【11/13】当協会会員・筑紫哲也氏死去
作者 webmaster   
2008/11/14 金曜日 00:48:04 JST

故・筑紫哲也氏は早大グリークラブOBとしても活躍された

  

 日本ラトビア音楽協会会員でジャーナリストの筑紫哲也氏が117日午後1時50分、肺癌のため都内の病院で死去され、各メディアは大きく報道して同氏を偲び、偉大な功績を称えた。享年73歳。

筑紫氏が大の音楽愛好家だったことはよく知られているが、早稲田大学政経学部在学中、グリークラブで活躍していたことを知る人は少ない。早稲田大学グリークラブ100年史によると、昭和31年度定期演奏会(122021日 産経ホール)、同32年度定期演奏会(121617日 産経ホール)に出演した記録が残っている。パートはベース。同氏は在学中、アメリカ人夫妻が香港に孤児院を作るプロジェクト担当のセレクションに合格するなど海外に行くことも多く、3年生の時の定期演奏会出演を最後にグリークラブの活動から脱落したが、同100年史に、こんな談話を残している。「早稲田グリ-では僕なんか劣等生だったよ。関学(関西学院)とトップを争うような名門だったから運動部に近いんだよ。練習はきつくってさ。その上、いろんなことにコミットするようになって、もともと素質がないのに練習しないから、だんだん脱落してしまった。そしたら、何と「筑紫が外国へ行く」ってんで、みんなカンパしてくれたんだよ。一円玉が多かったけど(笑)、グリーには“変わったことをやるのは大変良いこと”だという価値観がありましたね。とにかく、前半は結構グリーをやっていた…」。

 筑紫氏は2001年に早稲田大学グリークラブOB会が主催した「岡村喬生コンサート」(サントリーホール(1117日・サントリーホール)や、2002年に行われた「稲門グリークラブ(早稲田大学グリークラブOBで組織した合唱団)50周年記念演奏会」(127日・すみだトリフォニー大ホール)などに出演、得意のトークで会場を沸かせるなどグリークラブOBとしても活躍を続けた。

「私は“最強”のグリークラブの“最弱”のメンバ-でした。猪苗代湖畔の合宿では、セカンドベースのパートリーダー、玉田さん(現ボニージャックス)にとってもっとも手を焼かせるお荷物でした。定期演奏会でも一緒に歌っている先輩から「音が外れているぞ」と小声で注意されたこともありました。途中編入(2年)の上、卒業間際は卒業できるかすれすれで練習もままならない状況でしたが、“音楽”とくに男声合唱や宗教曲の愉しさを身に付けた貴重な体験に感謝しています」。(早稲田大学グリークラブOB会50年史)

 心から冥福をお祈りしたい。

Latvija編集室】

最終更新日 ( 2008/12/21 日曜日 23:41:03 JST )