【8月12日】森川はるかレポート1 歌の祭典
作者 webmaster   
2010/08/12 木曜日 09:54:55 JST

森川はるかさんから届いたレポート第一弾です。彼女の旺盛な活動力は本当に頼もしい限りです。写真も森川さんの撮影です。【Latvija編集室】 

 Labdien! 合唱団ガイスマ及びラトヴィア語教室でお世話になっております、立教大学の大学院1年の、森川はるかと申します。ラトヴィアを知って早7年、学部生時代から文化人類学を専攻していますが、現在はラトヴィアの合唱文化について研究をしております。

今年の620日から717日までの1ヶ月、フィールドワークのために主にラトヴィアのリーガに滞在していました。今回で3回目の訪問でしたが、何よりも今回は26年ぶりの記録的猛暑で、冷房がなく石造りの窓がほとんど開かない建物・朝4時半から夜10時半まで照りつける太陽とで本当に大変でした。昨年は長袖が朝晩必要なくらいだったのですが、今回はこの毎日の暑さとの格闘という、厳しい旅でした。乾燥しているため、水をいくら飲んでも自分の体がバテている事に気付きにくく、まさにサバイバルな1ヶ月だったという印象でした。朝テレビをつければ「無料の水に近寄る人々」と噴水や湖、海の側にいる人を報道し、また新聞ではこの異常気象ぶりを毎日のように取り上げていました。

  

今回もまた様々な体験をしたのですが、まずメインイベントであった「第10回学生の歌と踊りの祭典」についてお話をしようと思います。

 

ご存知の通りの有名な「歌と踊りの祭典」、こちらは5年に1度開催されますが、その周期の半分の年に「学生の歌と踊りの祭典」が開催されます。今年がその開催年で、7/612にかけて首都のリーガで行われました。

 

この学生のための祭典が始まったのは1960年。「歌と踊りの祭典」は1873年に始まりましたが、このプログラムではあくまでも若者達の発表の場はほんの一部にしかすぎないため、「未来や文化を継承していく若者達メインの発表の場を設けよう」としたのがこの祭典のスタートでした。

 

オーケストラや合唱、伝統音楽、伝統舞踊、コンテンポラリーダンス、ブラスバンド、フォークロアプログラムと様々なコンサートが次々と開催され、また祭典期間中は公園で出店やステージ発表やワークショップなども行われ、子供から大人まで楽しめるプログラムになっています。コンサートは有料制で、残念ながら完売してしまった伝統舞踊コンサート以外は全て買占め、毎日コンサートをはしごしておりました。プログラムによってはリハーサルも有料で見ることが出来ます。

 

何週間も前からテレビではこの祭典のCMが流れ、新聞でも待ち望むようにインタビューや準備・練習風景が取り上げられていました。実はあまり公にはなっていませんが、異常気象の猛暑のために人がばたばた倒れたので、この祭典開催自体を中止しようか考えたようです。しかしこの異常な暑さは誰も予想が出来なかったこと、また7月という時期に開催する良さもあるということで開催を決行したそうです。期間中幾分か暑さが和らいだ日もありましたが、綺麗な青空とじりじりとした暑さの中、6日間リーガはお祭りモードに包まれました。

 

因みに祭典のロゴである七色の独楽ですが、これは「(虹色のように多い)様々な人々が一つになろうという願い、そしてコマが回るように皆で一つになって踊る」という意味が込められているそうです。よく見ると独楽の軸が鉛筆になっています。

 

 

全国から小学~高卒位までの学生がオーディションを勝ち抜いて(主にクラス、学校単位で)集まってきます。そのためこの時期のリーガは民族衣装や祭典仕様のTシャツを着た子供達で溢れ、“Bērni”と行き先表示のされた子供達専用のバスがあちこちで見られます。実はこのバス、地方からやってくるため運転手もリーガ市内で迷子になって渋滞になってしまうとか・・・。学生達は主にリーガ市内の学校の体育館や施設に寝泊りをするようですが、この時期の教師達は元気いっぱいにはしゃぐ学生達をまとめるのに一苦労のようです。「子供たちが夜中に走り回るから昨日は3時間しか寝られなかったわ・・・」とため息交じりに首を振る女教師の方もいました。

 

  

 

(写真)Bērni行きバス。我々は乗れません。

 

7月6日

 

 

いよいよ祭典開始の日、歌の祭典公園という旧市街より北にあるところで開会式がありました。学生達が民族衣装などをまとって歌い、二人組みで踊り、そして男の子が呼びかけます。「ヴィゼメ、クルゼメ、ラトガレ、ゼムガレ。リーガに集まって皆で祝おうよ!」

小さなヨットが池の中にある小島を一つ一つ巡ると筒の花火が次々と点火するという、可愛らしい演出の後、開会式は終了。皆が花でラトヴィアの形を池の前に作っていたのが印象的でした。

 

 

(写真)開会式(小さなヨットが小島の花火を点けていくのが見えます)

 

 

(写真)花で「ラトヴィア」作り

 

  そしてこの日の夜はBērnu simfonisko orķestru koncerts(子供達のオーケストラコンサート)がありました。全部で4団体が民謡をベースとしたオケ演奏、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、ピアノ協奏曲などを披露。中高生が主でしたが、レベルの高い演奏に人々全員大拍手でした。 

 

 

7月7日

 Jaunrades kora dziesmu koncerts „Radītprieks”(創作合唱コンサート)が行われました。このコンサートのためにラトヴィアの著名な作詞家・作曲家が作曲やアレンジをし、民族衣装をまとった学生達が発表するという合唱のコンサートでした。ラトヴィアの川についての組曲など、ラトヴィアの作曲家達のコラボレーションは見事なものでした。それぞれの曲の合間に学生の参加者や作曲家などにインタビューをしていましたが、最も印象的だったのは巨匠Raimonds Pauls司会者「ライモンズ・パウルスさん、“Ar Vilcienu Rīgā brauc”(リーガで列車に乗って)という曲をアレンジされましたが、コメントをどうぞ」パウルス氏「いや、僕はリーガではトラムを使うんだけど」一同笑っておりました。

  コンサート終了後参加者の学生達のために「ではお菓子をどうぞ」という司会者の声に、学生達が勢いよく集まったのはとても微笑ましい光景でした。  

 

  7月8日

 この日は友人と一緒に、伝統音楽コンサートを担当するクァクレ奏者の教師の方が「リハーサルに来ていいよ」と言ってくれたので、見に行きました。「違う!ここではもっと響きのハミングを!」と熱心に学生達に指導する指揮者、作曲者の方や先生方も交えて最後の詰めのために必死に練習をしていました。 

 

 そしてちょっとしたリハーサルの合間に「歌の祭典仕様のだよ」と友人が凝乳デザートをくれました。kārumsという乳製品製造会社のものなのですが、スポンサーの一つなのでパッケージがいつもと違います。こういったところからも、まさに全国民的行事の一面性を知ることが出来ます。 

 

 そしてこの夜にイベントホールとしてとても大きい場所である所で、Pūtēju orķestru koncerts „Priecīgs koncerts(ブラスバンドコンサート)が行われました。ヴィゼメ、クルゼメ、ラトガレ、ゼムガレ、リーガの各5つの地域ごとのもの、選抜グループなどによるもののマーチングバンド演奏がありましたが、総勢何千人いるのでしょうか、相当な迫力の演奏でした。質の高い演奏は勿論ですが、相当な人数をまとめ一つの音楽にすることは至難の業。全国から集った学生達と、この一つのコンサートを作り上げる人々の力に驚かされました。  

 

 7月9日 

   Mūsdienu deju koncerts(コンテンポラリーダンス)のコンサートでは休憩を挟むものの、3時間という長時間にわたってのダンスの発表。それぞれの華やかな衣装を着て、非常に現代的な演出で他のコンサートプログラムとは大きく違い、「この現代だからこそ」作られたプログラムの一部だと感じました。 

 

  そしてこの日の夕方にいよいよTautas mūzikas koncerts „Saule sēja sidrabiņu”(伝統音楽コンサート)、これは前日辺りからリハーサルに出入りをしたり、本番直前の楽屋へ入ったりとしたものだったので、本当にとても楽しみにしていました。 

 

  テレビ局の人が私の隣に来ており、なんと中継を行っていました(全てのコンサートはテレビ中継がされているため、テレビからの鑑賞者も全国に大勢います)。民族衣装の学生達が民族楽器の打楽器やクァクレを演奏し、合唱へと盛り上がり、司会者二人の曲間のつなぎ目に入る歌もあって、会場いっぱいにその音楽が溢れました。民謡のSaule(太陽の意)をベースにした曲が演奏されたのですが、その優しいメロディーと学生達の純粋な声のハーモニーが本当に感動的で、気がつくと自分の目頭が熱くなっていました。全演奏が終わった後アンコールを求めて立ち上がった人々の熱狂的な拍手の光景が、今でも忘れられません。「素晴らしい音楽をありがとう!」心から私は歌の素晴らしさと感謝を、リハーサル等に招いてくれた奏者の彼女に伝えました。

   

(写真)コンサートのアンコールの時の様子  

 

 

  Folkloras kopu koncerts „Es mācēju, es mācēju, ko tie citi nemācēja”(フォークロアコンサート)もその次に行われましたが、これは伝統的な合唱やダンスといった発表に留まらず、ジョークやソロによるものも披露されました。 

 

 

7月10日

 祭典もいよいよクライマックスに入ってきました。この日午前9時からお昼ごろまで31000人を越える参加者全員が街中をパレード。全員が民族衣装やそれぞれの衣装着て、プラカードや花や旗などを掲げながら、歌ったり叫んだり、進んでいきます。中には「いくよ!1,2,3、はい!」と一人が声を掛けると二人組みになって踊りながら進むグループも。道路の両側にいる観客達も興奮して一緒に叫んだりしました。とあるグループは何の旗も掲げていなかったので、私の隣にいた男性が勢いよく「旗なしのグループばんざーい!!」と叫んだところ、学生達もそれに応えて「イェーイ!ばんざーーい!」と叫びあっていました。ところで参加者全員とは誰を意味するのでしょうか?この祭典のホームページを敢えて英訳したものを読むと“All Latvians”と書いてあります。“All Latvians”とは一体誰なのでしょうか?「純ラトヴィア人」のための祭典なのか、それとも「ラトヴィアに住む全ての人」なのか。多民族国家ラトヴィアが抱える民族問題を懸念していた私としてはこのパレードは実に興味深いものでした。

ロシア系やベラルーシ系の学生達はロシアやベラルーシの民族衣装をまとって、北欧4カ国系の学生達はそれぞれの国旗を掲げて、そして黒人系の子供がラトヴィア民族衣装を着て歩いていました。決して「純ラトヴィア人(勿論この定義づけは容易ではないのですが)」だけではなく、他の民族にとってもまた「祭典」であり、共有されるものであることをこのパレードを一通り見てとてもよく感じました。

 

(写真)ラトヴィアの神々の象徴を掲げて  

    

(写真)ロシア系学校の学生達  

 

  中にはベビーカーを押しながら行進している女性(先生だと思います)やスーツ姿で全力疾走している男性もいました。彼に「どうしたの?」と聞くと「指揮者なんだけど、置いていかれてしまったんだよ!」と必死で答えていました。きっとおそらく途中でインタビューされていたのかもしれませんね。因みにパレードの最後尾に私は付いていって、参加者の学生達と一緒に道行く人々などに叫んできました。実は参加者特別の祭典Tシャツも着ていたので、すっかり参加者気分でした(笑)。「そこの窓から覗いている女性に万歳―!」「Maxima(有名なスーパーのチェーン店)に万歳―!」「全部にばんざーい!」――・・・

 参加者も観客も一緒になってお祭りのムードを味わい、盛り上がる。心から一緒に盛り上がって楽しみ、共有する喜び。コンサートやパレード、そしてこの祭典自体が持つ力に圧倒された気がしました。 

  そしてこの日の夜、いよいよクロージングコンサートと呼んでいる野外ステージでの合唱のコンサート、Koru koncerts „Mana zeme – zemīte skaistā!”がありました。野外ステージのある森林公園行きのバスは1時間以上前からすごい混みようで、コンサートが始まってもまだ多くの人が観客席に入れない状態でした。

この日も例のごとく夕方になっても気温が高く、西向きのステージは本当にまぶしかったです。参加者の学生達は羊の毛織の民族衣装スカートを着ている子ばかりで「暑そうだな」と眺めていたところ、皆短く織り込んでしまって本番前まで歩いているという「民族衣装ミニスカート」光景をちらほら見かけました(笑)。

  首相の演説、国歌斉唱、そして合唱のプログラム。民謡からアレンジしたもの、現代の作曲家によって作られたもの、ブラスバンドとの共演と、休みなく進んでいきました。時々子供たちによるダンスが歌に合わせて入ったり、「虹の橋を」というフレーズに合わせ、七色の布が歌い手の学生達によって運ばれて行ったり、歌手によるソロの曲も入ったりしました。おや?なんと昨日の伝統音楽コンサートでテレビ局の報道をしていた男性がマイクを持ち、ソロで歌っていました!「彼、実は歌手なんだけれどもアナウンサーもしているんだよね」と友人が話していました。老若男女の方では有名な歌手が勢ぞろいしてソロを歌うようですが、学生版ではそれほどソロの歌手は出ないとのことでした。伝統的な合唱と現代的な音楽とを交えたプログラムでした。 

  そして最後の3曲は全員合唱。ここ近年祭典などで歌われているもので私も過去に聞いたことのある、ものでした。プログラムに印刷されている歌詞を見ながら、全員立って歌いました。最後に花火が打ち上がり、コンサートは終了。何万人で一つの曲を歌う感動を改めて感じた時間でした。

  

(写真)最後の全員合唱 

「これからが本番だよ!」と指揮者の掛け声。夜の10時半前、家路に着いた観客もいましたが、その指揮者の声に合わせて、待っていましたとばかりに皆の表情が変わりました。観客と参加者が一体となって歌い合う「非公式コンサート」の始まりです! 

  

(写真)非公式コンサートの様子

  私と友人は前の方の席へ移動し、あらかじめ配られていた歌集を片手に「さあ次は○番だよ!」と次々と歌う曲を指定していく指揮者に合わせて歌いました。私達の前にいたツアーで来ていたドイツ人観光客の年配の人たちはびっくりしていましたが、すぐに「今何番の曲?」と歌集を見ながら(ラトヴィア語は分からないものの)曲に合わせて楽しそうに手を叩いたりしていました。私も知っている歌が多かったので一緒に歌い合い、私も「ラトヴィア人」として同じ何かを共有しました。「楽しいからなんだっていいよね!」そう嬉しそうに横で言う友人の言葉が本当に尤もに感じられました。ところでこの指揮者、指揮をしている間にひっきりなしに参加者の学生達が台に上がってきてサインを求められるため、大変そうでした。ある子は背中を差し出したため、彼は左手で指揮をしながら右手で書くということをこなしていました!学生達も指揮者も観客も、こんなに近い位置で同じ音楽が共有できる。歌いながら、心から音楽の素晴らしさを感じました。 

 12時に「非公式コンサート」は終了し、帰る前に私はステージの一番上に上ってみました。「明日が本番なんだけどね!」と元気に答える高校生のグループ、バスを降りてもまだ歌い続ける人々、熱気の残る会場、歌の跡。そして何よりも一つになって、何万人という人々で、音楽と心とを分かち合うこと・・・。夏の忘れられない、熱い記憶をいつまでも抱きしめていたい気持ちの夜でした。   

 

7月12日

 Tautas deju lielkoncerts „Deja kāpj debesīs”(伝統舞踊コンサート)が行われたのですが、ダンスだからでしょうか、とても人気であっという間にチケットが完売してしまったがために私は見ることが出来ませんでした。

   この祭典期間が終了してから、この祭典の実行委員会長であるAgra Bērziņaさんにお会いして、インタビューをしました。「日本人がこんなに小さな国の文化と祭典に興味を持ってくれるなんて、しかも来てくれるなんて」と大喜びでした。彼女との話した内容は解説にも載せてきましたが、他の事項もここに記したいと思います。 

――伝統音楽や舞踊だけではなく、コンテンポラリーダンスやポピュラー音楽のプログラムも入れていますが、どうしてでしょうか?「学生達は何も伝統音楽や舞踊だけを習い接しているわけではありません。現代的な音楽や芸術にも触れています。この祭典は自分達が勉強していることの発表会。様々な人がいるのだからそれを発表しあい、互いを知っていく。そういったことから設けています」

――パレードのとき様々な国の人がいたりしましたし、そういった人々のためのステージとかもありますが、こういった人々のステージについてどう考えていますか?「ラトヴィアで教育を受けている人々にはこれらを発表する権利、参加する権利は当然あります。だからこそ彼らのステージもあるわけです。それにラトヴィアとしてのまとまりも持てますしね」

――歌のクロージングコンサートにあるような「非公式コンサート」についてはどう考えていますか?「これは2006年から始まったものなのですが、コンサートを聴いている間観客だって歌いたいと感じますよね。だから一緒に共有する場を設け、皆で楽しむのです」

――確かにそうですね、私もそうでした(笑)でもところで、何故人々はこのような歌の文化、合唱の文化を持っていると思いますか?「昔人々にとって歌は休息でした。また支配されていたからこそ、人々の安らぎでした。皆で歌うことで楽しみ、気持ちを共有していました。だからこそこのような文化が保持されているのでしょうね」

――なるほど。ではこの祭典の将来をどう考えていますか?日本人の中にはこの祭典に興味を持っている人もいますし、他の国の人々に知ってもらいたいとやはり思いますか?「もちろんこれからも盛んになって続いていくでしょう。学生版の祭典も現在、無形世界遺産の登録を待っていますし、他の国の人々に是非知ってもらいたいです」

  次は新聞社のインタビューもあると忙しい中わざわざ私のために時間を割いてくれ、本当に嬉しい限りでした。 

  

(写真)実行委員長のAgraさんと筆者 

  6日間リーガに全国の学生達が集まり、発表し合うこの祭典。オーディションに勝ち抜いて披露するという、学生達にとってはとても誇りになる大きな舞台です。私も合唱や吹奏楽をしてきた身ですので、コンクールで勝ち抜く喜びはよく分かります。そして「何故これに参加するの?」と聞けば、第一に「楽しいから」と彼らは答えるだろうと思います。実際にクァクレ奏者に「何故クァクレを弾くの?」と質問してみましたが、彼女はとても困惑していました。「自分の文化を見せたい」「伝統文化を守りたい」ということもあるかもしれませんが、我々日本人とやはり彼らは同じなのです。「やっぱり楽しいから」「趣味だから」この理由がまず適当なのではないでしょうか。

 莫大な費用と人員と時間をかけてここまでまとめ上げることは、本当に凄いことだと思います。「楽しさ」も重要視していることは確かですが、全国民的行事として国を動かす力となることを、勿論主催者側は意図していることは確実です。多民族国家をまとめることにあたって、音楽の力ほど穏やかで、人々を一つにすることは他にないと感じます。実際にAgraさんにインタビューをしている時に「統合する」という単語がしばしば見受けられました。小国だからこそ全国的にできる行事でもありますが、国を一つの方向にまとめ上げるためにも、この祭典の位置づけが非常に重要であることがわかります。

 世界遺産として、またラトヴィアという小国の文化のショーケースとしてかけがえのない祭典であってほしいと望みます。しかしその一方でこの祭典が果たす社会・政治的意味合いももちろん大切な役割を果たしていることを、私は敢えてここで挙げたいと思います。「小国だからこそ」出来る行事でもありますが、「小国だからこそ」必要な行事である。そして現代社会の様相をよく反映しうるこの祭典が、今後どのようになっていくか、また楽しみでもあります。 

 この祭典に対し、他のラトヴィアに住む民族がどう捉えているのでしょうか。 

 一概に言うことは出来ませんが「人の関心それぞれ」ではあります。これは何も「ラトヴィア人らしい祭典だから差異を感じる」という意味合いだけではなく、「音楽にさほど興味がない」人も当然ながらいます。一方で「あんなにまとまって出来ることはすごいよね」ととても評価している人もいます。反対にラトヴィア人の中でも「観光客も呼べるし、経済効果もあるよね」という見方も実際のところあります。「ポピュラー音楽も入れているし、敢えて親しみやすくしている傾向・低俗化の傾向も近年ある」こういった批判もあり、確かに時代とともに歌の意味が変わっていっていることは事実です。 

 「日常的に歌に溢れている文化」と思いがちですが、残念ながら実際のところそうではありません。もちろん自分の文化として歌を大切にする傾向はありますが、こういった祭典の時・パーティの時といった特別なところで皆が歌う形式が一般的です。それでも自分達の言葉と文化が生き抜くために、また心の安らぎとして、歌が大切にされてきた歴史は間違いありません。この文化が現代に根付いていることも素晴らしいことでありますし、また支配され続けられてきた歴史がそのような文化を自然と作り上げたと言うことも出来ます。皆で大切にしていくべき文化、またこのような時代だからこそ未来に継承されるべき文化です。

  この祭典の持つ様々な役割を大切にしていってほしい。多民族国家として揺れるラトヴィアにおいて、この祭典がどんなラトヴィアを作り上げていくのか、私も一緒に歌いながら見ていきたいです。  

最終更新日 ( 2010/08/13 金曜日 10:57:03 JST )