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【1月19日】12月のラトビア訪問記 川島泰彦 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/01/19 水曜日 16:33:15 JST
 

豪雪・厳寒のリガ、多くの人々に出会った実りいっぱいの5日間

           日本ボーイスカウト富士地区  川島泰彦(会員) 

 

   

 ブラックヘッド前のクリスマスツリー 

 

  

 ドーム教会広場のクリスマス市場  

凍てつく石畳の道を美しいラトビア女性がコツ、コツ、コツとハイヒールの音を響かせて歩いて行く姿を見てみたい。そんな思いを実現すべく実行したのが今回のラトビア旅行でした。実際には雪が多く、ハイヒールの響きはありませんでしたが。 12月8日の出発は、フィンランド航空のストライキで出鼻をくじかれましたが、エアロフロートを使い、どうやら真夜中に同行の羽生田さんとリガ空港に到着することが出来ました。夜遅くなるから空港には来ないようメールしてあったのに、スカウトリーダーのバルディスとリエーネが雪の積もった-8度の中、出迎えてくれ大感動でした。 

  

 大使館訪問 右から長内大使、筆者、同行の羽生田氏  

9日、10時日本大使館に長内大使を訪問、ラトビアホテルから大使館までは夏なら数分の距離ですが、横殴りの雪は静岡県人の私には厳しく長く感じました。長内大使と後藤書記官が笑顔で迎えて下さり、8月の日本ジャンボリーに招待したラトビアスカウトの報告、2011年8月には数名の日本スカウトがラトビアを訪問することをお知らせしました。大使からは天皇誕生日のレセプションに6名のラトビアスカウトを招待して下さることを伺いお礼を申し上げました。大使館ホールには早稲田大学グリークラブのペナントと並んでシルバーウルフのネッカチーフが飾られ、双方に関係ある私にはこの上ない喜びでした。 雪の中、エスプラナーデ公園のモミの木はシックで美しいクリスマス飾りが施され、さすがクリスマスツリー500年記念だと納得しながら旧市街をさまよい、ドーム教会広場のクリスマス市を見たり、リーブ広場からのキャットハウスの屋根の猫を眺めたりしているとすっかり体が冷え切り、羽生田さんとあわてて入った小さなカザフスタン食堂の主人が親切だったのが印象に残ります。 一度ホテルに戻り、1600から外務省のドベレ局長にお会いするため外務省へ。ドベレさんとは11月東京のラトビア大使館でお会いしており、リガ訪問の際は必ず電話することを約束してありました。以前訪問した外務省に行くと移転したと言われ、雪の中駆け足で新外務省へ。この建物は1918年独立当時のものでウルマニス首相が執務した歴史ある建物という。ちなみに建物の内装を行ったのは外務省勤務時代のヴァイヴァルス大使とのことです。内部は吹き抜けのある立派なものでした。ドベレさんは2005年から私がシルバーウルフ章受章者、Mr.Radzinsの消息調査をしていたことを知っていたという。私の調査資料を渡し、青少年交流に協力を依頼する。日本担当のマーラさんに建物内の説明を受け外務省を辞した。夕方スカウトリーダーのリエーネが夕食会のため迎えに来るので駆け足でホテルに戻る。 

  

 スカウトグループの歓迎会  

少々疲れた私はタクシーで行こうと言ったのですが、近い所だし、“私達はスカウトでしょ”と言われそれに従う。歩く事約20分、目的のリエーネ宅に到着。百年以上たつ集合住宅にある部屋は質素だが綺麗にリモデルされていた。08年、10年と日本に招待したスカウトやスカウト関係者十数名が集まり彼女の母親自慢のラトビア料理とバルディスが買いこんだビールを味わう。カルボナーデという名の代表的なラトビアの豚肉料理とサワークラウツはビールによく合い大変おいしく頂いた。17才のカトリーナから84才のビジュプスさんまで幅広い年代の人々との会話は楽しく時間の経過が速かった。日本からの土産を渡すとそれ以上のプレゼントを贈られ嬉しいやら困るやら。記念写真を撮って辞する前に中嶋勝彦会員からのDVD「祖国」を見せることにした。年代により反応は異ったが食い入るように画面を見る彼らの表情は真剣そのものだった。“20年前多くの日本人がこれを見て感動したんですよ”とドキュメンタリーの背景などを説明した。さすがに帰りはバルディスの車でホテルへ。第一日目のラトビアはかなり多忙だったが実り多い一日だった。 

  

 外務省訪問、パブリクス大臣と会談  

10日、10時防衛省に後藤書記官の案内でパブリクス大臣を訪問。実は日本出発の2日前、後藤様から大臣が面会したいとの電話を頂戴した。大の親日家で空手有段者の大臣とは、外務大臣の時2度ほどお会いした事があった。防衛省の空気は固かったがパブリクス大臣の笑顔で柔らかくなりました。大臣は私達の友情プロジェクトに様々な質問をした後、来年夏、日本スカウトのラトビア訪問時に防衛省傘下の青年組織の若者たちと会ってほしい旨、希望を述べられました。 公式行事から解放された私達は雪の降り積もる中、ピルセータス運河沿いに歩き、さらに中央市場まで足をのばし、リガのハイキングを楽しみました。歩道は除雪してありましたがその他は30Cm程の積雪でした。市場内の探索も興味深いものが多々あり蜂蜜やチーズの試食をしたおかげで重い買物をするはめになり市場内の食堂でビールを口にして至福の時を過ごしました。 夕食は日本に長年銀行員として滞在したザネッタさんと昨晩お世話になったリエーネをラトビアレストランに招待。招待とは名ばかりでレストランに連れて行ってもらった訳です。雰囲気も料理も最高でしたが量が多く、羽生田さん共々メインディッシュ途中でギブアップしてしまい楽しみにしていたデザートまでたどり着けませんでした。  
 

11日、朝9時に9名がラトビアホテルに集まり、バルディスの運転で東40キロのオグレに向かう。彼らからラトビアの何を見たいのか尋ねられて、ラトビアの冬の自然とシルバーウルフとの再会、そしてバルト海と答えてあった。ワーゲンのミニバンは雪道を50分でオグレのスカウト博物館に到着。シルバーウルフ章はガラスケースに綺麗に収められていた。私は感激で思わず目頭が熱くなった。思えばこのウルフは1933年にラトビア伝説のスカウター、Mr.Radzinsがスカウト運動創設者から受章し、ラトビア崩壊時、彼と共にアメリカに亡命、1973年彼の死後私が遺品として預かり以来三十数年間ともに日本で過し、1991年独立したラトビアにスカウト運動の再生を知って2007年世界スカウト運動100周年に彼の祖国ラトビアに返還された品です。63年間にわたり世界を一周し祖国に帰ったウルフは日章旗の横に静かにたたずんでいた。その様を見ただけでスカウト達がウルフをいかに大切にしているかが良く分かり幸せを感じた。

  

   雪原でのランチタイム 

   

  冬のバルト海を背に筆者と右・レナーテ、左・リエーネ  

心の温まった私を乗せ一行はシグルダへ。ボブスレーコースとスキー場を見学してから氷の流れるガウヤ川縁の雪原で火をおこしソーセージとパンを焼いて昼食をとる。スカウトならではの接待に感激。雪原を散策してからツライダ城を見学したが野外はやはり寒かった。再度車に乗りバルト海を目指し西へ向かう。車中では世間話、学校、職場やラトビア人の事などに花が咲きそんな会話も楽しかった。集落と林を抜けると海に行きあたった。バルト海だ。横殴りの雪が顔にあたる中、海岸に行き海水をなめてみたがほとんど塩の味がしなかった。レナーテがお二人に天使をプレゼントするといって雪の中に倒れこみしばらくもがいてから立ち上がると雪が天使の形にへこんでいた。記憶に残る贈り物だった。 夕方5時にホテルで解散。その後私達は国立オペラハウス、ザガーズ支配人招待の最後の晩に相応しいプログラムを味わった。ザガーズさんは出張中だったが、オペラハウス専属交響楽団とピアノ演奏を楽しんだ。前半のシューマン、後半のショパンは共に素晴らしく今でも耳に残っている。余韻を味わいながら凍てついた雪道をホテルに戻った2人はホットバルザムで、冬のラトビアに乾杯した。

12日、帰国の朝、バルディス、リエーネ、アーティスのリーダー3人が別れのためホテルにやって来た。3人の若者とコーヒーを飲みながら様々な話をした。“来年8月日本から来るスカウト達を自分たちが責任を持ってお世話し、大歓迎します”という言葉は大変嬉しく私達のFriendship Projectは、しばらく安泰だと意を強くしました。若者たちは遠慮したにもかかわらず空港まで見送ってくれ、私達を離れがたい気持ちにさせた。わずか3日間、雪の降る気温の低いラトビアでしたが私達の心は温かく、ストライキの終わったフィンランド航空の帰国フライトは快適でした。(2011.1.16.記) 

最終更新日 ( 2011/01/19 水曜日 18:04:55 JST )
 
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