Home   トピックス   ラトビア語教室  
2024/07/04 木曜日 09:48:49 JST
メインメニュー
Home
トピックス
協会案内
ラトビア音楽情報
協会ニュース「latvija」
検索
お問合せ
ラトビア語教室
協会合唱団「ガイスマ」
管理用エリア
A blog of all section with no images
【8月29日】黒沢歩レポート「ラトビアにおける柔道」 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2009/08/28 金曜日 23:44:42 JST
   

 昨年、東京で黒沢歩さんと食事をした時、「日本柔道はラトビア柔道界と正式な交流がなく、私(柔道新聞編集長)も全く事情が分からない。機会があったら取材してくれませんか」と話したことがありましたが、それを覚えてくれていた黒沢さんが、ラトビア柔道連盟などを取材して素晴らしいレポートと写真を送ってくれました。ラトビアに於ける柔道の歴史、現状はもとより、柔道が発祥した日本を彼等が深く尊敬し、交流を望んできることがはじめて分かりました。写真の1枚に私は大きな感動を覚えました。道場の壁の中央に、柔道の創始者・嘉納治五郎の写真、その左右に日本国旗とラトビア国旗が常時掲示されているのです。

 ラトビアに日本流の礼儀正しい柔道が定着していること、旧ソ連時代もラトビアの選手がソ連代表選手として世界で活躍していたこと、ラトビア柔道界はいま宗家日本の援助を必要としていることなどなど、日本柔道界にとってはスクープ的内容です。

 私の個人的都合で目下「柔道新聞」は休刊中の為、柔道専門誌の最大手「近代柔道」に掲載する手配をしました(9月号・822日発売)。以下は同誌からの転載です。

このレポートが契機になって、日本とラトビアの間に柔道でも新しい友好関係が生まれるかも知れません。是非そうなるよう願っています。【Latvija編集長 徳田浩】

 

 切望される日本との交流 

1991年にソ連から独立を回復したラトビアは、バルト海に面する北東ヨーロッパの共和国である。旧ソ連時代から、ラトビア出身の柔道選手たちはオリンピックなどでメダルを獲得してきた。日本との柔道交流を熱望するラトビアの柔道事情を報告する。(黒沢歩) 

  

 

国内で盛んな柔道 

 ラトビアで広く人気のスポーツといえば、アイスホッケー、フットボール、バスケットボールです。他方で、剣道、空手、合気道、カンフー、太極拳も静かに盛んです。なかでも柔道は、ボブスレーやリュージュ、重量挙げと共にオリンピックでラトビア出身の選手がメダルを獲得してきた分野のひとつです。 ラトビア柔道連盟に取材申し込みのラトビア語のメールを入れると、さっそくに丁寧な返事を受け取りました。土曜日にもかかわらずリガ市内の近代的な連盟事務所に訪ねると、柔道連盟のアレクサンドル・ヤツケヴィッチ指導者代表(モスクワオリンピック銅メダリスト)が「スポーツ選手に土日はありません」と、広報担当者の女性と二人で快く出迎えてくれました。 

サンポとともに継承 

 旧ソ連邦圏において、柔道はサンボと共に継承されてきました。そもそも、ロシア圏における柔道の歴史は、1902年に極東生まれの孤児であったオシプコフ少年が京都へ送られたのち、東京のニコライ堂そばにあった講道館にて嘉納治五郎師範に師事したことに始まります。柔道一段を取得してオシプコフ氏は、1911年にモスクワに柔道の道場を開設し、自らスケッチ付きの指導書を書いて柔道の普及に努めました。ところが、スターリン時代になると、柔道は「外国の有害なものだ」と見なされ、それに従事する者は粛正されました。そのため、柔道をロシア語で「武器を持たない自己防衛」(略称サンボ)と改名することによって、継承されてきたのです。12歳のときにこのスポーツを始めたヤツケヴィッチ氏(現51歳)は、「サンボが柔道から派生したことは、我々は長いこと知らなかった」と言います。 ラトビアにおける柔道の歴史は、1950年前後にリガに軍隊のスポーツ組織である「クラブ・ジナモ」が設立されたことに始まります。ラトビア出身の選手はオリンピックで、1964年の東京、1980年のモスクワ(ここまではソ連代表として)、2000年のシドニーにて、いずれも銅メダルを獲得しています。ヨーロッパ選手権で三度の優勝歴を有するヤツケヴィッチ氏は、1984年に現役を引退した後はベルギーにて柔道の指導にあたってきました。2005年に、リド柔道クラブの設立と同時にリガに戻ってきました。

 経済危機も青少年育成に尽力

  

 現在、柔道を教える機関はラトビア国内に24あり、それらの国立体育大学、国と各地方自治体が運営する青少年向けスポーツ育成学校、民間の道場などで、合計およそ3千人が柔道に励んでいます。運営は一部は地方自治体の助成を受け、民間は完全に個人スポンサーと参加者の受講料で賄われています。柔道連盟理事長を務めるグナールス・キルソンス氏は、国内最大手のレストランチェーン「リド」の社長として大口のスポンサーです。国が深刻な経済危機に陥っている現在、青少年の芸術とスポーツ振興のための予算が今年秋以降にも帳消しにされる見通しですが、「経済停滞が大人に与える影響とは違って、子どもにはそれほど打撃ではない。親はいつでも子どもにスポーツ活動に参加させようとするものだから」と、2016年のオリンピックを目指して指導にあたっているヤツケヴィッチ氏は、ラトヴィアにおける柔道の将来性に自信を持っています。(写真 初心者〈子ども向け〉柔道教室は正座から始まる) 

日本との交流を熱望 

 ヤツケヴィッチ氏は、日本の柔道関係者と個人的な密接な交流はありますが、「ラトヴィアの連盟として日本との柔道交流を持とうと働きかけてきたが、いまのところ実現していない」そうです。毎年、9月(今年は9月26日)に柔道の国内大会「ゴールデンスコア」を実施していますが、これに「日本国大使への見学の招待もなしのつぶてだった」と述べています。国内大会が本格的な選手権というより「広告的な意味合いが強い」のは、大人の選手数が少ないためのようです。また、「両隣のエストニアとリトアニアにはある国のスポーツ発展計画を、ラトビア政府が持たないことが各スポーツ分野の発展を妨げる要因となっている」と言います。他方で、1016歳までの青少年の柔道は活発で、毎週末のように欧州内、バルト内、国内各地での競技会が開催されています。 近年建設されたばかりのオリンピックスタジアムの広々とした体育館での練習風景を見学に行くと、たまたまその日は、国内最大の夏至祭の前日でした。「明日の練習は夜7時からだ」と言われた若い受講者から「明日はお祭り…」と声があがると、ヤツケヴィッチ氏は「スポーツ選手にとっての祭りとは、競技大会あるのみ」とにこやかに諭す様子に、伸び伸びとした練習の姿勢を見ました。練習そのものが、ゴムボールを使った簡易サッカーによるウォーミングアップで始まっていました。隣のクラスでは、5歳くらいの男の子が成人女性や少年に混じって正座して先生の指導を受けていました。 リド柔道クラブは、毎年4~5回、Sport+JUDOというカラーの小冊子を発行して、ラトビアの柔道の普及に貢献しています。参照:ラトビア柔道連盟ホームページhttp://www.judo.org.lv/index.php?tema=&subtema=&ref_url=(筆責:黒沢歩、2009623日) 

  

毎年4~5回発行されている柔道専門小冊子 

 黒沢 歩(くろさわ・あゆみ) 

  大学卒業後、ソビエト崩壊後のモスクワで語学留学。1992年、来日した当時の文化大臣ライモンズ・パウエル氏(著名な作曲家)と出会いラトビアに関心を持つ。1993年、ラトビアの首都リガの日本語学校へ日本語教師として赴任、平行してラトビア大学でラトビア文学を学び、1997年、ラトビア文学修士号取得。その後、ラトビア大学日本語講師となり、通訳、翻訳で活躍。2000年に開設されたラトビア日本大使館勤務を経て、2006年、ラトビア大学現代言語学部日本語講師となり、現在に至る。2007年、天皇・皇后両陛下がラトビアを訪問された時、通訳を務めた。著書「木漏れ日のラトヴィア」「ラトヴィアの蒼い風」(共に新評論刊)は、日本にとって未知で遠い国・ラトビアの全てを足で取材し、ラトビアを知るためのバイブル的名著。信頼が厚い大統領自ら、巻頭に称賛のメッセージを寄稿した。ラトビアを愛し、あらゆる分野で日本・ラトビアの親善を深める努力を続けている。

  
最終更新日 ( 2009/08/28 金曜日 23:55:07 JST )
 
【8月24日】お江戸コラリアーず第8回演奏会 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2009/08/24 月曜日 23:42:34 JST

卓越した男声合唱とパフォーマンスで聴衆を興奮させた!

見事だった山脇卓也君の指導力・統率力

 

 

   若者たちにも人気急増中という「合唱団お江戸コラリアーず」の演奏会を初めて聴きました(822日・荻窪公会堂大ホール)。もう8回目なんですね。指揮者の山脇卓也君が早稲田グリーの学生指揮者だった翌年(もう11年も前です)、稲門グリークラブの演奏旅行で一緒にラトビアへ行った時から彼の才能を高く評価していましたし、その後も何度か彼が指揮する演奏を聴きましたが、この日の最大の感銘は、彼の指揮者としての見事な成長ぶりでした。彼は、我が日本ラトビア音楽協会合唱団「ガイスマ」の指揮者でもあります。 

 

それぞれが豊かな合唱経験を持つ2030代が中心の男声55名(若干の10代《大学生》と80歳超のメンバーも一人いましたが…)で、これまで合唱コンクールで数々の賞に輝いていますから、当然、大きな期待を持って会場に入りましたが、キャパ1190の会場がほぼ満員の盛況。最初のシベリウス(男声合唱曲集)の透明な響きとリズム感に先ず感嘆しました。このステージだけは村田雅之氏の指揮で、山脇君はソロを含むトップテノールで合唱の一員を務めましたが、この指揮者も後半、ソロや見事なピアノ伴奏を聴かせるなどなかなかの才能の持ち主です(横浜国大グリー出身)。声自慢の一人一人を見事に統一して、ヘルシンキ大男声合唱団とは違ったこの合唱団独自の響きを醸し出していました。

 

 この日の真骨頂は後半の2ステージでした。合唱の凄さに見事なパフォーマンスも加わって聴衆を驚嘆させ、快心の表情で歌う全メンバ-の幸せな気持ちがフルに客席に伝わりました。レベルの高い合唱団が、合唱の楽しさを聴衆に満喫させる醍醐味が格別でした。この合唱団が07年に委嘱初演した「ラグビー」(曲:信長貴富)は、控え目な中にも若者の情熱がほとばしるバランスが素晴らしい名演。赤いシャツに着替えた最終ステージは「大地の声」というタイトルで世界各国の特徴的な歌を、時にはメンバーがシアターピース的に2階後方や通路に分散して会場いっぱいに声を響かせ、聴衆をワクワク興奮させました。メンバーを自在に動かす山脇君のセンスと手腕は、パフォーマンスに工夫をこらす意味で今後の男声合唱が向うべき方向を示唆する価値あるステージでした。最後の「バンロンゴ(ガーナ民謡)」の太鼓から始まるリズム感覚と大地から湧き出るような声の素晴らしさ、とりわけ、メンバーの一体感は感動的でした。

 

大学のグリークラブは猛練習による熱演(時には名演)が売りですが、4年でメンバーが変わって行く宿命があります。やっと声が固まり合唱の素晴らしさが分かった頃、卒業して行くことになります。そんなグリーメンが卒業後も仕事の制約と闘いながら、一人一人がフリーな立場で、よりハイレベルな男声合唱を目指すグループが生まれ活躍することは本当に素晴らしいですね(大阪にも「なにわコラリアーズ」が活発な活動をしています)。これだけのメンバーが揃うと、まかり間違うとバラバラになる危険もありますが、同年代で、卓越した指導力、音楽性に加えて、人間性も豊かな山脇君の存在がなければこんな演奏会は出来ないだろうという気がしました。終始、クールに振り続ける姿も魅力的でした(誉めすぎかな!)。

 

この日の演奏は①シベリウス男声合唱曲集、②多田武彦曲:尾崎喜八の詩から(このステージは少し味に欠けたかも知れない)、③07年委嘱作品「ラグビー(詩:竹中郁、曲:信長貴富」、④「大地の声」《Naduri》(グルジア民謡)、《ヴェブサの冬》(エストニア・トルミス曲)、《合唱のためのコンポジション第6番よりⅡ》(間宮芳生)、《Choral Cepstrum of Yidaki》(オーストラリア先住民族の音をモチーフにした池畑光浩への委嘱作品)、《柳の庭のほとりで 》(アイルランド民謡)、《バンコンゴ》(ガーナ民謡)と、サブタイトルの「お江戸のおもちゃ箱」に相応しい、何が飛び出すか分からない多彩な内容でした。アンコールも見事なパフォーマンスで順次ステージから去り、いち早く入口でお客様に挨拶していました。

※幕間に演奏された3つのパフォーマンス(8人、6人、2人とピアノ)が秀逸でした。【Latvija編集長 徳田浩】

     
最終更新日 ( 2009/08/24 月曜日 23:52:15 JST )
 
【8月17日】テノール歌手『ジョン・健・ヌッツオ』リサイタルのご案内 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2009/08/17 月曜日 12:14:31 JST

 石渡迪康会員から「テノール歌手『ジョン・健・ヌッツオ』リサイタル」の案内がありました。元ウィーン歌劇場専属歌手で、メトロポリタン歌劇場など有名歌劇場に出演した実績を持つ素晴らしいテノールです。【Latvija編集室】

 《石渡さんからのメール》64日・7月11日に代々木上原『ムジカーサ』で100名限定のサロンコンサート風な演奏会を聴きましたが、私が今まで聴いてきた中で、こんなにも品性よく艶のある素晴らしい声は聴いたことがなくブラボ~でした。来場の皆様も一様に感動されてました。かつて、オーチャードホール3夜を満席にした凄いテナーですが、今回は目黒・パーシモンホール 小ホールにてゆったりとお聞かせします。日本ラトビア音楽協会の皆様に是非ご来場されるようお薦めします。

ご出席の方は私にご連絡頂けましたら、主催者にご連絡申し上げます。

ご連絡をお待ちしております。

石渡 迪康(日本ラトビア音楽協会会員)

P C: このメールアドレスはスパムボットから保護されています。観覧するにはJavaScriptを有効にして下さい  

携帯: このメールアドレスはスパムボットから保護されています。観覧するにはJavaScriptを有効にして下さい  

☆ご返信賜ります際には、CCで携帯メールアドレスに同時送信下さいますと幸いでございます。

JOHN KEN NUZZO RECITAL

ジョン・健・ヌッツォ リサイタル @ めぐろパーシモンホール 小ホール  

日  2009917日(木) 1800開場/1830開演

会  めぐろパーシモンホール 小ホール

入場料 7,000

ご出席の方は恐れ入りますが911日(金)迄に下記口座までお振込下さいますようお願い申し上げます。

口座名: ()クリームエンタテインメント みずほ銀行 渋谷支店

           普通口座 8182594

 めぐろパーシモンホール 小ホール  

東京都目黒区八雲1-1-1  TEL03-5701-2924 東急東横線の都立大学駅改札を出て、左へ数メートル歩くと目黒通りに出ます。目黒通りの都立大学駅前交差点を渡り、そのまま柿の木坂通りを直進します。天神坂を登ると、めぐろパーシモンホールに到着します。

駐車場の台数が非常に少ないため、公共交通機関をご利用ください。

 

~ジョン・健・ヌッツォ (テノール歌手)

1966年、イタリア系アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれる。東京のインターナショナルスクールを卒業後、南カリフォルニア・チャップマン大学音楽学部声楽科に入学。在学中は数々の声楽コンクールで優勝。1992年にはヴァチカン市国にて当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の前でアリアを披露。2000年には世界最高峰の歌劇場として知られるウィーン国立歌劇場と専属契約を結び、ブリテン作の「ビリー・バッド」にノービス役で出演、高い評価を得る。2001年にはオーストリアの優れた音楽家に贈られる新人賞エバーハルト・ヴェヒター賞を受賞。その後モーツァルトの歌劇「ツァイーデ」にゴーマツ役で主演。2003年には巨匠ジェームス・レバインの指名により、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出演。同年7月にはレバイン指揮、ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団演奏の「フィデリオ」に出演、8月にはザルツブルク音楽祭にて「ホフマン物語」、続いて出演した「サムソンとデリラ」ではテノール歌手プラシド・ドミンゴ、指揮者ヴァレリー・ゲルギエフと共演。2004年にはNHK大河「新撰組」のテーマソングを歌って注目される。NHK「紅白歌合戦」には2回にわたって出演した経験をもつ。

 ※お問合せは()クリームエンタテインメント(03-5456-1339)までお願い申し上げます。 

最終更新日 ( 2009/08/17 月曜日 12:20:56 JST )
 
【8月10日】「未来への伝言」平和の旋律ピアノで、三味線で PDF プリント メール
作者 webmaster   
2009/08/10 月曜日 19:09:42 JST

平和の大切さ・尊さ・喜びを世界に発信したコンサート  

 89日に東京で、素晴らしい催し(コンサート)があった(青山・東京ウィメンズプラザホール)。出演したのは、飯島晶子(朗読)、谷川賢作(ピアニスト)、おおかた静流(ヴォーカル)、クラーク記念国際高校パフォーマンスコースの生徒100名(コーラス)、それに長唄三味線の人間国宝・杵屋巳太郎が加わるという多彩な顔ぶれ。しかし、この日の主役は、64年前に広島に投下された原爆の爆心地から1、8キロの地点で被爆した1台のピアノ。そして、このピアノを含む、この日の出演者全員の思いは平和への深い祈りだった。

  被爆ピアノを調律する矢川光則氏

 谷川ピアノと巳太郎三味線の壮絶バトル

主催者の飯島は、見事に甦ったこのピアノで、平和を願う「未来への伝言(メーッセージ)」を世界中に伝えたいと考えた。キャッチコピーは「原爆を受けながらも強く生きるピアノがいる! 邦楽の世界から平和を願う鳥が放たれた。いつの時代にも、ささやかながらも烈しい詩・音楽があった。思いはひとつ。時代を超え、ジャンルを超えて。奇跡が、今、交錯する…」。

  ある日飯島は、巳太郎から贈られた古いカセットテープに深い感銘を受けた。それは、原爆の悲惨さを訴え、平和を願い生きる喜びを語った谷川俊太郎の詩「5つのエピグロム」に作曲した巳太郎の作品。40年前の作品ながら、瑞々しい新鮮さに溢れるこの作品を、被爆ピアノ、三味線、ヴォーカル、コーラスで甦らせることは出来ないだろうか…。飯島の懇請を巳太郎は一も二もなく快諾した。「私も出演して三味線を弾く」と。巳太郎自身が空襲を体験し、戦争の悲惨さ・平和の尊さを誰よりも実感していたし、長唄の代表作の中にも、戦争の無意味さをテーマにした名作がある。

 編曲は谷川が担当した。奇しくも俊太郎の子息である。演奏したのは「原爆を裁く」と「5月のひとごみ(5つのエピグロムの一曲)」。冒頭、奔放な谷川のピアノと天才巳太郎の三味線の壮絶なバトルは何とも聴き応えがあった。全身に鳥肌がたち、握り締めた手に汗した。二人は演奏で、原爆を強烈に裁いた。「賢作さんのピアノは良く知っているから、あの位強烈に攻めてくると予想していた。全霊をこめて応えた」と巳太郎。

 5月のひとごみ」は静流のヴォーカルと、高校生20名が見事なパフォーマンス(語り)と合唱で、この作品を鮮やかに甦らせた。そして平和の尊さを、次を担う若者たちにしっかり伝えられたことを会場にいた全員が実感した。「父俊太郎と巳太郎先生の鋭くシニカルな時代を切り取った作品が、今を生きる高校生たちのエネルギーに満ち溢れた力を借りて、40年ぶりに甦る、そのことに立ち会える感動…。巳太郎先生との出会いと飯島さんに感謝したい」(谷川)

 このピアノを甦らせた調律師・矢川光則は、「このピアノで北海道から沖縄まで各地で平和コンサートを続けている。世界共通言語の音楽を通じて、さまざまな人に平和について考えてもらいたい。それが、この被爆ピアノと私の願い。来年は、多くの方々の協力を得てニューヨークでもコンサートを開く」と話した。「このピアノは製造番号で昭和7年生まれであることを確認した。当時の所持者ご本人に確認したが、“少女だった頃、父が当時600円で買ってくれたもの”だという。当時は大きな家を1件買えた金額、鍵盤は総象牙の素晴らしいピアノです」とこのピアノの履歴も披露した。この日初めて弾いた谷川は「野球に例えれば天然芝生の完璧なグラウンドでプレイできた満足感を味わった。石ころの一つ位は予想していたが」と見事な調整に感嘆した。

 谷川のソロ演奏(ほほえみ、As You Wish)はもちろん、進行役の飯島が感動的に「ミサコの被爆ピアノ」(文・松谷みよ子)を朗読する時も、静流が感性豊かに歌う時も(なずな、会えなくなったあなたへ、天空の歌)、100人の高校生がエネルギッシュに明るい表情で合唱する時も(ずっと忘れない ずっと頑張るよ)、このピアノは豊かに鳴り続けた。世代を超えた出演者たちの表情に共通していたのは平和の素晴らしさだった。休憩時間に、聴衆は自由にピアノに触れ、静かに鍵盤を叩いた。最後に巳太郎が「幕三重」を独奏するビッグなおまけもついた。この夏いちばんの感動をもらった気がした。(徳)

文中の写真(上)「5月のひとごみ」演奏、(下)未来への伝言を語り合う左から谷川賢作、杵屋巳太郎、飯島晶子の各氏

 

 

 

 

クラーク記念国際高校パフォーマンスコースの生徒100名が見事な合唱を会場いっぱいに響かせた

  

 

  

最後にビッグなプレゼント、巳太郎氏の幕三重 

 

 

(追)

 このコンサートは早々とチケットが完売になり、当日は補助席も満席でした。買えなかった方も随分おられたようです。そんな訳で皆さまにご案内できなかったことが残念でお詫びします。巳太郎氏は私の長唄師匠ですが、先生の「五つのエピグラム」は、1989年に私が混声合唱に編曲して指揮し、巳太郎氏の三味線で演奏したことがあります。日ラ音楽協会合唱団「ガイスマ」のメンバーにも、あの時歌ってくださった方が数名おられます。今回は谷川氏の優れた編曲で、感性と若さがほとばしる高校生が充分に練習を重ねて歌ってくれましたが、私個人にとっても感慨深いものがありました。彼らが練習時に巳太郎氏の三味線にすごく興味を持ったことも大きな喜びでした。

 

 新聞・テレビはタレントの覚せい剤などバカバカしいことで大騒ぎ、天候まで超不順です。自民や民主のマニフェストは当面のばらまきばかりで、核兵器廃絶や平和への確かなメッセージは皆無…、情けない限りです。唯一の被爆国日本の為政者は、オバマ大統領よりもっと強いメッセージを表明できる筈だし、積極的に行動できる筈です。唯一、田上富久長崎市長の平和宣言は感動的でした。核保有国首脳一人ひとりを名指しして「核兵器のない世界への道を共に歩もう」と強く訴えました。

 日本人一人ひとりも、核兵器廃絶に関してもっと強い意志を表明すべきだと思うし、世界の人々とも平和について語り合いたいですね。私たち音楽愛好家は、言葉が通じなくても音楽で話し合えます。

それにしても、音楽で独立をかちとったラトビア民衆の強い意志、行動力の凄さをいまさらのように感じます。奇しくも長崎被爆64年目の89日に素晴らしいコンサートを聴き、感動したあとにいろいろなことを考えた一日でした。【Latvija編集長 徳田浩】

     
最終更新日 ( 2009/08/11 火曜日 00:38:46 JST )
 
<< 最初 < 戻る 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 次へ > 最後 >>

結果 825 - 832 of 945
ラトビア関連写真(写真随時追加)
37110392_10155306863911739_8648724568204115968_n.jpg
サイト内記事検索
人気記事