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【5月17日】最新話題あれこれ 情報断片2 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2012/05/16 水曜日 11:20:21 JST

20122 

  いきなり私ごとで恐縮ですが、31日に右足骨折、左手首捻挫し、2ヶ月近く、自宅で一人侘しく冬眠してしまいました。親友の死を見届けた病院から帰りのアクシデントでしたが、全く自分の不注意によるもので、自分の老化をしみじみ実感した2ヶ月でもありました。親しい知人からお見舞いのメールや電話を頂いたこと、このページを借りてお礼申し上げます。中には“お前も年齢を考えて行動しろ!”と思いやリに溢れ先輩の叱責もありました。手帳に書き込んだスケジュールは全てキャンセルを余儀なくされましたが、数枚のコンサートチケットを無効にしたのは無念でした。そんな訳でご無沙汰した情報断片を久し振りにお届けします。【Latvia編集室 徳田 浩】 

8回サロンコンサート525日開催

  当日本ラトビア音楽協会の事業としてすっかり定着した大使館でのサロンコンサートを525日に開催します。8回目の今回は初めて出演者を募集し、ピアノの北條陽子さんとソプラノの佐藤亜希子さんが出演されます。お楽しみに。お申し込み方法など 詳しくは57日付けのページをご覧ください。 

   当協会が2013年度活動の大きな柱としているラトビア歌の祭典参加は着々と準備が進行しています。あの舞台上で歌うとなれば、日本を代表するに恥ずかしくない合唱団で臨みたいと、協会合唱団ガイスマのメンバーを軸に出来るだけ多くの一般参加者を募る計画です。ラトビアサイドの許諾を含む詳細が確定次第、公募内容を発表します。関心のある方は“20137月上旬はラトビア行き”と予定してください。最高の感動を味わってください。 

日ラ友好の証し

シラカバ・オークの苗木すくすく成長(関西学院)

  20111020日、関西学院を訪問されたラトビア共和国ペーテリス・ヴァイヴァルス駐日大使より、日本・ラトビア国交樹立90年、国交回復20年を記念して贈られたシラカバとオークの苗木は、冬の眠りから覚め、スクスクと成長しています。関西学院の池田裕子さんが、同学院史編纂室のウエブサイドに成長ぶりを紹介するページを作っておられますのでご覧ください。http://www.kwansei.ac.jp/gakuinshi/SAPLINGS.htm 

 

 長澤護理事がCDを製作して美声披露

    元鹿島建設建築部長で稲門グリークラブ指揮者として活躍を続ける当協会理事の長澤護さん(元早稲田大学グリークラブOB会会長)が、CD「My Favorite Songs」を自主製作し、アマチュアとは思えない圧倒的なテノールの美声と歌唱力を披露しました。日本歌曲、イタリア民謡・歌曲、「衣装をつけろ」(パリアッチ)・「誰も寝てはならぬ」(トゥーランドット)などのオペラ曲など全14曲。全て今年1月に録音したものです。1936年生まれでいわゆる後期高齢者入りしていますが、若々しさと旺盛なバイタリティにただただ驚嘆する出来栄えです。早稲田大学グリークラブが生んだ超俊英の一人で、指揮者・ソリストとしての際立った活躍は伝説として語り継がれています。卒業後も仕事のかたわら稲門グリークラブの指揮者として継続的に活躍、念願の全日本合唱コンクール優勝を果したこともあります。現在も同クラブで活躍する他、岡村喬生先輩が主宰するオペラに出演するなど歌三昧に明け暮れる毎日を過しています。次項の東京稲門グリー定期演奏会も当然のようにフル出演しました。仕事の面でも、霞ヶ関ビル、恵比寿ガーデンプレースなどに従事するなど終始鹿島の第一線で活躍を続けました。エジプトカイロ駐在時代に建設を手掛けたオペラハウスで、後年、稲門グリークラブの演奏会を開催し、自ら指揮台に立って大喝采を浴びたこともありました。CDをお聴きになりたい方は編集室へ。

 見事だった東京稲門グリークラブ第5回定期演奏会

                              512 杉並公会堂で全曲暗譜演奏 

  年々会員が増える早稲田大学グリークラブOB会が2002年は規約を変更し、演奏団体としての稲門グリークラブは、OB四連、OB六連、OB会の記念演奏会などOB会全体の演奏活動に限ってその都度参加者を募集することにしました。これに伴い、首都圏在住のOBが常設合唱団として立ち上げたのがこの東京稲門グリークラブで、以前の稲門グリーの流れを受け継ぎ、10年の間に5回の定期演奏会の他、海外演奏旅行を含む様々な演奏活動を続けています。メンバーは年々高齢化し文字通り中高年合唱団ですが、気持ちは“いつも青春真っ只中”を標榜するだけに、今年も多彩なプログラムをオール暗譜で2時間歌いまくりました。私にとっては文字通り身内の後輩仲間たちで、その頑張りを絶賛し祝福しました。オンステした者だけが味わえる最高の達成感を満喫したことでしょう。かなり譜面の難しい曲も多かったようですが、少なくとも客席から見た感じは自信満々で歌っていました。暗譜故に生じた若干の問題点は止むを得ませんが、全員が心を一つにした心意気に頭が下がりました。とりわけ、トップテノールが質量とも見事でした。ベースが量的に不足したのが残念でした。 

《プログラム》

第1ステージ メンバーの投票に愛唱歌集 ※指揮:小林祥郎

2ステージ Meets ”ASIA”(アジアの作曲家に編曲・作曲を委嘱)※指揮:佐藤拓

3ステージ 男声合唱組曲「蛙の歌」(詩:草野心平、曲:堀悦子)※指揮小林祥郎、ピアノ・服部真由子

第4ステージ 男声合唱のための「四つの仕事唄」(作・編曲:小山清茂)※指揮:佐藤拓、和太鼓:原田祥吾

  第4ステージの「仕事唄」は、昨年の四連OB(大阪・シンフォニーホール)で稲門グリーが演奏したものの再演(東京初演)でしたが、一緒に歌いたくてうずうずしました。若い指揮者の佐藤拓君(平成9年卒)、見事でした。また男を上げましたね。ちなみに和太鼓の原田君はグリー現役3年生です。

 

 

東京六大学OB演奏会のご案内

  7月1日(日)1430分 ゆうぽうとホール(五反田)

    

   2年に1度開催している演奏会で、早稲田はもちろん稲門グリークラブとして参加し、男声合唱のためのカンタータ「土の歌」(詩:大木惇夫、曲:佐藤眞)を西田裕巳(昭和51年卒)の指揮、大室晃子のピアノで演奏します。あまりにも有名な作品ですが、現役グリーが2008年の定演で作曲者編曲の男声版を初演したものでその時のメンバーも数名出演します。

  東大(アカデミアコール)が「ドイツ合唱曲集」、慶應(ワグネルOB)が「尾崎喜八の詩から」(曲:多田武彦)、明治(駿河台倶楽部)が委嘱初演の「アルボール・ムンディ」(曲:佐藤賢太郎)、立教と法政が合同で「男声合唱のためのコンポジション」(曲:間宮芳正)という多彩なプログラムです。

  私が怪我のあと初めて外出したのがこの練習でした。今回も最年長になりますが、自分で全快を祝い残された人生を激励する意味でも熱唱したいと念じています。それはともかく、多くの方のご来場をお待ちしています。チケットのお問い合わせは09048461729(江澤・早稲田担当マネ)へ。(S2500円〈指定〉、A2000円〈指定〉、B1500円〈自由〉)

※毎年感想をお届けしている現役の東京六大学演奏会は残念ながら聴けませんでした(54日。ゆうぽうとホールで開催、今年が第61回)。 

最終更新日 ( 2012/05/19 土曜日 10:35:44 JST )
 
【5月10日】期待の指揮者、アンドリス・ポ-カ、日本デビュー PDF プリント メール
作者 webmaster   
2012/05/10 木曜日 21:12:24 JST

巨星マリス・ヤンソンスに続く、アンドリス・ネルソンスなど、ラトビア出身の指揮者が世界の音楽界で大活躍を続けていますが、さらに新たなビックスターの誕生を予感させるニュースです。Latvia in Review 2012 15号に掲載された原稿を恒松良一会員に翻訳していただきました。シーズンの日本デビューが待ち遠しいですね。【Latvija編集室】

 『アンドリス・ポーガ氏

ボストン交響楽団のアシスタントコンダクターに就任』 

出所 Latvia in Review 2012 15

翻訳 恒松良一(会員)

 

ラトビア人指揮者アンドリス・ポーガはボストン交響楽団のアシスタントコンダクターのポストを非公開のコンペティションにて獲得しました。

他の3名の候補者と争い、ポーガは同楽団の音楽家達から最多得票を獲得しました。これから2年間、同楽団で活動し、ボストンでの演奏会や有名な夏のタングルウッド音楽祭で指揮を執る機会があります。

 

コンペティションの主催者によると、ポーガは最優秀賞を受賞した第二回エフゲニー・スヴェトラーノフ国際指揮コンクールで同楽団マネージャーに認められました。

 2011年以来ポーガはパリ交響楽団の音楽監督パーヴォ・ヤルヴィのアシスタントを務めています。

 

30歳の初めにポーガはフランスの多くのオーケストラやマルタ管弦楽団、イスラエル交響楽団で指揮をして成功をおさめています。

今シーズンは仙台フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、東京を本拠地とする新日本フィルハーモニー交響楽団で指揮を執り日本でデビューします。

 2004年にアンドリス・ポーガはヤ―セプス・ヴィートリス・ラトビア音楽院でトランぺットと指揮の学位をとり、2007年にヴィエストウルス・ガイリス教授のオーケストラ指揮のクラスを卒業しました。

 

2004年と2005年にウィーン国立音楽大学でウロシュ・ラヨヴィッチ教授に指揮を師事しました。更に、マリス・ヤンソンス、小澤征爾、レイフ・セーゲルスタムのマスタークラスにも参加しました。2007年から2010年に、彼はリガコンサートバンドの芸術監督兼常任指揮者を務めました。2010年には第二回エフゲニー・スヴェトラーノフ国際指揮コンクールで優勝しています。

 
最終更新日 ( 2012/05/10 木曜日 21:14:09 JST )
 
【5月7日】第8回サロンコンサートのご案内 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2012/05/07 月曜日 11:47:17 JST

 第8回サロンコンサート(525日)のご案内 

北條陽子さん(ピアノ)と佐藤亜希子さん(ソプラノ)が出演 

好評をいただいておりますラトビア共和国大使館と日本ラトビア音楽協会共催の今年初のサロンコンサートを下記のように開催いたします。今回は、おなじみの北條陽子さん(ピアノ)と、藤原歌劇団所属のソプラノ佐藤亜希子さんがご出演くださいます。

楽しい演奏会になることと思いますので奮ってご参会くださいますようご案内申し上げます。(日本ラトビア音楽協会)

  

◆日 時 525日(金) 18:00  開場   1830 開演  

終演後(1910頃より 懇親会) 

◆場 所 ラトビア共和国大使館 

157-0047 東京都渋谷区神山町37-11 電話03-3467-6888

◆会 費 3000円 

  

◆出演者 曲 目 

  

   佐藤亜希子  ソプラノ    ピアノ:塩塚美智子 

       ・ベッリーニ:「ノルマ」より 清らかな女神

          ・アンシス・サウカ:「風」 Vējš                

          ・ライモンズ・パウルス:「マーラが与えた人生」

                 ~「百万本のバラ」の原曲~

北條 陽子  ピアノ

       ゲオルクス・ペレーツィス:「組曲第1番」(本邦初演)          

            ・Quasi Marcia  ・Andantino             

            ・Allegro     ・Finale       

          ゲオルクス・ペレーツィス:「組曲第2番」(本邦初演)   

               Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ

申込み・問合せ先 頴原(えばら)信二郎       

FAX 0425651839  メール eshin118yel.m-net.ne.jp

     会員の紹介があれば会員以外の方も参加できます。

     定員になり次第締め切ります。

最終更新日 ( 2012/05/07 月曜日 11:53:39 JST )
 
【5月4日】ラトビア独立回復記念日 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2012/05/04 金曜日 20:28:23 JST

  ラトビアの独立回復記念日(54日)

       秋の建国記念日(1118日)と並ぶ国家の慶祝日 

ラトビアでは1118日の建国記念日(昨年93回)と並んで、54日の独立回復記念日を国を挙げて慶祝します。後者は1990年に、国民の手でソビエト連邦から独立を果した日を記念するもので春の祝典として知られています。皆さんにあまり知られていない祝日ですが、9091年の独立回復への大きなうねりと結末は、私たちも身近なニュースとして記憶に新しい極めて重要な歴史的事実です。この記念日の意義を述べた「ラトビアン・インスティチュート」のレポートを、恒松良一会員に翻訳を依頼しました。【Latvija編集室】

  

ラトビア回復記念日

             

              原文 Karina Petersone, Director, Latvian Instite

              

                翻訳 恒松良一(会員)

 

54日の独立回復の春の祝賀は、19181118日に国立劇場で国家評議会が独立国家を宣言した元来の独立記念日と比べ、より良い季節に訪れ、過半数のラトビア国民に自ら経験した出来事を思い出させます。

 

その日は晴天で、新たに選出された当時のラトビアのソビエト社会主義共和国最高会議がラトビア共和国の独立回復の宣言を票決せざるを得なかったのです。早朝から何千人もの人々が集まった国会(Saeima)議事堂の庭のシナノキの葉は既に青々と茂っていました。

 

そこにいた人々は人民戦線候補者に投票し、彼らの特別な行動を期待していました。人民戦線はソビエトの法律や規定に従い選出され機能していた国会でわずかに過半数を超えていました。50年間で初めて、二つの選挙名簿があり、それは共産党員の名簿と人民戦線の名簿でした。

 

それはすでに勝利でした。しかし国家は人民戦線に独立したラトビア国を刷新するという使命を与えました。その為には2/3を超える票が必要でした。建物の外にいた群衆は賛成の評決と考え、「自由を!自由を!」と繰り返し唱えていました。緊張した会議が長時間続き、独立を支持したメンバーは疲れてきましたが、その日の終わりには勝利し、ダウガヴァ川岸で群衆と一緒に独立を祝いました。

 

しかしながら、学校や大学を訪問し、199054日から1991821日の間のラトビア独立国家の回復についての出来事を話す時、多くの若い人たちにとって歴史教科書のできごとであることに気づきました。更に多くの若者たちは祖国について懐疑的な考えで育ってきています。

 

私は、よくラトビアと同時にEUに加盟したチェコ共和国、ポーランド、ハンガリーと比較して話します。そうです、私達は今までに多くの事を一緒に経験してきました。全体主義的社会主義社会から完全な民主主義、計画経済から市場経済への革命的変革を成し遂げました。しかし、南側隣国との比較において、バルト三国、特にラトビアはソビエト連邦の帝国からの離脱の大変な試練を克服しました。これはまた私たちが独立国家の必要条件を前もって持っていなかったことを意味します。

 

私たちは一から始めなくてはなりませんでした。ラトビア軍隊には何もありませんでした。ソビエトの兵士は1994年まで駐留していました。民兵は一部のみが忠誠でした。(悪名高いOMON(ソビエト内務省特殊部隊)の出来事がそれを証明しています。)国境もなく、税関も、貨幣も、銀行も、年金貯蓄もなく、全てが無かったのです。

 

ラトビア人の人種比率は非ラトビア人が50%弱でほぼ半々の状況でした。生産の大幅低下と過去の市場機能の喪失により社会は大変緊張していました。しかしそれでも我が国は無からの出発で、120日のOMONによる武力行使以外、市街地での暴動や衝突の暴力行為もなく再生しました。

 

それ以来、ラトビアは自国の法制度を成功裏につくり上げました。行政及び司法、法制度、検査官及び憲法裁判所。ラトビアは自国の軍隊、警察、社会保障制度、外交制度を持っています。東側の国境を画定し、更に北側及び南側隣国との国境線を引きました。

 

ラトビアは新しい通貨ラッツ(lats:ユーロと固定相場)を作り、金融危機や高インフレに対してもラッツを安定的に維持しており、2014年にユーロ通貨圏に繰りこまれようとしています。

 

ラトビアは国際情勢においても発言力を強めており、EUEuropean Union)やNATOへの加盟手続きが認められ、現在は国際的使命も担う確固たる責任ある加盟国となっています。

 

国民総生産(GDP)が25%下落し、失業率が4%から18%に増加した、2008年から2010年の金融経済危機の後に、ラトビアは、厳しい耐乏手段の導入を含む、不評の決断をしても、経済が回復できることを示しました。

 

多くの悪い予測にもかかわらず、ラトビアは経済を生産物輸出の方向に転換し。4四半期以上の期間にわたり安定的成長を続けました。信用格付けは上昇し、生産は年間9%増加、輸出は30%以上増加、外国から訪問する観光客の観光事業は過去二年間で20%増加しました。

 

大事なことは、南側隣国や西側隣国ではなく、1990年以前に同じ法制度の下で運命を共にしてきた東側隣国なのです。そしてこの視点から将来のラトビアの進展を考えるともっと驚くことがあります。

 

私が学生にこれを話すと、学生たちはしばらく当惑して、それから「卒業後は外国へ行くことを考えるべきでないかもしれない。」と沈んで言います。

最終更新日 ( 2012/05/04 金曜日 20:32:21 JST )
 
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