【2月9日】森川はるかのラトビア報告2
作者 webmaster   
2011/02/08 火曜日 17:02:37 JST

 ラトヴィアの年末 文化のぶつかり合いの中で(続)

                                   

まだクリスマスツリーがきらきら輝く1231日、私はラトヴィア人の友人の家を訪ね、共に年越しを楽しんできました。ホットワインを口にしながら肉入りのパイ、鯉のオーブン焼き、その他多くの料理を食べました。この日に12種類の料理をそろえることは縁起がいいとされていますが、これはその年の豊かさ(12種類=12の月)を祈り象徴するものと言われています。

   

年越しのお料理

 

そんなおいしい料理に舌鼓を打ちながら一緒にテレビを見ると、ちょうどその年の「Dziedašās ģimenes (歌う家族)」のハイライトがやっていました。この番組は「家族単位なら誰でも参加可能の合唱コンテスト」で、今ラトヴィアで人気の高いテレビ番組なのですが、そんなところからも伝統的なラトヴィアの歌の文化との関係性を読み取れるような気がしました。

いよいよ年越しの時間が迫ってくるとテレビが自由記念碑前の中継に変わり、大勢の人々が集まって年越しを祝おうとしている映像が飛び込んできました。人々を前にアナウンサーが母親に抱かれた小さな子供にインタビュー。「ねえお嬢ちゃん、来年は何をしたいかな?」「来年は自分の足で立ちたいな」

そしてその合間に首相、大統領、前首相、議員など多くの政治界の人々がこの年越しのタイミングにスピーチを順番にしていきます。その年の状況や来年の方針等をひたすら述べるわけですが、友人たちは「やれやれ、また偉そうなことばかり言っている」と苦笑していました。どの国の政治家もどうやら同じようですね(笑)。因みにある年の議員は出来ないことを公約することに嫌気がさしたのでしょう、この時述べたことはたったの一言。「歯を磨いてくれ」

――さてここで問題です!23時に既に年越しを祝う花火が各地で上がることがあります。特にリーガやダウガウピルスなどに多いと言われています。何故でしょうか?答えは「モスクワ時間」です。つまりロシア系住民はモスクワの年越しの時間(ラトヴィアより-1時間)に新年を祝うのです。因みに19時くらいに花火を上げている人を私は見たのですが、「あれはどこの国の人かな?」と冗談交じりに友人が答えていました。

カウントダウンになり、我々もシャンパンを手にしながらテレビの前に立ちました。「3,2,1・・・Laimīgu Jauno gadu(明けましておめでとう)!!」とアナウンサーの声と共に自由記念碑前の人々が歓声を上げ、一斉にシャンパンを開け、花火が轟きました!そしてラトヴィア国歌の斉唱、私も一緒に口ずさみながら心が震えるのを感じました。

市で打ち上げる花火も5か所ほど、他にも個人で打ち上げる人もまた大勢いるので、一時間ほどずっとこの花火が鳴りやむことはありませんでした。そして皆が一斉に電話やメールをやり取りするため、通信システムは大混雑。日本は紅白歌合戦と「ゆく年くる年」、除夜の鐘で年を越すというものが一般的かもしれませんが、ヨーロッパ地域は本当に賑やかに年越しをするので、「海外での年越しが大好き」と話す日本人観光客に妙に納得させられた気分でした。

さて、花火をしばらく見た後、いよいよ「鋳込み占い」をしました。動物型の鉛の中をまず開けてみると、小さな紙が出てきます。ここにはいわば籤の言葉が書いてあり、それぞれ異なります。それを読んだら今度は鉛を匙に乗せ、火であぶって溶かしてさっと水に入れて固め、それを蝋燭の光に照らしてみる。その時の影が何に見えるか、その年の運勢を占います。この時の動物は様々な物があり、生まれた西暦年で動物が決まっています。私は「兎もしくは猫」年だったので、その二つをあぶることにしました。溶けたところでさっと水に入れ、固まったものを照らしてみると・・・・・・どうやら靴のようでしたが、残念ながらその詳しい意味を知ることはできませんでした。因みに他の年は必ず一つの動物と決まっているのですが、私の生まれの年は何故か二つの動物となっており、時々論議がなされるとか。とあるデザイナーはこの論議を解消するため「兎猫」もしくは「猫兎」と名付けた動物を考案してみたそうです。

 この年越しの際に焼いた魚の鱗をたくさん財布の中に入れておくと、やがてそれがお金に変わると言われています。日本の「財布にカエル(の陶器)を入れておくと縁起がいい」ということによく似ているかもしれませんね。

 こうして強烈な吹雪の中、始発バスで友人の家を後にしました。

 

 

   猫と兎の鉛とその中の紙

 

   蝋燭の灯の影に映して来年の運命占い

 

 年明けは3日くらいから通常のスケジュールに変わり、日本のようにお正月の休みの空気はありません。家々のモミの木が一斉に窓の外へ投げ捨てられ、ゴミ回収車によって片づけられていきます。

 

 今までラトヴィアの年末の様子を述べてきましたが、もしかすると私が言わんとしている、あることにお気づきになったかもしれません。――『ラトヴィアの伝統か、それとも西欧のクリスマスの流れか』――ラトヴィアの伝統の流れと西欧に代表されるヨーロッパ文化の流れが激しくぶつかりあっている。私はこの年末年始の滞在を通して大きく目の当たりにしたと思います。

 

 特に今年はクリスマスツリーを世界で初めて飾ったのがリーガで、その500年記念ということでクリスマスツリーに関したイベントもしていました。因みにこれについて、お隣のエストニアは「いや、我々のタリンが最初であり、我々の方が古い歴史を持っている!」と譲らないのですが・・・・・・。

丸太曳きはもちろんラトヴィアの固有の伝統的な文化なのですが、一方で仮面行列は廃れつつあり、反対にクリスマス行事が盛んになっています。クリスマスツリーも華やかに街中飾られ、今年は旧市街のラエコヤ広場に大きな観覧車を立てていました。小規模のスケートリンクを作り、歌の祭典のステージとして有名な森林公園は初めてスキー場として開放されました。ホットワインやお菓子を売るクリスマス市は年明けまで続きます。

このクリスマス市は本来ドイツなどのキリスト教圏で行われていたものですが、近年観光資源としてヨーロッパ中の国々がこぞって行うようになりました。また12月中はEiropas Ziemassvētki(ヨーロッパ・クリスマス)として、ヴィヴァルディなどの作曲家の様々なコンサートを多く行ったのですが(これに関してはラトヴィアに限らずエストニアやリトアニアでも盛んでした)、我々にとって耳馴染みの良い「西欧音楽」だけのコンサートでした。いわば「クリスマス」という観光資源によって多くの観光客を呼び込もうとしている、という動きともいえるでしょう。

伝統的な冬のラトヴィアをとどめようとする動きも、もちろん首都以外でも盛んに行われつつあります。しかしこの2010年の年は「ヨーロッパ」としての文化を取り入れながら新たな企画を多く打ち出し、この冬は「クリスマス観光資源」をうまく扱ったのではないかと感じました。ひょっとするとラトヴィアは、EUの一員ということをとても意識しているのではないか。

2011年からエストニアではユーロを導入しましたが、これは首都タリンが欧州文化首都に選定されたことも要因ではないかと見ています。欧州文化首都とは歴史的・文化的財産の保全に向けての協力体制を整えた上で、企業や資本家の資金援助の中で都市整備やイベントの開催を行い、ヨーロッパ共通の財産として文化やアイデンティティの共有・確立が目的とされた都市の事業です。つまりこれによってヨーロッパ諸国での認知度を高めることが出来るわけなのですが、反対にその国自体も「ヨーロッパの一員」という定義の見直し方が無意識になされるわけです。実際にこのエストニアのユーロ導入のニュースはラトヴィアにとっても大きかったようで、年明けの新聞はその話で23日持ちきりでした。エストニアの経済状況がラトヴィアよりも良いことは確かなのでしょうけれども、それでもユーロ導入という切り口でヨーロッパとしての位置づけを主張したがっているようにも受け止められます。

ラトヴィアは2013年に第25回歌と踊りの祭典が開催予定となっており、また2014年にはリーガが欧州文化首都に選定されています。既に2014年の欧州文化首都に向けてリーガ自体も観光に力を入れながら、「ヨーロッパとしてのラトヴィア」の位置づけを試みている最中です。2013年にはラトヴィアの伝統性を大きく打ち出すことになるのでしょうけれども、2014年にはヨーロッパの一員として文化を取り入れなくてはならない。ではこの欧州文化首都の定義を果たしてどう考えるのか。おそらく人々はまだ意識していないかもしれません。

伝統文化保持とヨーロッパ化の流れが渦巻くラトヴィア。彼らにとっての「ヨーロッパ」としての未来は、まさに様々な可能性をもった未知の大きな流れに間違いありません。

   

  オブジェ

  

  

  広場に立つ観覧車

 

小話にはなりますが、共通したテーマとしてもう何点か、お話ししようと思います。

 

クリスマスの夜、日本人の友人と共にデパートにいた時。

「お嬢さん、お嬢さん方!」と若い男性にラトヴィア語で突然話しかけられました。

振り向くと英語で「クリスマスおめでとう!」と言われたので、私はにっこり笑い「ありがとう、そしてあなたもね」とラトヴィア語で答えました。

すると驚きつつ(まさか東洋人がラトヴィア語を話すとは思ってもみなかったのでしょう)慌てて「うん、あなた方にも!」とラトヴィア語で返してくれました。

大晦日の夕方。閉店間際のお店で買い物を終えた私に男性店員が「良いお年を!」とラトヴィア語で言いつつ、扉を開けてくれました。

「ありがとう、あなたにも良いお年を!」とラトヴィア語で答えると、店員は腰を抜かしたような顔をしていました(おそらく私が簡単なラトヴィア語しか分からないと踏んだけれども返されたことが意外だったのでしょう)。

くすぐったい気持ちとそして人々の温かさ、たとえどんな文化の形であろうと、いつの時でも大切にしていきたい。そう感じた出来事でした。

 

そしてもう一つ。私はラトヴィアの民謡や合唱の文化が何故今日まで「歌と踊りの祭典」などのように残っているのか、ということを研究のテーマとしているのですが、毎日文献をあさり、ラトヴィアの民俗音楽や文化の研究者と議論を重ねている時に、ふと言われた言葉があまりにも衝撃的でした。

「確かに昔と今は『合唱する』意味合いは異なったし、若い人々は他の娯楽が増えて時代も変わったから、合唱への関心はなくなりつつある。

ねえ、ラトヴィアの歌の文化というものを特別だと思っていないかい?日本だって歌はあるだろう、では何故ラトヴィアなんだい?文化を取り扱うことについては、どの文化に対してだって同じだろう?」

私は返す言葉がありませんでした。

我々は知らず知らずのうちに「清い美しい、良きラトヴィア」を描き憧れているのではないだろうか。確かに合唱が民族のまとまりを作ってきた背景はあるかもしれないけれども、それが特別だという見方に期待しすぎているのではないか。娯楽がなかった頃、伝統的な生活で人々同士のつながりが強かった頃、日本にもあったその姿が変わってきたからこそ、他者にそれを求めているのではないだろうか・・・・・・ラトヴィアの歌という中に。「ラトヴィアらしさ」を、押しつけているだけかもしれないと。

 

その言葉の重みを痛感していたある日の夜、通りを歩いていた時私と同じくらいの世代の女の子3人に突然私は取り囲まれました。

「ねえ、これから私たちと飲みに行かない?」「大丈夫、危険なことはしないし、この子については私が保障してやるから」など英語で言われ、その時実は帰りを急いでいた私だったのですが、何度か会話をやりとりしている間に少しばかり警戒心を緩め、

「いいよ、30分くらいなら行っても」と答えました。3人は私の態度にきょとんとしましたが、「では行こう!」と旧市街の奥の真っ暗な小路へと入って行きました。

さすがに私も真っ暗な小路に入ると警戒して足を止めましたが、「大丈夫、怖がらないで」と彼女たちは小さなバーへ案内してくれました。お酒が飲めない私を考慮し、紅茶をわざわざ払って出してくれ、「日本からのお友達よ」と他の人たちに紹介してくれました。いわゆる「アングラ」のバーで、若者たちがお酒とタバコをしながら音楽を聴き(太鼓とギターとフルートの演奏でしたが)、おしゃべりをしました。私は本当に30分ほどでその場を去りましたが、「ありがとう、じゃあね、バイバイ!」と笑顔で彼女たちは私を送ってくれました。

実は始めはお金をせびられたらどうしようかという不安な気持ちもありました。しかし本当に彼女たちは純粋に私を好奇心から誘い、一緒に楽しみたかっただけなのでは・・・・・・帰路を急ぎながら、つぶやくようにゆっくり思いました。

数日後スーパーで買い物を終えた時に「おーい、おーい!」と叫ぶ声がレジを待つ列の方から聞こえて振り向くと、なんとバーに誘ってくれた3人の女の子たちの一人でした。「やあ、やあ!」と跳ねながら手を振る彼女に、同じく私も笑顔で手を振り返しました。ちゃんと彼女も覚えていてくれたんだ!純粋に温かな気持ちがその時溢れたのを覚えています。

――娯楽が増えて時代も変わり、合唱から若者は離れていった――そう語った研究者の言葉をふと思い出しながら、私は一緒にラトヴィア人の若者たちと飲んだ思い出が、実は本当に大切なものだったと考えました。合唱や伝統的な文化を大切にしてそれらに従事する「清い」若者や人々、それは我々の仮想ではないか・・・・・・お酒やタバコ、音楽を楽しみながらバーで騒ぐ、それが「普通」の姿なのではないか、何か取り違えていないだろうか。

私が卒論を書いた時、最後に「この伝統的な文化が存続することを望みたい」と結びました。しかし研究者の言った言葉や、バーで一緒に飲んだ経験をもって語るなら、私は前述したようなことは絶対に書きたくありません。合唱の文化があることは我々日本人にとっても同じこと。バーで一緒に飲むこと、これは娯楽の形が時代と共に変わっただけであり、合唱の文化と実は本質はまた同じである・・・・・・私が一番危惧することは合唱でもバーでも人々同士が集まることや、交流することをやめてしまう状態ではなかろうかと――時代と共にその文化の中身が変わろうとも「一緒に同じ空間を共有して交流する」本質は変わらないのです。

 

伝統的なもの、ヨーロッパ的なもの、現代的なもの、しかしその中で人間として変わらないもの。ラトヴィアを通して見えることは我々の中にいつもあるものなのです。(終り)

最終更新日 ( 2011/02/08 火曜日 17:05:10 JST )