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【8月10日】藤井会長連載「音楽立国ラトビア讃歌」5 PDF プリント メール
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2011/08/09 火曜日 23:05:34 JST

 

音楽立国ラトビア讃歌(5) 

           日本ラトビア音楽協会会長  藤井 威 

 1945年の第二次大戦終結から1991年のラトビアの独立回復宣言までの、ソ連支配の46年間をどのように書けばよいのでしょう。ソ連中央政府及びラトビア共産党政府の強制的支配下で、農業の集団化と反抗者の抑圧、大量のシベリア収容所への連行、秘密情報機関KGBの活動など、ソ連支配下の地域でどこにでもあった人民の強圧がここにもあったと書けば、それで充分でしょう。経済の成長はほとんどストップし、社会は沈滞に沈みます。あの自由大通リも「レーニン通り」となります。

  そのような中でも、ラトビアの人々は民族的伝統を細々と追い続けます。リガ市を始めとする中世ハンザ同盟都市の面影を濃厚に残す美しい街並み、騎士団支配時代の砦や古い木造教会などの遺産、中世・近世時代の大地主な豪華な邸宅(マナーハウス)などの文化的遺産を大事に守り続けます。田園地帯や森林地帯の自然景観の保存にも意を用います。相当に汚れ、崩壊寸前になってもなお、大事に守ろうとする意欲を失うことはありませんでした。  

 そして何よりも音楽への傾倒は、人々の生活の中で、この上ない慰めであったと思われます。ラトビア全土に散在する小さな地方都市にも必ず合唱団があり、相当規模の都市にはオーケストラも活動していました。この国の音楽家たちの技能は驚くほど高度であり、リズム感、音程など、見事としか言いようのないレベルに到達していました。何よりも、合唱やオーケストラ演奏におけるハーモニーの美しさは驚嘆に値します。ラトビアの人々は幼時から音楽に囲まれて育つ環境、そして適切な音楽指導の伝統が培った効果ではないでしょうか。超人的技能を誇るある演奏家は私にこう言いました。「ソ連治下の強圧の下で、耐用年数のとっくに過ぎた楽器を、修理も更新もできず、騙し騙し演奏して文句のない音を奏でるのもプロの芸のうちでした」と。ラトビア全土にダイナの演奏がたえることはなかったのです。

  五年毎に行われるあの「歌と踊りの祭典」もまた絶えることなく開催されました。ソ連当局により労働歌などの唱和が強制される中で、民衆はそれに従いつつも伝統のダイナを歌い、自由への憧れを新たにし、現状への慰めを見出していたのです。

  このシリーズの第三回で私は書きましたね。歴史には転機というものがあると。今回もまたこの小国に決定的な転機が訪れます。

  転機のきっかけは、1985年のゴルバチョフ政権の登場とペレストロイカ、グラスノスチ政策の開始でした。これに伴い、ラトビアでも静かにゆっくりと、しかし着実に進み始めたのです。1987年にはソ連当局による大量強制連行犠牲者への追悼集会が、続いて独ソ不可侵条約秘密協定への反対集会が、さらには、ラトビア中央の大河ダウガヴァ川に計画された大規模発電プロジェクトへの反対集会があいついで行われます。そしてこのような動きは、ついに「歌う革命」による独立回復につながります。

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 古都ツェーシス

1201年、現在のリガの地に上陸したブレーメン司教アルベルトは武装勢力、帯剣騎士団が伴っており、13世紀を通じて、現在のエストニア南部及びラトビアの地(ツェーシスと呼ばれた)に騎士団領を建国した。その拠点は当初リガに、続いてチュートン騎士団の築城によるツェーシス古城(廃墟)であり、ふるさと感覚が濃厚に残る現在の中心市街地である。

 

 

 

最終更新日 ( 2011/08/18 木曜日 21:57:16 JST )
 
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