセンス曲 Parcel Galvu Balta Mart (頭を上げてください、お母さん) パウルス曲 Kas Dimd, Kas Rib (轟くのは誰) ほか 日時 7月15日(金) 18:00 開場 18;30 開演 場所 ラトビア共和国大使館 会費 3500円 2500円 (大学院生 大学生以下) 申込み先 このメールアドレスはスパムボットから保護されています。観覧するにはJavaScriptを有効にして下さい 電話 またはFax 04-7132-5423(加藤宛) |
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最終更新日 ( 2011/07/12 火曜日 13:19:06 JST ) |