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【3月31日】演奏会の中止と開催の情報 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/03/31 木曜日 12:29:29 JST

   情     

                       Latvija編集長  徳田  

 

♪…開催の是非に苦悩 東日本関東大震災と、それに伴う福島原発事故の影響が益々深刻になっています。この為に私自身も楽しみにしていた数々の演奏会中止連絡を受けました。。私の予定表にある4月以降の演奏会も次々に中止を書き入れなければならない状況です。それぞれの主宰者は断腸の思いで決断されたことでしょう。私が理事を務める長唄杵巳会も過日理事会を開いて、423日に紀尾井ホールで開催予定だった記念演奏会の中止(延期)を決断しました。一方では、苦悩の末開催して逆に多くの聴衆ともども感動の輪が広がった多くのケースや、新橋演舞場の歌舞伎4月公演(本来は最も華やかな団菊祭)では、節電のため昔ながらのろうそくの灯りのように暗くして上演する演出を考えている情報もあるだけに、開催の是非についていろいろな意見が出ました。私は震災直後のN響アメリカ公演で聴衆から感動的な激励を受けた情景や、福島出身の小林健一郎氏が26日にサントリーホールでモーツアルトの「リクイエム」を演奏し超満員の聴衆が訪れたという話をしながらも、やはり4月開催を見合わせる提案に同意しました。以下は会員関係者からの情報です。

 ♪…新東京室内オーケストラ公演中止 「(前略)413日(水)に紀尾井ホールで開催予定の第25回定期演奏会(指揮:前田二生)は、災害に伴う計画停電、交通機関の混乱等の諸事情に鑑み、大変残念ながら中止とさせていただくことに致しました。お客様、関係者の皆さまには多大なご迷惑をおかけいたしますこと、大変申し訳なくお詫び申し上げます。なにとぞ事情ご賢察の上、ご寛怒下さいますよう、お願い申し上げます」。前田事務所 

♪…浦安男声合唱団定演開催中止 417日に開催予定の第10回定演でラトビア合唱曲を演奏されるため、一部会員にも連絡していましたが、中止の連絡が入りました。「(前略)この地震の規模は極めて大きく、被害も甚大であり、浦安市においても傷跡は思いのほか深かったといえます。なお団員においても被災したものは多いのですが、幸い皆元気にしております。また、演奏会場の浦安市文化会館に市の災害対策本部が置かれ演奏会場として当面使用不可となり、日ごろの練習会場である公民館が災害対策の拠点となっているなど、団の活動に大きな障害が生じました。これらの事情に踏まえ、第10回定期演奏会を中止させていただくことになりました。今後は聴いてくださる方にとっても、歌う私たちにとっても、演奏会に相応しい時期を選び、新たな企画をして行きたいと考えます。何卒ご諒承いただきますようお願い申し上げます。当団の団員はそれぞれ市民の皆さまと復旧活動に力を合わせ、また、東北地方の支援をしてまいります(後略)」。団長 藤本健介

♪…第6回サロンリサイタル開催 426日(火)開催予定の第6回サロンリサイタル(ラトビア大使館)は予定通り開催の線で準備を進めています。今回は大使館開設5周年記念と清水光子会員によるグランドピアノ寄贈披露を兼ねています。当日は参集いただく皆さまともども、被災地への弔意とお見舞いの心を発信したいと願っています(詳細は後掲載)。 

※前にご案内した風呂本佳苗(ピアノ)・田中美奈(バイオリン)によるフルトベングラーのソナタ演奏会(422日・本郷中央教会)は予定通リ開催されます。 

最終更新日 ( 2011/03/31 木曜日 12:40:45 JST )
 
【3月27日】日本救援祈祷集会(リガ大聖堂)ご報告 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/03/27 日曜日 12:20:30 JST

 留学中の伊東えりかさんから、326日にリガ大聖堂で行われた「日本救援祈祷集会」の様子がメールで送られてきました。菊池康則会員(日本ガルータ協会代表)から届いたこの日のポスターも併せて掲載します。【Latvija編集室】

  

『多くの方から温かいお見舞いの言葉をいただきました』

                        伊東えりか 

 こんにちは、伊東えりかです。前便を音楽協会のHPに掲載していただいたことで、より多くの方にラトビアの方の優しさを知っていただけると思います。本当にありがとうございます。


 3
26()に、リガ大聖堂で行われました日本救援祈祷集会に行って参りました。この日は、日本から来た友人を空港へ送ってから慌しく出かけましたので、15分ほど遅れて入りました。既に集会は始まっておりまして、たくさんの方が来てくださっていました。座席中央より祭壇側はもう満員状態でした。私は中間の祭壇に向かって右側へ座りました。集会は終始厳かでした。参加されたお一人お一人が、日本のために心を寄せてくださっていることがひしひしと感じられました。長内大使のご挨拶もありました(勿論ラトビア語でした)。祈祷集会後に行われた《日本に捧ぐ》音楽会は歌声とオルガンの響きが本当に素晴らしく、演奏された方々全員に日本への温かい思いが満ち満ちていました。

 

ラトビア赤十字の募金箱が入り口右手に設置してあり、既に半分は溜まっておりました。お金が全てでは勿論ありませんが、目に見える形でも皆様の優しさを感じることができ、ありがたかったです。この貴重な支援が日本に届きました折には、ぜひとも正しい使い方をなされますことを、心から願っております。集会が終わり、帰ろうと席を立ちますと、私の周りに座っていらした方々がお見舞いの言葉をかけてくださいました。中でもお一人、Anitaさんと仰る方が英語で話しかけてくださいました。彼女は日本を何度か訪れたことがあり、京都・奈良を旅行した折にはその美しさに感激し、以後日本文化・歴史・サブカルチャーや日本人の精神に何度も心を打たれたそうです。彼女は被災地である東北及び関東の一部地域のことは分からないそうですが、しかし「あの素晴らしい国の人々が天災の苦しみを耐えていると思うと、何も言えない」と言っていただき、「日本が一日でも早く復興しますように、被災者の方々が少しでも早く元気になりますように」とお見舞いを下さいました。

1949年の昨日と今日、膨大な数のラトビア人がシベリアへ強制流刑されたことは、皆様ご存知の通りです。ラトビアの各政府機関及びいくつかの外国大使館が半旗を掲げ、追悼の意を表しています。私も今夜、ラトビアへの憧れのきっかけをくれた音楽と共に、被災地及び被災者の皆さんのため、その方々を支える日本人の方々のため、そして日本のために祈ってくださったラトビアの皆さんのため、シベリア流刑者の方々のために祈りました。皆様のお気持ちもどうか、ラトビアへお送り下さい。一日でも早い復興と、皆様の心からの笑顔がラトビアへの唯一無二の恩返しになると思うのです。皆様の健康と日常が一日でも早く戻って参りますように、心より願っております。 

  


最終更新日 ( 2011/03/27 日曜日 12:24:50 JST )
 
【3月25日】リガ大聖堂で日本救援祈祷集会 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/03/25 金曜日 10:45:17 JST
  

23日深夜、ラトビア外務省のプレスリリースは、26日(土)にリガ大聖堂で全キリスト教合同による日本救援祈祷集会が開かれ、それに続いてクラシック音楽のコンサートが行われると伝えました。日本から受けた恩義に報いたいという、ラトビアの強い思いが伝わってきます。【Latvija編集室】



クラシック音楽会「日本に捧ぐ」も開催


 

 『3月26日午後6時、リガ大聖堂で外務大臣クリストウスキスおよび外国の外交団が出席のもと、日本と日本国民のために、全キリスト教合同の祈祷集会が 開かれます。この祈祷集会は外務省とリガ大聖堂によってオーガナイズされ、続いてクラシック音楽会「日本に捧ぐ」が同じ大聖堂で開催されます。祈祷は伝統のある教会の長や代表者によって進められ、ラトビア国立オペラ、国立交響楽団、ヤーゼプス・ビートールス・ラトビア音楽アカデミーの音楽家達も祈願が成就されるよう応唱します。

 コンサートでの演奏者はエヴィヤ・マルチンソネ(ソプラノ、EvijaMartinsone)、ライモンズ・オゾルス(バイオリン、RaimondOzols)、アルティス・シーマニス(サクスフォン、ArtisSimanis)、ヴォーカルグループ「ルアル」および オルガニストはターリヴァルディス・デクスニス、クリスティーネ・アダマイテ、 及びロベルツ・ハンソンス。

 

 プログラムはパレストリーナ、J.S.バッハ、セザール・フランク(Cesar Frank) ジュール・マスネー(Jules Massenet)、ヤーゼプス・メディンシュ(JazepsMedins) エミール・ダージンシュ(EmilaDarzins)、ニック・ゴサム(NicGotham) ガリナ・グリゴルイエヴァ(GalinaGrigoryeva)、ほかの作品。

 

 この行事の間 、聴衆は赤十字の募金を通じ日本の震災被災者たちを支援する機会があります。 日本は過去20年間に亘り、多くの現実的なプログラムでラトビアとラトビア国民を支援してくれました。文化面における日本の支援は寛大した。 最もよく知られているのはラトビア国立オペラ、国立交響楽団、リエパヤ交響楽団、 そして音楽アカデミーに対する支援です。日本の聴衆はいつも我々の歌手や音楽家たちを心から歓迎してくれます。日本はラトビアの科学者や学生たちを、交換プログラムを通じて支援しています。 1974年以来神戸とリガは姉妹都市です』。

リガ大聖堂 

  バルト諸国の中でも12世紀から14世紀における最も優れた建築物として知られる。1880年代に世界最大のオルガンが取り付けられ、世界の有名なオルガニストがここを訪問して演奏している。訪問者の全てはオルガンの荘厳な音色と優れた音響効果に圧倒される。修道院のドームスクール(1211年創立)は聖職者を教育し、宗教改革まで修道院によって運営されたが、市当局に引き継がれ、最初の公共高等教育所となった。特徴的なガラスのデザインは、19世紀から20世紀に移り変わる時期に、リガ、ミュンヘン、ドレスデンの工場で作られた。1991年にルーテル大司教の聖堂として再建立され、大聖堂の中では礼拝とコンサートの両方が行われている。大聖堂少年合唱団は国際的に高い評価を得ている。近年は同少女合唱団もメキメキ評価を高めている。   

 

最終更新日 ( 2011/03/27 日曜日 12:31:13 JST )
 
【3月24日】ラトビア人の温かさ 留学生からの便り PDF プリント メール
作者 webmaster   
2011/03/24 木曜日 10:53:13 JST

 ラトビア語教室の受講生でラトビア留学中の伊東えりかさん(筑波大)から、教室の仲間たちに素敵な便りが届きました。今回の災害に、多くの方々から温かいお見舞いの言葉を頂いた貴重な体験が綴られていますので、転載します。国境や言葉を超えた人間の温かさががひしひしと伝わってきます。【Latvija編集室】

ラトビアの優しい方達の心を皆様にお届けします

                                         伊東えりか(留学生)

  

 こんにちは、伊東えりかです。地震から1週間が過ぎましたが、皆様、皆様のご家族、ご友人の方々は、いかがお過ごしでしょうか。今回のこと、首都圏の実質的な被害は、東北の甚大な被害の前には見落とされがちなのではないかと思います。しかし東京も大きな地震を受け、未だ余震が収まらない状態の中、放射能や買い溜めなどの二次災害を被った方がいらっしゃるかもしれません。また仕方がないこととはいえ、計画停電でご不便なこともあるかと思います。東京は機能しているかもしれませんが、東京に向かうまでが困難なこともあるのではとこの度のこと、心よりお見舞い申し上げます。

 こちらでは既に新学期が2月より始まっております。早々に残念なことがたて続きに起こりまして、最終的に今学期ラトビア語を履修することをやめました。未だ気持ちの整理が着かず、悶々とした日々を過ごしております。幸いなことに、私には目下「卒業論文のための資料収集」という大義名分がございますので、とりあえずは無心で留学を続けることができております。このように沈んでおりました折に、大震災が起こりました。実家も家族も無事でしたが、大学には被害があり、この金曜日に行われる予定だった卒業式が中止になりました。被災地のたくさんの学校が同様の処置をしていると分かってはおりますが、同期の卒業式ですので、やりきれない思いでいっぱいです。

 ラトビアでも、この地震にまつわる様々な出来事がありました。残念だと思うこともありましたが、しかし嬉しい出来事がたくさんありました。今回は、この喜ばしい体験を、ぜひ皆様にも聞いていただきたいと思いメール致しました。震災からすぐ、寮に住んでいる留学生の友人達から、次々とお見舞いの言葉をいただきました。特にアジア出身の留学生からは「一緒に頑張ろう」との声をいただきました。当時は、太平洋沿岸の国々にも津波警報が発令されておりました。その子たちのご家族や友人も被災する可能性が高い時に、このようなあたたかい励ましをいただけて、胸がいっぱいになりました。彼らは未だに日本を心配してくれていて、原発に関してもお見舞いをくれたり、余震が続けば家族のことを心配してくれたりしてくれています。

 震災から数日後、#prayforjapanのハッシュタグがラトビアでも衆知のものになった時分、台湾の友達がお見舞いとして、ピンクのチューリップを持ってきてくれました。写真を添付致します。また、先週の日曜日、このチューリップを持ってきてくれた友人の誕生日を翌日に控え、パーティーの準備として中央市場の花屋に、別の台湾からの留学生、日本人留学生、私の3人で向かいましたところ、ロシア系の夫婦と仲良くなりました。台湾の子が主に話していたのですが、夫婦がおもむろに日本の被災状況を尋ね、台湾の子が説明し(ロシア語で)、日本人2人で頷き補足する、という体をとっていましたら、突然夫婦が花屋の店主と早口でロシア語で会話を始め、アジアン3人でちんぷんかんぷんになっておりました時に、「prayforjapan!」と私たち3人分、3つのチューリップをプレゼントしてくださったのです。私たちがお礼を申しますと、「日本は大国だし、絶対大丈夫!」というような旨をロシア語で快活に言ってくださり、私たちの肩にバンバンと気合いを注入してくださいました。 そのチューリップの写真も添付致します。

 感激冷めやらないまま、パーティー用の花を買おうと、花屋の店主に注文をし支払おうと代金ぴったりを差し出すと、「こんなにたくさんはいらないわ」と110サンティームもおまけしてくださいました。彼女も「prayforjapan」と笑顔で見送ってくださいました。
この日は良いこと続きの日で、花屋の帰りにmaximaに寄り、会計の列に並んでおりましたところ、隣に並んだ恰幅のいいおじいさんが、じーっと私を見つめるのです。気にしないわけにはいかない雰囲気でしたので、分からないなりに微笑みましたところ、「きみは日本人か」と尋ねられました。そうです、と答えますと、「今回の地震、心からお見舞い申し上げます」というような旨を言っていただき、深々とお辞儀までしていただきました。お礼を申しますと、「原発のことも本当に残念だ。でも大丈夫。私はチェルノブイリを経験したが、ご覧の通り元気です。日本はチェルノブイリよりもずっといいから、きっとみんな元気になるだろう。頑張ってください」と、ロシア語とラトビア語を交えて言ってくださいました。その後少しおじいさんのお身体のことや日本の状況について話した後、別れ際また深々とお辞儀をして去って行かれました。

 このようなありがたい経験を、私だけのものにしておくことはどうしてもできず、長くなってしまいましたが、皆さんにもお伝えすることができて嬉しいです。ここまで読んでくださりありがとうございました。今後も大変なことがあるかと思います。ですが、そのようなときはどうぞこの写真や、世界中で日本のために心を寄せてくださった方々のことを思い出してくださればと思います。日本にいる皆さんの方が、私よりもずっと、国境や言語を越えた人間のあたたかさ、また同じだからこそ分かる日本人の素晴らしさなどご存知かも知れません。しかしラトビアの優しい方達の心を、皆様にも届けることができましたら何よりです。

 

最終更新日 ( 2011/03/27 日曜日 12:15:11 JST )
 
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