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【9月3日】板垣忠直当協会理事(79)死去 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/09/03 土曜日 19:51:41 JST

 ラトビアが本当に大好きな人だった!

死の直前まで活発な音楽活動続け、生涯現役貫く

   日本ラトビア音楽協会理事の板垣忠直氏が831日夜、大腸ガンのために福島県伊達市の病院で死去された。79歳だった。板垣氏は福島県吹奏楽連盟理事長、同芸術文化団体連合会副会長、福島市音楽堂運営委員長など数々の役職を歴任し、福島県音楽界に大きな功績を残した。当協会には設立早々に入会され、協会行事に積極的に参加して協会の活動を支援した。協会ニュース「Latvija」にも数々の原稿、報告、談話を残している。ラトビアが大好きで、リガ大聖堂少年合唱団の福島演奏会開催をはじめ、多くのラトビア関連演奏会をバックアップした。074月には、自ら指揮する“やながわ女声コーラス”を率いて、夢のラトビア演奏旅行を成功させた。さらに104月には、闘病生活を続けながら78歳記念リサイタルを開き、声楽家としても絶賛を博した。葬儀は93日に福島市の鎌田ホールで行われ、当協会からも生花を贈った。自宅は福島市鎌田字舟戸17、喪主は妻の敏子さん。心からご冥福をお祈りしたい。【Latvija編集室】(写真は09年の新春懇親会で挨拶される板垣忠直理事)

 加藤晴生専務理事の話 日本ラトビア音楽協会を設立した時、「音楽の友」に会員募集広告を出しましたが、板垣さんはその広告を見て入会された最初の方でした。協会の催しには福島から欠かさず来て下さり、際立った存在感で私どもを支えて下さった。大震災の直後に電話した時は「家の中は酷いが外は何ともない。私は大変元気でピンピンしていますよ」と笑っておられた。容態が悪くなったのは7月下旬からで、それでも、814日には、最近の10年ほど連続演奏している自作のオラトリオを指揮された。さらに21日に“やながわ女声コーラス”を元気に指揮されたという。“とても気持ちよく振れた”と大喜びで病院へ帰られたが、その後急変されたようです。まさに奇跡の指揮で“死ぬまでの現役を貫かれました。6月のケイコ・ボルジェソンさんの演奏会にもわざわざ福島から出かけられ、フィナーレでステージへ呼び上げられで大いに盛り上がっておられたとか。やりたい事を全てやり遂げられ、本当に素晴らしい一生を送られたと思います。それにしても少し早すぎた感が強く、とても残念で寂しい限りです。91日のサロンコンサートで、ヴァイヴァルス大使が哀悼の言葉を述べられました。 

 78歳記念リサイタルのこと 【4月22日】絶賛博した板垣さん78歳コンサート

 07年のラトビア演奏旅行報告は、当サイトのメインメニュー「協会ニュースLatvija」をクリックし07年第85面をご覧ください。

最終更新日 ( 2011/09/03 土曜日 19:56:39 JST )
 
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