Home   トピックス   ラトビア語教室  
2024/04/25 木曜日 09:54:38 JST
Home arrow トピックス arrow 2011年6月のニュース arrow 【6月6日】ラトビア大使が長野公式訪問
メインメニュー
Home
トピックス
協会案内
ラトビア音楽情報
協会ニュース「latvija」
検索
お問合せ
ラトビア語教室
協会合唱団「ガイスマ」
管理用エリア
【6月6日】ラトビア大使が長野公式訪問 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/06/06 月曜日 13:45:54 JST

  ラトビア大使の信州訪問3日間 

                               多賀 清雄(会員) 

 ヴァイヴァルス・駐日ラトビア特命全権大使の初の長野県公式訪問が526日から28日まで3日間行われました。東日本大震災、長野県北部地震、さらには原発事故と相次いだため計画どおり進められるか懸念されましたが、とにかく大使館側の熱心な要望に出来るだけ沿って、仲介役を精一杯努めようと思い立ちました。訪ねたのは知事ら官庁2、経済団体2、教育・研究機関2、社会団体2、マスコミ1、企業2、森林林業関係2などです。このような時期に受け入れてくれた皆さんに感謝したいと思います。以下、大使訪問の簡単なリポートを記しておきますが、もちろんこれは私個人の感想に過ぎません。 

(編集部註)今回の訪問に大きな役割を果した多賀会員のプロフィールを最後に掲載しました。なお、関連写真は別ページに掲載します。(Latvija編集部)

 1・ 歓迎された大使  

 知事や経済団体などへの訪問は言わば定番ですが、ラトビアという国の珍しさ、大使の経歴やマラソンランナーといったキャラクターが話題の呼び水となって、終始温かい雰囲気であったと思います。風評に惑わされて遠方に避難した大使もいた中で、同大使が正確な情報を集めて本国に報告し、それに基づいていち早く義捐金を日本政府におくってくれたことに感謝の意を表明する声が目立ちました。 歓迎の仕方に工夫も見せてくれました。最初の表敬の長野市長室の卓上にさりげなく白いフランスギクが生けられているのを大使が気づき、「国花です」と頬を緩めました。市の女性国際室長さんのこころ遣いと思われ、打ち解けた滑り出しとなりました。 

 市立西部中学校の訪問は大使だけでなく、私たちにとっても予想外の感動がありました。長野では冬季五輪の際、どの小中高校もどこかの国の選手を応援する「一校一国運動」を繰広げています。そのご13年たっていまだにその国と文通したり、生徒のホームステイの交換、親や教師の相互訪問に発展させている学校も少なくありません。子供たちに国際的な感性を育むカリキュラムの一環となっているのです。国際親善クラブがこの運動をバックアップしており、空港から学校までの送り迎えや、ホームステイ先の紹介など、同クラブが引き受けています。

 五輪でラトビアを応援したのが西部中でしたが、残念ながらその後関係は絶たれていました。今回大使から「お礼かたがた子供たちを訪ねてみたい」という希望が出されましたが、当時の先生はいないし、生徒にとっても五輪は昔のこと。どんな訪問になるのだろう、校長先生も私もはじめは?でした。ところが、校長、教頭先生らの配慮はすばらしかった。案内された体育館には全校254人の生徒全員が小旗を振って「ラブデイアン」と迎えてくれました。吹奏楽でラトビア国歌が演奏され、3年生の麻生祐一郎君がラトビアの震災支援を紹介し、「私たちは世界中が協力し合える関係を築いてゆきます」と宣誓。全員がラトビア語で「プート・ヴェイニ」を2番まで歌ってくれたのには、驚きました。大使もすばらしいハーモニーに「ラトビア人ならだれでも愛している歌。まるでラトビア人が歌っているように聞こえた。温かい歓迎をうけ、言葉に出ないくらい感動しています」と喜びを表しました。テレビもこの歓迎式典を夕方の時間帯で流した。国際親善クラブの会長さんは「大使館と連絡をとり、ラトビアの子供たちとの文通などを実現したい」と語っていました。 

 このあと訪問した北ロータリークラブは、合唱団で施設の慰問をしているユニークなクラブですが、この日の会長さんは自ら「マーラが与えた人生」の1節を歌って型破りな「音楽の国から来たゲスト」を紹介しました。また、地場の機械メーカーの社長さんは自作の曲のCDを大使に贈呈。多くの人たちが今回DVDで初めて知ったラトビアの合唱祭に「行ってみたい」と話しかけて来るなど、なじみのなかったラトビアという国が身近になり、音楽を通じていっぺんに距離が縮まったことを感じさせました。。  

2.もっと国情を知って

  ラトビアに対する人々の関心は多様です。EU協会での大使講演会は同協会の春の例会として開催されました。実際の聴衆は申し込みの半分、20人と寂しかったのですが、参加したある女性はラトビアの女性の地位、教育や社会福祉制度の現状について鋭い質問をしました。この人はお隣の飯綱町のワイナリーで働くタンザニア出身の婦人で、商品が売れれば一定額をアフリカのエイズの子供に送るという活動をしています。大使は「大統領や国会議長が女性だったこともあります。学ぼうとする女性には国が支援金を支給する制度もある」と丁寧に説明すると、女性の聴衆から期せずして拍手が起こりました。ほかの場所でもラトビアのエネルギー問題、産業の現状、民族と言語の問題など硬派の質問が出されたことがありましたが、私ももう少しラトビアの現状について知識があれば、ましな資料を作れたのにと反省しました。音楽協会は畑違いかもしれませんが、ラトビアという国が戦争など起こすことが出来ない、平和な国であることを知らせてゆくことが大事ではないか、と思ったのです。 

3.企業訪問は有益

  地場産業を視察したいという要望にどう応えるかは、一つの課題でした。県商工部と経営者協会の協力で ①大企業の関連工場でなく地場に根ざして自ら技術開発に努めてきた地方色のある企業 ②ラトビアと将来関係を深める可能性があるか、軽工業が主流のラトビアにとって参考になりそうな企業---を重点に選択。その結果、一つには東証1部上場企業で好業績を誇るキノコ生産のホクトの子会社ホクトメデイカル。キノコから抽出する成分で健康飲料などを製造販売しています。もう一つは搾乳機など酪農機械から発展して印刷や省エネ空調機など多角化を進めているオリオン機械。高付加価値の多品種生産で独自性を発揮しているユニークな企業です。

  この両企業は、信州大工学部のナノカーボン技術を開発した遠藤研究室の視察と併せて、大変大使の関心を惹きつけたようです。「技術提携のいろいろな可能性を感じて有益だった」と語っていました。オリオン機械の社長さんは先頭にたって工場内を案内し、企業の考え方を熱心に話しました。面白かったのは、ラトビア人は信州人にまけないほどのキノコ好きがいるようで、毎年毒キノコを誤って食べて死ぬ人が信州と同じく数人はいるそうです。秋になると雨降りのあとソワソワと森に出かけるキノコマニアはオルロウス書記官も同様で、ホクトメデイカルの社長と意気投合、ついにはラトビアのマツタケ輸出の可能性を探るためホクトの調査団派遣を要請するという話になりました。

 とにかく周りがスウェーデン、フィンランドというハイテク国。自らもソ連時代は重工業国だった国だけに、ポテンシャルは高いと感じました。 

4.林業視察で一息

  最後の日は木曽地方の森林視察としました。大使は大きな玉のカメラを取り出して、 「ラトビアは森の国なので、こういうところに来ると嬉しい」と、おりしもパラつき出した雨も気にせず街道の風景をしきりに撮っていました。午前中に訪ねた塩尻の県林業総合センターでは、大使訪問に合わせて1ヶ月前から菅谷所長さんら幹部が英文の資料作成に取り組んでくれたようです。 また、午後は上松町の赤沢国有林を林野庁木曽森林管理署長さんが一人で案内してくれました。赤沢では森林鉄道に乗せていただきましたが、ラトビアの森林は平地林で林鉄が存在しないため大変珍しかったようです。樹齢300年の木曽ヒノキを見ながら、彼我の森の比較、特徴などに話が及びました。土曜日の公務員出勤は申し訳ありませんでしたが、その上、木製品のお土産までいただき恐縮しました。 

5.同行して---

  3日も同行すれば情が移るのかもしれませんが、私にとってもラトビアという国がより身近になりました。大使は大の日本食好きであり、日本酒好きでいらっしゃるし、また何でも「おいしい」をかならず言って残さず召し上がるのが気持ちよかった。ロータリーの昼食会、善光寺の精進料理、EU協会の会食、木曽奈良井宿のソバと五平餅---と全部和食で通させていただきましたが、喜んでいただけたのは嬉しかった。多分、気を遣ってくださったのでしょう。率直で真面目なお人柄も、信州人の好むタイプです。私もラトビア人について、もう少し知りたいと思いました。信州でラトビア音楽祭をやりたいですね。以上

 多賀清雄君のこと

 多賀君は早稲田グリークラブで同期だった私の親友で、卒業後は同じ新聞記者の道を歩みました。ジャーナリストらしい生き生きした彼の手記をHPに掲載するにあたって、一応「君の略歴入れるよ」と伝えました。ところが、「単なる私的なレポートだから恥ずかしい。肩書きが要るなら元信濃毎日新聞記者にしておいてくれよ!」。でも、謙虚な彼の要望を無視し、友人の立場で簡単に紹介します。卒業(政経学部新聞科)と同時に信濃毎日新聞社に入社し、取締役編集局長、同東京支社長を経て長野放送代表取締役専務、長野FM放送代表取締役社長を歴任するなど長野言論界に大きな足跡を残しました。現在も長野県民共済生活協同組合理事、日本林政ジャーナリストの会幹事を務めています。ラトビアとラトビア音楽への傾倒は、2008年に当協会が主催した歌と踊りの祭典視察団に参加したのが始まりで、協会の各種会合にはもれなく出席しています。特筆すべきは、協会合唱団「ガイスマ」の練習に無欠席だということ。新幹線で通うのですから大変なことです。この手記を「長野でラトビア音楽祭をやりたいですね」と結んでいますが、彼の顔の広さと行動力を知る私は“きっとやるだろうな!”と確信しています。(Latvija編集長 徳田 浩)

最終更新日 ( 2011/06/20 月曜日 10:55:16 JST )
 
< 前へ   次へ >
ラトビア関連写真(写真随時追加)
36488673_10217091370865887_1064087858505056256_n - コピー.jpg
サイト内記事検索
人気記事