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【2月2日】藤井威元会長を偲ぶ PDF プリント メール
作者 webmaster   
2021/02/02 火曜日 15:55:11 JST



 

藤井威 元会長


学者肌で人情味豊かな外交官 日ラ親善に限りない遺産

 

藤井威さんは、2020512日に80歳肝不全にてご逝去されました。
報道機関に記載された役職は全て《内閣内政審議室長》です。
時の内閣を支える官僚トップの役職です。
《略歴》
東京大学法学部卒業
大蔵省主計局次長
経済企画庁官房長
大蔵省理財局長
内閣内政審議室長
スウェーデン大使兼ラトビア大使
(駐日ラトビア大使館開設とヴァイヴァルス初代駐日ラトビア大使の信任状捧呈式に尽力されました)
地域振興事業団総裁
みずほコーポレート銀行常任顧問
佛教大学福祉部特任教授
啓明社理事長
長寿社会文化協会理事長
ポピンズサ—ビス国際乳幼児研究所所長

京都の町家再生にも尽力されました

私(石渡)はあるパーティーにて経団連事務総長三好正也さん、元電電公副総裁〜NTTデ—タ会長神林留雄さんから藤井さんを紹介され、藤井さんがその場でご自分の経歴を名刺裏に書いて下さり、日本ラトビア音楽協会への入会を誘われました。

私が青山学院大学グリーンハーモニー合唱団で歌っていたと申し上げたら、「家内も立教大学混声合唱団団員だった」、我が親族「羽田孜総理大臣を内閣内政審議室長として支えたのは私です」とも話されました。初めてお会いしたのに不思議なご縁を感じ即座に入会させて頂きました。
爾来、大変親しくさせて頂きました。
協会での懇親会の席ではいつも藤井さんがそばに寄って来て下さり、お好きなワインを飲みながらスウェーデン、ラトビア、パリにいるお嬢様とお孫さん、福祉の話などを聞かせて下さいました。

みずほコーポレート銀行常任顧問として、銀行本店最上階の絨毯の敷かれた大きな顧問室にいつも鄭重に迎えて下さり、スリッパ姿で寛いで長時間色々なお話を聞かせて下さいました。
その時にご著書『スウェーデンスペシャル13巻』と大判の『ラトビア』をプレゼン下さいました。

スウェーデン大使兼ラトビア大使時代に奥様と各地を回られ撮られた写真を、毎年私製カレンダーとしてお作りになられ年末に送って下さいました。
年賀状も可愛いお孫さん二人がいつも掲載されていました。

後年はガンを患い快癒した後、今度は腰を患いましたが、コルセットを巻き『長く立っていると辛いんだよ』と言いながら、ラトビア大使館でのパーティーには必ずご出席下さり乾杯の音頭を取って下さいました。
外交官には珍しく学研肌でヨ—ロッパの歴史はことの他詳しく、ラトビア臨時代理大使を務められた田中了理事とお二人が揃うとお二人は学者かと思う程の含蓄有る話が聞けました。
色々勉強させて頂きました。


協会会報『Latvija』には長期間、ラトビアに関する寄稿をお寄せ頂きました。
とりわけ2013年、協会ホームページに18回に亘って連載された「写真で見るラトビアの歴史」は大変な力作で協会への大きな遺産になりました。全編にラトビアへの深い愛がにじみでています。


楽しい思い出ばかりですが、あのお洒落なネクタイ、シャツを召されたお姿を拝見できないのは何とも寂しい限りです。


安らかにおやすみ下さい。(石渡迪康記)




最終更新日 ( 2021/02/23 火曜日 16:11:09 JST )
 
【2021年2月2日】ご無沙汰しています。 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2021/02/02 火曜日 15:43:43 JST


 

当サイトを訪問下さる皆様へ

 

ご無沙汰しています。サイトを訪問下さる皆さま、元気にお過ごしですか。

昨年は長いコロナ禍の影響で、当協会も会合を伴う諸活動を休止せざるを得ませんでした。新しい年を迎え、状況はまだまだ厳しいようですが、少しずつ動き始めています。

何よりも嬉しいニュースは、空白になっていた会長職を、日本を代表する指揮者の一人である松原千振常務理事がお引き受け下さったことです。松原新会長のもと、新しい役員陣が新たな活動を開始する予定です。順次、ホームページにも掲載いたします。

悲しいニュースもありました。藤井威元会長、岡村喬生副会長が相次いで天に召されました。ご両人とも協会に多大なご尽力を賜り、哀悼の念を禁じ得ません。お元気だったお姿を忍び、ご冥福をお祈り申し上げます。
それぞれのご経歴・弔文は別途に掲載します。

遅くなりましたが今年もよろしくお願い申し上げます。

 

20122

日本ラトビア音楽協会ホームページ編集室 

 


最終更新日 ( 2021/02/02 火曜日 21:50:21 JST )
 
【7月13日】大塚元ラトビア大使の神戸新聞夕刊連載その2 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2020/07/13 月曜日 12:59:49 JST


 

大塚清一郎

 

《ニューヨークの芸能外交官》

 

「ウナ・カンシオン・ポル・ファボール!(おい、一曲やってくれ!)」ニューヨークの街角で、タクシーの運転手からのスペイン語のひと声。1983年のクリスマス・イブの出来事です。

私達日本総領事館のギター仲間3人は、パーティ帰りのほろ酔い気分。頭にソンブレロ、肩に7色のポンチョ、手にギターという格好で5番街を歩いていたのです。軽快な「シエリト・リンド」を歌うと、人垣が出来始めたので、「アディオース!」と言って立ち去ろうとすると、タクシーの運ちゃんが呼び止めて差し出した手に、しわくちゃの5ドル札が1枚。思いがけないチップでした。これが「トリオ・ロス・ディプロマティコス」(スペイン語で「3人の外交官」)という私達のバンドの誕生の瞬間でした。 

1980年代中頃、ニューヨークの日本総領事館で広報文化センター所長の仕事をしていた頃のお話です。当時は、300億ドルに上る巨額の米国の対日貿易赤字が元凶で、日米経済関係は、ジャパン・バッシング(日本叩き)が目立つ、険悪な時代でした。「日米関係」などの講演後のレセプションでは、ソンブレロをかぶり、トリオに変身して威勢良く登場。「シエリト・リンド」の小気味良い歌声が流れると、ノリのいいアメリカ人は手拍子で踊り始めます。

「オール・オブ・ミー」などの曲でつなぎ、最後は、「浪花節だよ人生は」で締める。「飲めと言われて素直に飲んだ♪」細川たかしもびっくりする光景です。老婦人が近寄って来て、「ビーバ!面白かったわ。日本人はみんなワーコホリック(働き中毒)かと思っていたけど、貴方達みたいな殆んどアルコホリック(アル中)のような人もいるのね。安心したわ」と、嬉しそうな顔。 

 ニューヨークという街には、不思議な「自由な風」が吹いていて、住む人の心を解き放ち、蝶のように飛ばせる何かがあるようです。

 

カティ・サークと短い下着》

 

《シャンタ―村のタム》という物語詩は、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズの最高傑作です。ある嵐の晩、酒飲みの農夫タムが愛馬メグに乗って家路の途中でアロウェイ村の古い教会の前を通りかかる。中では薄暗い蝋燭のの光の周りで魔女たちが陽気に踊っている。タムは、その中の短い下着の魔女のセクシーな踊りに見とれて我を忘れて大声で叫ぶ。「Weel done, Cutty sark!(ウエール・ダン カティサーク!うまいぞ、短い下着ちゃん!) 

 スコットランドの方言で、カッティ=短い、サーク=女性の下着という意味です。すると、明かりがぱっと消え、魔女たちが怒ってタムを追いかけ始める。タムは慌てて愛馬メグに鞭打って逃げる。ドゥーン川の石橋の上まで逃げ延びるがとうとう魔女に追いつかれてしまう。一番の速足で追って来たのは、あの「カティ・サーク」です。追いついた魔女がメグの尻尾をむんずと掴んだ瞬間、尻尾がすぽっと抜け落ちてしまう。お陰でタムとメグはすんでのところで助かるという滑稽な物語詩です。

 スコッチ・ウイスキーの名酒「カティ・サーク」の名は、この一番足の速い魔女に由来します。当時、紅茶を運んだ帆船が速さを競う時代に勇名を馳せたティ・クリッパーが「カティ・サーク」と名付けられたのも分koubeかるというものです。

 タイタニック号が氷山に激突して沈没する直前の出来事。特等客室の老貴婦人が、いつもの通りルームサービスでウイスキーと氷を注文する。すると、間髪をおかずにドアにバーンという大きなノックの音。老貴婦人がドアを開けると、眼前に大きな氷山。老貴婦人は、ちょっと顔をしかめたが、涼しい顔で言う。「確かに氷も頼んだわ。でも、ちょっと大きすぎないこと・・・・」

 「ウイスキー」はゲール語の「ウスカバエ」が語源とされ、「命の水」という意味です。「命の水」に相応しい小話です。

 

【写真】60年前、ミネソタ州の田舎町ファーミントン(人口2千人)のハイスクールの《プロム》(年一回の公式ダンス)の写真→相手は、ドイツのストットガルトからきたイングリッド・メイヤーと言う可愛いAFS留学生です。プロムのテーマは、Oriental Enchantmentでした🎶 大塚清一郎

 

最終更新日 ( 2020/07/13 月曜日 13:03:53 JST )
 
【6月11日】毎日新聞に「杉原千畝研究=命のビザ80年」連載、力作です。 PDF プリント メール
作者 webmaster   
2020/06/11 木曜日 22:49:52 JST


 

突然、毎日新聞田中洋之記者からメールが届き、「戦時中のバルト3国を取材していて、日本ラトビア音楽協会ニュース6号(2013年)を是非参照させて欲しい」と。早速「HPからダウンロード出来る」と返信しました。すぐお礼のメールが来ましたが、彼は元モスクワ特派員で今年杉原生誕120年、命のビザ発給80年で「杉原千畝研究=命のビザ80年」を連載しているとのこと。現在までの内容は次の通りですが、当時のバルト3国の政治状況にも詳しく触れるなかなか力作です。不定期連載ですが、今後も引き続き是非お読みください。

 

https://mainichi.jp/ch200153979i/%E5%91%BD%E3%81%AE%E3%83%93%E3%82%B680%E5%B9%B4

 

その後のメール交信で編集子が毎日新聞の古いOBであること、独立前のバルト3国やソ連時代のモスクワやレニングラード(旧)で演奏会をしたこと、タリンではにわか知識で杉浦千畝を話題にしたことなどを知って「これは又奇遇で大変おどろきました」。

田中記者「片山醇之助氏が外務省研修生としてラトビアでロシア語を学んでいる際、リトアニア・カウナスの日本領事館を訪れていたことを知り、片山氏について調べはじめたところです。今回もその資料収集の一環でした」。(編集室)

 

最終更新日 ( 2020/06/11 木曜日 22:57:30 JST )
 
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