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【9月13日】藤井会長の好評連載(付録1) PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/09/13 火曜日 19:56:06 JST

 藤井会長の連載は前回の8回目で一応完結しましたが、この機会に、書いておきたいことを中心に付録の形で2回にわたって追加執筆されました。今号では荘大な歴史ドラマを聞いているような興奮を覚えます。今年は日本ラトビア国交関係樹立90周年・同国交回復20周年の記念すべき年に当たりますが、最終の付録2ではこの背景を詳しく語られます。会長の薀蓄に富んだ力作に、編集部としても心から感謝します。ラトビアへの深い愛がひしひしと伝わってきました。【Latvija編集室】 

音楽立国ラトビア讃歌(付録1)

     日本ラトビア音楽協会会長  藤井 威 

 これまで8回にわたり、バルト海東岸に位置する人口230万人程度の小国、ラトビアの音楽に対する深い思いを語ってきました。そしてこの小国が、周囲を強大な国に囲まれ、これら諸国による政治的、文化的、経済的支配の下で、時に厳しい抑圧に苦しみながら、固有の言語、文化、生活様式を守り続けてきた苦闘の歴史をお話してまいりました。その際、民族的な意識の底流に深く流れる音楽への傾倒こそが、この苦闘の歴史を耐え抜くバックボーンとなったことを指摘してきました。ラトビアは将に「音楽立国」そのものであったと言えるでしょう。

  バルト海東岸地帯に位置する三つの小国、北からエストニア、ラトビア、リトアニアは、バルト三国としてひとまとめに呼ばれることが多いのですが、実はこの三国は、言語、文化、伝統など、それぞれ固有の特徴を持ち、歴史的にも、異なった道を歩んできました。でも、面白いことに、音楽に対する深い思いと、音楽への傾倒については、共通するところが多いのです。  遠い昔、この地域に最初の住民が確認されるのは、紀元前3000年頃、ウラル・アルタイ諸語の「フィン・ウゴール語族」に属する言語の祖型をもった人々が東方から移住を始め、現在のフィンランド人、エストニア人及びラトビアの一部に細々と残る少数民族リーヴ人の祖先となりました。ついでに付け加えますと、フィンランド人の遠い祖先は、ずっと後の紀元4世紀末、アッチラ大王の下でローマ帝国と戦ったアジア遊牧民族フン族の子孫だと信じている日本人が多い(ハンガリー人もフン族の子孫と信じている人も多いです)ことに驚きます。全くの誤解です。―閑話休題―

  バルトに話を戻します。紀元前2000年頃、印欧語系のバルト語族の祖型を持つバルト族がこの地にやってきます。西側のリガ湾とバルト沿岸地域にリーヴ人、東側にバルト族が共存していたと思われます。なお、現在では、バルト語族の言語を保存しる民族は、ラトビア民族とリトアニア民族だけであり、その言語は、印欧語系の全ての語族に祖後に近いサンスクリット語の特徴を濃厚に保有していることは、この両国の誇りとなっているのです。なお、バルト語族に属する民族は、中世まで、プロシャ族が存在しましたが、ドイツの影響の下で今では完全に消滅しています。

  また少し脱線します。私がラトビア大使を勤めていた頃、ラトビアの人々は、私にこもごも次にように語りかけてくれました。「ラトビアと日本とは、親しい隣国です。何故なら、日本から距離的に一番近い欧州の国は、ロシアを除くとラトビアであり、両国の間にはロシア一国があるだけですからね。それに、日本最大の宗教、仏教の経典は、もともとサンスクリット語で書かれたものであり、日本語の中にも、サンスクリット語の痕跡があるそうですね。両国の言語の上でも近い関係にあると言えるでしょう」。

  本題に話を戻しましょう。バルト三国は、このような民族的あるいは言語的な状況を維持しつつ、原始的な自然崇拝宗教の下で、多数の小規模な部族国家を形成します。この地域が欧州の歴史に登場するのは、スカンジナビア半島及び現在のデンマークの地域のいわゆるバイキング所族が活躍を始める8世紀頃まで待たねばなりません。

  私はスウェーデン大使としてストックホルムに在住し、ラトビア大使を兼務していたのですが、大使公邸は、ストックホルム市郊外のロスラーク地方、ユーシュホルムという町にありました。8世紀頃、この地域に居住していたロスラーク・バイキングを中心とする人々が、バルト海を東へわたり、バルト地域からさらに交易を求めて東へ向かい、ノウグッドの王国を作り、南下してウクライナのキエフにキエフ大公国を建国します。ロシア史のあけぼのを開いたのは、バイキングであり、バルト地域はその発信ベースとなったのです。ユーシュホルムの人々は、私に誇りを込めて次のように話をしてくれました。「大使、ロシアの語源は、ロスラークの人々なのですよ」。  

 次いでバルト地域が歴史の脚光を浴びるのは、1200年頃、ブレーメン司教アルベルトが、キリクト教の東方布教のために、現在のリガの地に渡来し、次いでドイツ系騎士団と欧州で繁栄していた自由都市の連合体、ナンザ同盟のホ冒険商人たちが、この地域に足跡を記したことでした。多数の部族国家に分れて、静かに眠っていたこの地域は、これを契機に、欧州の政治、経済、文化の激しい動きにいやおうなく巻き込まれてゆきます。 

 現在のバルト三国のうち、リトアニアだけは、中世の東欧において、ポーランドの強い影響下に強大カリトリニア大公国を作り繁栄した歴史を持ちますが、エストニア、ラトビアの両民族は、欧州強国の圧力の下で、他民族の分割統治下に、忍従の長い歴史を経験し、19世紀に入ります。この間、音楽が無上の心の糧となったのです。そして、結局、現在のバルト三国の地域の大部分は、ツァーリが独裁的に支配するロシア帝国の支配下に入ります。  

 今回はここまでとし、次回にバルト三国の独立の達成と日本の外交関係、及び、我が日本ラトビア音楽協会の活動についてお話しましょう。

【連載バックナンバー】

【9月5日】藤井会長「音楽立国ラトビア讃歌」8   【8月28日】藤井会長「音楽立国ラトビア讃歌」7

【8月17日】藤井会長「音楽立国ラトビア讃歌」6  【8月10日】藤井会長連載「音楽立国ラトビア讃歌」5

【7月28日】藤井会長連載「音楽立国ラトビア讃歌」4  【7月12日】藤井会長の講演会と好評連載第3回

【6月30日】藤井会長連載 音楽立国ラトビア讃歌2   【6月18日】藤井会長がラトビア讃歌連載開始1

 

最終更新日 ( 2011/09/13 火曜日 19:58:25 JST )
 
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