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【10月11日】ラトビアの歌を歌う会 秋の第1回は「ラトビア国歌」を歌う PDF プリント メール
作者 webmaster   
2017/10/10 火曜日 22:20:57 JST

 

 

 

 

第7回ラトビアの歌を歌う会


 

(次回は1019日開催(詳細はこのページの最後部分をご覧ください)。

 

好評の「ラトビアの歌を謳う会」第2期初回(通算7回目)は9月28日にラトビア大使館で行われ、ラトビア国家[Dievs, svētī Latviju!」を歌いました。

 

佐藤拓指揮者は周到な解説リーフレットを準備し、極めて新鮮で感動的な解説を行って素晴らしい午後になりました。さらにこの日は新大使館員のエリーナさんが、得意のクアクレを演奏しその美しい音色に酔いしれました。リズミカルな踊りの曲ではでは全員が楽しくステップを踏みました。佐藤指揮者もこの楽器を手にして大変興味を持ったようです。寫眞はクリスティーナ会員の撮影です。

 

 

【佐藤指揮者による解説の文書部分】

 

ラトヴィア共和国国歌『Dievs, svētī Latviju!』 

「神よ、ラトヴィアに祝福を」と高らかに歌い上げるこの国歌の歴史は古く、ロシア帝国領時代の1873年にバウマニュ・カールリス(Baumaņu Kārlis18351905)によって作詞作曲されました。バウマニュは「若いラトヴィア」と呼ばれる民族主義運動にも参加する愛国者で、この曲は歌の中で「ラトヴィア」という言葉を用いた最初のものと言われています。作曲と同年に開かれた第1回のラトヴィア歌と踊りの祭典で歌われ、一気にラトヴィア人の間に広がりました。独立後の1920年、議会でこの曲を国歌とすることが正式に決定しました。

 

しかしソ連による併合の時代(19401990)、あまりに愛国的なこの曲を歌うことは固く禁じられます。歌が民族の結束を強め、大きな力となることを知っていたスターリンは、ソヴィエト色の強い新しい国歌を制定し、それを歌うことをラトヴィア人に強いました。

 

ソ連が崩壊し、ラトヴィアが再度の独立を勝ち取ったのち、1991215日に改めて国歌に制定され現在に至っています。

 

掲載予定の画像3点(佐藤指揮者提供分)、画像の性質上掲載不可でした。ご免なさい。(編集室)

(寫眞)リガのViesturdārzs公園にある国歌のモニュメント

 ※文中の楽譜はバウマニュ直筆のもの

 

 

Dievs, svētī Latviju,      

 

Mūs' dārgo tēviju,

 

Svētī jel Latviju,

 

Ak, svētī jel to!

 

Kur latvju meitas zied,

 

Kur latvju dēli dzied,

 

Laid mums tur laimē diet,

 

Mūs' Latvijā!

 

神よ、ラトヴィアに祝福を!

 

我らの愛する祖国

 

ラトヴィアを讃え

 

ああ、なおも讃えたまえ!

 

ラトヴィアの娘たちが花咲き

 

ラトヴィアの息子たちが歌う所

 

我らを幸せに踊らしめよ

 

我らのラトヴィアで!

 

 

「10月のラトビアの歌を歌う会ご案内」

 

日時 10月19日(木)12時30分~14時

場所 ラトビア共和国大使館 (渋谷区神山町37-11)

 

曲目 「頭を上げてください、お母さん」 ライモンズ・パウルス曲

指揮 佐藤拓  ピアノ 坂本雅子

 

会費 2000円

 

連絡先 日本ンラトビア音楽協会

      加藤民子 ( このメールアドレスはスパムボットから保護されています。観覧するにはJavaScriptを有効にして下さい ) 

 

最終更新日 ( 2017/10/13 金曜日 10:35:44 JST )
 
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