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【11/15】「リガ大聖堂少年合唱団」北九州演奏会 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2008/11/19 水曜日 01:32:41 JST

「ウェルスティとばた」(JR戸畑駅前)でクリスマス・コンサート

 

 先にお知らせしたリガ大聖堂少年合唱団の北九州公演は123日(水)、1830分からJR戸畑駅前の「ウェルシティとばた」で開催されます(開場18)。北九州市文化振興基金事業としてラトビア支援の会(山本徳行会長・日ラ音楽協会顧問=スウェーデン名誉領事)が主催します。入場料は一般3000円、中学生以下2000円。お申し込み・お問い合わせはラトビア支援の会(Tel 093-322-1123  Fax 093-322-2525・担当 宮原)へ。

  

最終更新日 ( 2008/11/19 水曜日 02:10:42 JST )
 
【11/13】ラトビアの男声アカペラグループ「COSMOS」来日公演 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2008/11/14 金曜日 01:01:59 JST

6人の若いラトビア人による男声アカペラグループ「COSMOS」絶賛博す

 

6人の若いラトビア人による男声アカペラグープ「COSMOS」が来日、117日に神戸新聞社松方ホール、同9日に宝塚ベガホールで演奏会を行い、美しいハーモニーと、綿密に計算されたパフォーマンス構成のグレードの高さに、超満員の聴衆を驚愕・瞠目させた。この演奏会は東郷武在大阪名誉領事と関西日本ラトビア協会(今年10月スタート)が推進したもので、会場には来日中のリガ市長夫妻の他、ヴァイヴァルス駐日ラトビア大使、オレグス同大使館員も姿を見せた。

 7日は神戸市混声合唱団、9日は関西学院グリークラブが賛助出演し、音楽を通じた日本とラトビアの友好を深めた。9日には歌手の小田陽子さんが有名な「マーラが与えた人生」(100万本のバラ原曲)をラトビア語で歌い、併せて聴衆に歌唱指導して大合唱を実現した。

 8日には名誉領事館(ダイワハウス工業本社ビル)で「COSMOS歓迎の夕べ」が開かれ、こちらも大きな盛り上がりを見せた。

 「COSMOS」はラトビアの日本のSMAPに例えられる美男子揃いの人気グループで、とりわけ若い女性聴衆のハートを完全に掴み、一気にファンが激増した。

※このページは関西日ラ友好協会の池田裕子さん(関西学院史編纂室)と、特別出演した日ラ音楽協会の小田陽子さん(歌手)から聞いた話の一部をまとめたものです。

Latvija編集室】
 
【11/13】今年はラトビアも経済停滞 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2008/11/14 金曜日 01:00:20 JST

今年はラトヴィアも大変な景気停滞を迎えています

 

 リーガ在住の黒沢歩さんからの情報によると、ラトビアも不景気風が吹いているようです。

「世界的な経済危機のなかで、ラトヴィアも今年は大変な経済停滞を迎えています。“ラトヴィアの銀行は健在だ”と、先月まで豪語していた金融専門家と国家要人が、ひと月後には発言をコロリと変えました。パレックス銀行は国の補填を初めて受け、国はIMFに助けを求めることになりました。国内総生産は、今年第3四半期にマイナス4パーセントに後退し、来年度予算の引き締めが連日のニュースの話題となっています。町を歩けば、昨日まであったお店が空っぽで、市内の商店街は軒並みシャッター通りと化しています。2004年以降のバブルと今年に入ってからの顕著な不景気は、まるで絵本のページをめくったかのように如実に観察されます…」

 

 ラトビアの11月は独立90周年記念祝典をはじめ様々な大きな行事がありますが、黒沢さんからの興味深いレポートはLatvija14号に掲載します。

Latvija編集室】

 

第一次世界大戦の戦没者を埋葬する「兄弟墓地」のモニュメント

最終更新日 ( 2008/11/21 金曜日 01:26:33 JST )
 
【11/13】当協会会員・筑紫哲也氏死去 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2008/11/14 金曜日 00:48:04 JST

故・筑紫哲也氏は早大グリークラブOBとしても活躍された

  

 日本ラトビア音楽協会会員でジャーナリストの筑紫哲也氏が117日午後1時50分、肺癌のため都内の病院で死去され、各メディアは大きく報道して同氏を偲び、偉大な功績を称えた。享年73歳。

筑紫氏が大の音楽愛好家だったことはよく知られているが、早稲田大学政経学部在学中、グリークラブで活躍していたことを知る人は少ない。早稲田大学グリークラブ100年史によると、昭和31年度定期演奏会(122021日 産経ホール)、同32年度定期演奏会(121617日 産経ホール)に出演した記録が残っている。パートはベース。同氏は在学中、アメリカ人夫妻が香港に孤児院を作るプロジェクト担当のセレクションに合格するなど海外に行くことも多く、3年生の時の定期演奏会出演を最後にグリークラブの活動から脱落したが、同100年史に、こんな談話を残している。「早稲田グリ-では僕なんか劣等生だったよ。関学(関西学院)とトップを争うような名門だったから運動部に近いんだよ。練習はきつくってさ。その上、いろんなことにコミットするようになって、もともと素質がないのに練習しないから、だんだん脱落してしまった。そしたら、何と「筑紫が外国へ行く」ってんで、みんなカンパしてくれたんだよ。一円玉が多かったけど(笑)、グリーには“変わったことをやるのは大変良いこと”だという価値観がありましたね。とにかく、前半は結構グリーをやっていた…」。

 筑紫氏は2001年に早稲田大学グリークラブOB会が主催した「岡村喬生コンサート」(サントリーホール(1117日・サントリーホール)や、2002年に行われた「稲門グリークラブ(早稲田大学グリークラブOBで組織した合唱団)50周年記念演奏会」(127日・すみだトリフォニー大ホール)などに出演、得意のトークで会場を沸かせるなどグリークラブOBとしても活躍を続けた。

「私は“最強”のグリークラブの“最弱”のメンバ-でした。猪苗代湖畔の合宿では、セカンドベースのパートリーダー、玉田さん(現ボニージャックス)にとってもっとも手を焼かせるお荷物でした。定期演奏会でも一緒に歌っている先輩から「音が外れているぞ」と小声で注意されたこともありました。途中編入(2年)の上、卒業間際は卒業できるかすれすれで練習もままならない状況でしたが、“音楽”とくに男声合唱や宗教曲の愉しさを身に付けた貴重な体験に感謝しています」。(早稲田大学グリークラブOB会50年史)

 心から冥福をお祈りしたい。

Latvija編集室】

最終更新日 ( 2008/12/21 日曜日 23:41:03 JST )
 
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